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「社会学者」古市憲寿氏の発言の何が問題なのか? [社会分析]

10月17日(金)
「新進気鋭の社会学者」古市憲寿氏の発言が、あちこちで批判されている。
中には古市氏を「ルッキズム」と決めつけている批判もある。
「ルッキズム」となると、私の関心領域なので、いったい何を言ったのだろう?と思い、確認してみた。
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古市憲寿氏 (@poe1985)の第1発言
「テレビで中学生くらいの子たちが合唱してるんだけど、顔の造形がありありとわかって辛いから、子どもたちももっとみんなメイクしたり、髪型や髪の色をばらばらにしたほうがよいと思う。」

乙武洋匡氏(@h_ototake)のリプライ
「生活指導の先生が怒髪天を突くつぶやきだね(笑)」

乙武氏のリプライを受けての古市憲寿氏 (@poe1985)の第2発言
「努力で顔の雰囲気を変えられるメイクや自由な髪型が許されず、ありのままの姿を強要される学校空間っておかしいなあと常々思ってます。」

さらに古市憲寿氏 (@poe1985)の第3発言
「属人性から解放されたはずの近代社会で、見た目に関しては生まれたままの姿を変えるべきでないという規範がなぜ強いのかは昔から疑問に思ってること。韓国など一部の地域を除き、なぜ整形が一般的にならないのか。」
--------------(発言はすべて2014年10月13日)--------------

古市氏のこれらの発言のいったいどこが問題なのだろうか?
私なりに考えてみた。
まず、第1発言を、古市氏が合唱している中学生の容貌を批判しているととるのは、かなり歪んだ解釈だと思う。
たしかに、「顔の造形がありありとわかって辛いから」の部分は、率直な感情に基づくもので、「社会学者」としては少し不用意だったと思うが。

第2発言は、一連の発言の核心部で、ありのままの姿であることを強いる、容貌の印象を変える努力を徹底的に否定する学校空間への批判は、その賛否はともかく、それなりに傾聴すべき問題提起だと思う。
現在の日本の学校で起こっている様々な問題の根底に、画一性への強い志向=多様性の否定があると思うから。

そして、第3発言だが、前半の「属人性から解放されたはずの近代社会で、見た目に関しては生まれたままの姿を変えるべきでないという規範がなぜ強いのかは昔から疑問に思ってる」という発言は、第2発言を学校空間から一般空間に敷衍したもので、やはり、「社会学者」らしい問題提起だと思う。
日本の社会が、こうした問題を、ちゃんと考えてこなかったのは明らかだからだ。
それに「生れたままの姿を変えるべきではない」という規範と「生れたままの性別を変えるべきではない」という規範との距離はほとんどないに等しい。
だから、トランスジェンダーの立場からも無視できない問題である。

第3発言に問題があったとすれば、後半の「韓国など一部の地域を除き、なぜ整形が一般的にならないのか。」の部分、とりわけ「韓国」を引き合いに出したことだろう。
何も「ネトウヨ」を刺激したからということではない。
韓国人の美容形成への強い入れ込み、その背後にある韓国社会の過剰な容貌主義の問題性を無視し、むしろ、それらを肯定していると、とられかねないからだ。
おそらく、それは古市氏の本意ではないだろう。
現地に行ってみてつくづく感じたことだが、やはり韓国人の美容形成への傾倒、容貌への過剰な価値づけは、社会的なバランスを欠いていると思う。
あれこそ、まさに「ルッキズム」である。
その点、古市氏の第3発言の後半は「舌足らず」だったと思うが、そもそも140字制限のTwitterは「舌足らず」なものなのだ。

以上、検討してみたが、古市氏のこれらの発言は、それほど批判されるようなものではなく、むしろ重要な問題提起を行っていると思う。
また、古市氏を「ルッキズム」と決めつける批判は、かなり明後日の方向に矢を放っていると思う。

そもそも、顔の造形が、その社会一般の基準からして、整っている人(美形)と、そうでない人(不細工)がいるのは、現実である。

ただし、「世間一般の基準」というのは、社会・文化、つまり地域や時代によってかなり変化する。
それに加えて、個人の容貌への嗜好はかなり大きな幅がある。
ある人にとっては「美形」であっても、ある人にとっては「不細工」ということは珍しいことではない。
したがって、世の中のかなりの人は「美形」にもなり得るし、「不細工」にもなり得る。
逆に言えば、ある社会の人の9割が「美形」と認識するような人が「美女」「美男」であり、逆にある社会の人の9割が「不細工」と認識するような人が「醜女」「醜男」ということになるのだと思う。
「9割」というのは、統計的に意味がある数字ではなく、8割でも7割でもいい。
ここで重要なのは、「美女」「美男」、そして「醜女」「醜男」であっても1~3割くらいは「そうは思わない」という人がいるということだ。
それだけ、個人の容貌への嗜好は幅が大きい。

