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3月11日(火)あの日から3年 [日常(思い出)]

3月11日(火)
14時46分は、確定申告のための領収書の束を計算しているうちに過ぎてしまった。
あの時も、確定申告の書類を書いていた。
そこの経験したこともないような激しい揺れ。
これは大きな地震だと思い、立ち上がってデスクサイドの本の山を押さえた。
しかし、揺れはどんどん大きくなる。家のあちこちで本や雑誌の山が崩壊する音がする。
これはもう駄目だと思い、本の山を押さえていた手を放して、デスクの下に退避。
ともかく、大きな揺れの時間がやたらと長かった。
大きな揺れは去ったが、まだ家は揺れている。
なんとか我が家は壊れなかったようだ。
パソコンを開ける。幸い停電はしていない。
ブログに「今、大きな地震、発生、川崎市は震度5強」と第一報を書く。
テレビをつけると、もう大混乱。
少し冷静になって、崩れた本の山を踏み越え、崩落した雑誌で埋まった階段をなんとか、義父母の安否を確認。
後は、ひたすらテレビから収集した情報をブログに入力していた。
ヘリコプターからの空中撮影された名取平野が大津波に飲み込まれていく様子を信じられない思いで見ていた。
あの画像の中でいったい何人の命が失われたのだろうと思うと、今でも心が刺される思いがする。
なぜ2日前の前震(M7.3)の段階で、M8~9の大地震、そして大津波襲来の可能性に思いが至らなかったのだろうと思ってしまう。
『日本三代実録』の「貞観の大地震・大津波」(貞観11年=869)の記事をちゃんと読んでいたのに。
地震研究の専門家ではなく、若い頃、地震学と地震史を勉強しただけの人間が個人ブログで警告をしたところで、何の影響もないことはわかっているが、それでも自分が学んできたことが肝心な時に役に立たなかったことが悔しかった。
夕方、自由が丘で地震に遭遇した息子が歩いて丸子橋を渡って帰ってきた。
20時過ぎに、パートナーが仕事先(某高校)からほとんど歩いて帰宅した。
家族の無事が、こんなにうれしかったことはなかった。
同時にこれからどんなことがあっても、自分の知力の限りを尽くして、家族を守ろうと強く思った。

さすがに、3年前の大津波の画像を貼るのは心理的に辛いので…、
岩手県宮古市鍬ケ崎町.jpg
これは、最近、ガラス乾板が発見され、画像がきれいになった明治三陸大地震の津波被害写真
1896年(明治29)6月15日に発生した明治三陸大地震(M8.2~8.5)では地震の直後に高さ10~20m」以上の大津波が三陸沿岸に襲来し、死者・行方不明という大被害となった。
もう118年も前のことだが、この写真、津波に破壊されている家屋の古めかしさに目を瞑れば、とても既視感がある。
「3年前の被害写真ですよ」と言われれば、信じてしまうかも。
場所は、岩手県鍬ケ崎町(現・宮古市鍬ケ崎町)。
Zre20130712GZ0JPG0014780010.jpg
撮影者は、末崎仁平という地元の写真師。
末崎は写真説明で「親は子の屍を潰家の下に尋ね、子は親の行衛(ゆくえ)を叫ぶ。惨の最も酷なるものなり」と、当時の状況を記している。
その悲痛な情景は、まったく3年前と変わらない。
image241.jpg

宮古市鍬ケ崎地区は、3年前の大津波で大きな被害を受けた。
118年を隔てて、同じような悲劇が繰り返された。
いや、118年ではないかもしれない。
三陸の沿岸は、1933年(昭和8)3月3日の昭和三陸大津波(死者・行方不明3064人)や1960年(昭和35)5月24日チリ地震大津波(死者142人)でも大きな被害を出している。
30年、50年という間隔、つまりほぼ1世代に1回の頻度で大津波の被害に遭っているのだ

テレビの3周年特番で、津波に浚われた商店街の元の位置に商店が再建されたこと、大きな被害を被った港に朝市が蘇ったことなどを、復興への希望という論調で伝えられている。
「ちょっと待って!」と言いたくなる。
3年前に大津波に浚われた同じ場所は、次の大津波でも同じような事態になる可能性が極めて高い。
それでも人は、元の場に戻りたがる。
それを愚かな行為と言うことはできない。
人は住みたい場所に住む権利があるし、その土地がその人の所有地ならなおさらだからだ。

3年前、私は、大津波で完全に破壊された街の映像を見て、「行政がよほど強力な規制をしない限り、5年も経てば、また海岸沿いに家が立ち並ぶのだろうな」と思った。
3年経った今でもそう思っている。
行政が高台に建設するという新しい街に住みたがる人は少ないだろう。
安全だけども海から遠く不便だからだ。
結局、元のように海が見える便利で住み慣れた海辺の平野に街が作られていくのではないだろうか。

そして、また何年後かに大津波で浚われる。

逆断層タイプの海溝型巨大地震の場合、しばしば揺り戻し的な正断層タイプのアウターライズ大地震(大津波を伴う可能性が高い)がその何年後かに起こる。
「しばしば起こる」と言うより、地震のメカニズム的に言えば、海溝型巨大地震とアウターライズ大地震はセットと考えた方がいい。
問題は、それが何年後かということだ。
明日来るのか、30年、40年後なのか、誰にもわからない。
海溝型巨大地震の「明治三陸」とそのアウターライズ大地震の「昭和三陸」の間隔は37年だった。
しかし、たまたま37年だったということで、間隔はそれよりもっと短いかもしれない。

現在、70、80代の高齢の方は、もしかすると、生きている間に「次」はないかもしれない。
でも、現在、30歳以下の人は生きている間に、ほぼ確実に「次」があるはずだ。
世の中には「それ備えよ」と言う人と、「そんな不確定なことは気にしない、今日、明日が大事」という人がいる。
歴史的経験則で言えば、たいていの場合、後者の方が多数で、その意見が通る。
人間とは、そういう生き物なのだ。
どんな悲惨な体験をしても、その記憶とはべつの次元で、暮らしやすさだとか金銭的なものとかを優先して考えるようになる。
逆に考えれば、そうした楽天性、功利性こそが、繰り返し襲ってくる大災害を乗り越えて、人間を生き延びさせてきたのかもしれない。

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コメント 2

YUKO

FBにシェアさせていただきました。
まさに心配していたその通りの事が起こっています。
行政とかで「居住禁止区」くらいに指定しないと無理でしょうね。行政はそれをしてしまうと突き上げをくらうからしないでしょうし・・・もう止められないのかな?
by YUKO (2014-03-13 01:23) 

三橋順子

FBへのシェア、ありがとうございます。
とても難しい問題だと思います。
元の場所に店を再建した店主にとっては、それが「復興」だったわけで・・・。
「街を元の姿に…」「元の生活を取り戻したい」という願い、解らないわけではないのですが、それをそのままやったら、また何10年後かに同じことが繰り返されるわけです。
118年前の写真は、そのことを端的に物語っているわけです。

by 三橋順子 (2014-03-14 20:51) 

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