顔の造形、顔の印象というものは、変えられないものではない。
美容形成の技術によって、化粧のテクニックによって、さらには本人の心持によって変わってくる。
より多くの人に好印象をもたれるように努力することは、まったく悪いことではない。
顔のコンプレックスから脱却して、自己肯定度が高まれば、社会的な活動度は上がり、いろいろなことが好循環になっていくことが多い。
逆に、顔のコンプレックスが低く、自己肯定度が上がらず、社会的活動度が低く、その人の能力が埋もれれしまうならば、それは社会的な損失だ。

そうした意味で、私は美容形成や化粧には肯定的だ。
したいと思う人は、どんどんすればいい。

容貌が生れながらのものである、という考えは、私は取らない。
容貌は、その人の意志と努力の所産である。
その努力は否定すべきではない。

ただし、美容形成や化粧をしたくない人が強いられることはあってはならないし、容貌を向上させる努力をしないのも、その人の自由だと思う。

容姿の美しさは、知的能力や運動能力と同じように、その人の個性であり能力である。
勉強して学力を磨く、鍛錬して運動能力を向上するのと同じように、容姿を磨く努力も認められるべきなのだ。

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コメント 8

茶園敏美

今回の記事を拝読して、わたしの最近のエピソードを思い出しました。
拙著にもかきましたが、わたしには90年代までわけがわからずずっとトラウマのようにかかえていた「あいのこ」発言があります。
で、拙著を読んでくれた友人ふたりから、励まされたり、羨望のコメントをもらったのです。
「それって、扁平な顔の日本人にみえないことだから素敵」、
「もっと自信持って!」というような。。。
当初、開いた口がふさがりませんでした。
意を決して書いたことが、別の意味に読み替えられていたのですから。

その後よく考えると、わたしにとっては、たとえば道を普通に歩いていていきなり殴られるような恐怖感であってもも、彼女たちにとっては、「日本人にみられなかった」こと自体が、ステイタスであるかのように、読み替えられているのかなあと。彼女たちも幼少の頃、「あいのこ」っていわれたことがあるようなのですが、きっとわたしのような恐怖でおののくような言われ方をしていないから、そのように発言できるのかなあとも思いますし、一方で、ほんとに日本人にみられるのがいやなのか(笑)
ただおもったのは、人が深く傷ついていることも、そのこと自体が、「うらやましい」要素として読み替えていく人もいるのだなあと。
by 茶園敏美 (2014-10-18 11:52) 

三橋順子

茶園敏美さん、いらっしゃいま~せ。
そのお話は、ご著書の「はじめに」で読みましたが、なんとも言えない気持ちになりました。
他者の容貌をどう読み取るかは、人によってかなり違うということです。
これ自体は仕方がないことだと思います。
ただ、それを言葉にするときに、人を傷つける可能性をしっかり心に留め置くことが必要なのだと思います。
それと、やはり、他者の容貌を評することは、無条件な褒め言葉以外、止めておいた方が無難と言うことです。
by 三橋順子 (2014-10-20 04:32) 

GandhiGanjee

話が少しずれますが、井上章一氏が出世作『美人論』の続編的な文章で、こと容貌・容姿に関しては、昔のほうが「言論の自由」があったようだ、といった趣旨のことを書いていましたね。

女性の容姿の美醜と教育、職業、不倫、離婚などの相関関係について、主に男の論者たちが、真面目くさって好き勝手なことを新聞・雑誌など公のメディアに書いていた、と。今では、女芸人に対するお笑いのネタ以外であまり見られないことですが。
by GandhiGanjee (2014-10-21 04:33) 

三橋順子

GandhiGanjeeさん、いらっしゃいま~せ。
>容貌・容姿に関しては、昔のほうが「言論の自由」があったようだ
はい、そうですね。
現在は、女性の容貌に触れることがだんだんタブー化しています。
では、容貌による処遇差がなくなったかというと、そうではなく、ある意味ますます女性の容貌・容姿が問われる現実があります。
そこらへんのギャップ、あきらかに欺瞞性があるわけで、危ないと思います。
by 三橋順子 (2014-10-21 06:42) 

ふぶら

遅い反応で申し訳ありません。
本件、容貌について「ジャッジされた」のが、「中学生くらい」即ち「子ども」なのに問題を感じます。何故児童の年齢のうちから、この社会学者さんとやらが「辛い」思いをしないように容貌に磨きをかける努力をしなければならないのかしら?
それも百歩譲って芸能関係者ならまだしも、合唱コンクールに登場していたらしい普通の中学生、視覚ではなく音楽という聴覚に訴える分野で励んできた子ども達を「見た目」で「ジャッジ」。それも千歩譲って金銭払っていたならまだしも、テレビというからにはおそらく「タダ」…いい大人が子どもに何を?! と自分は憤りました。
他国は知らず、日本は男性が女性に対し「見た目(と年齢)だけでその全人格全人間性をジャッジする」事甚だしい国です。どれほど学業や仕事に秀で、あるいは卓越した人間性をあらわそうとも「でもあの女はブス」という一言で、女性はその努力も才能も全否定されます。男性は見る側でジャッジする側、女性は見られる側でジャッジされる側…歴然たる権力差に見えます。今より更に男尊女卑の酷かった昔、男性が女性を評するに「自由」だったのも当然かと。
「辛い」と容貌を酷評された子どもを女生徒と推測した成人女性が、「せめて子どものうち位は見た目で侮辱される事はあってはならない」と憤っても不思議はありません。あぁ…「見た目」でひどいこと言われたり侮辱されたりしない世界に行きたいな…それとも女性も「自由」に男性の容貌をこきおろしまくればいいのかしらん…すみません。長くなってしまいました。
by ふぶら (2014-10-24 22:58) 

ふぶら

あと連投申し訳ありませんが、「おしゃれ」ってお金がかかるものですよね。
リップクリーム位なら子供のおこづかいでも何とかなるかもしれません。でも「ありありとわかって辛い」顔の造作を整形するとなったら、とてもお金がかかる筈です。お金の無さは子どもを追い詰めます。それを現在、「子どもの貧困」が社会で問題視されている事を、社会学者さんが知らない訳がないでしょうに…それともこの学者さんは、「辛い」思いを自分にさせた子どもたち全員分の整形手術費用を全て自腹で負担して下さるのかしらん? まぁそんなお金があったら、別のもっと緊迫した事にお金を使いたいと思う人が多いと思いますが。
…ともあれ、世の男性には「自分の目に見える人間はたとえ子どもであっても自分に快い見た目でなければならない」と考える人が居る事がわかったのは収穫でした。子ども時代「おしゃれ」なんてする余裕なぞ経済的に無い、高校をバイトと奨学金で出た身としては、想像を絶する学者さんの存在でした。
こんな学者さんばかりでしたら、世の中は悲しいです…
by ふぶら (2014-10-26 02:09) 

三橋順子

ふぶらさん、いらっしゃいま~せ。
本文にも書きましたが、テレビで見た合唱している中学生の容貌についての率直な感想をTwitterで公にしたのは軽率だったと思います。
ただ、古市氏の言いたかったことは、中学生の容貌を批判することではなく、容貌の印象を変える努力を徹底的に否定する学校空間への批判だったと思います。
ましてや、中学生に美容整形しろとは言ってないわけで、その点、古市氏の発言は世の中にかなり捻じ曲げて伝えられているように思いました。

あと、この古市氏に限らず、世の中(社会)を知らない社会学者は珍しくありません。特にこの古市氏は、まだ20代の大学院生ですから、社会経験が足りないのは仕方がないと思います。
そんな研究者を一人前の学者扱いするメディアに問題があると思います。
by 三橋順子 (2014-10-27 01:33) 

ふぶら

…感情にまかせ、大変失礼な長文コメントを複数回してしまいました。お詫び申し上げます。自分も一部の軽はずみな誤読に誤りました。反省いたします。
ただ今となっても、自分には古市氏の言いたかったことは正に「中学生の容貌を批判すること」ことにあり、「容貌の印象を変える努力を徹底的に否定する学校空間への批判」は後からとってつけた大義名分にしか思えないのですがが…これは自分の偏見なのでしょう、きっと。
自分の過ちは「合唱を熱心にやっていた中学生」だったからかもしれません。誰が見ても「ありありとわかって辛い」見た目の、そんな醜い不細工なデブで、声だけは少し良かった女子中学生、それが自分でありました。勿論、テレビに出るような大会には行けない低レベルの、ごくごく田舎の中学生でしたが…。
by ふぶら (2014-10-30 00:00) 

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