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新緑の花巻・北上の旅(2日目の2:南部裂き織) [旅]

5月17日(日)
(続き)
東北本線2駅10分間の乗車で、10時53分、北上駅に到着。
タクシーで北上市立「みちのく民俗村」へ。
受付でもらったパンフレットに「東北有数の野外博物館」とあるが、思っていたよりずっと規模が大きい(広い)。
実は、おゆうちゃんと私の今回の旅の目的は、「民俗村」で行われている、南部裂き織の実演を見ること。
ところが、どこでやっているのかがわからない。
順番に見ていけば、その内、あるだろうと思い、入口から近くにある茅葺の門がすてきな「旧・菅野家住宅」へ。
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一足先に歩いて行ったおゆうちゃんが「あっ、お姉ちゃん、ここだぁ!」と叫ぶ。
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私たちのいちばんのお目当ての「津軽裂き織り」の実演をしているのがここだった。
偶然、1軒目で行き合ったわけでラッキー。

さっそく、「津軽裂き織り」伝承者の湯沢みんさんの実演を見せていただきながら、いろいろお話をうかがう。
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おゆうちゃんの表情がいつもと違う。
本気で話を聞くモード。

木綿のもとになる綿花は、比較的温暖な土地が栽培適地で、北東北のような北国では綿花は栽培できず木綿が生産できない。
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したがって、商品の流通が不便だった時代、綿花が栽培できない地域では木綿布は貴重品だった。
そうした地域では、自生する麻や葛、あるいはシナノキなど野生の植物から繊維を取って、布を織るしかなかった(麻布、葛布、シナ布)。
しかし、そうした布は丈夫ではあるが、繊維が太く硬く保温性に乏しい。
柔らかく着心地がよく保温性が高い木綿は、北国の人々にとってあこがれの織物だった。

江戸時代、大都市の庶民の日常の衣服として木綿の着物が大量に生産され、流通するようになる。
木綿の着物は、都市の中で何度か古着としてリサイクルされ、さらに地方に転売されていく。
そして、着物として着られなくなると、解かれて古布になり、北東北のような遠隔地に売られていった。

こうして木綿の古布を手に入れた南部の人たちが発明したのが「裂織り」だった。
麻や木綿などを経糸に、古布を裂いた紐状の木綿布を緯糸の代わりに打ち込んでいく。
分厚く丈夫で保温性があり普段着として重宝した。
また、布地の目が詰まっているので、防水性もあり風雨を防ぐ作業着としてもすぐれていた。
そして、当然ながら木綿よりはるかに安価で、すぐれた再生衣料だった。

湯沢みんさんの「南部裂き織」は、明治中期に制作された非動力織機=手機(てばた)を使っている。
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織機は、木製の組み立て式で、釘を含めて金属は使っていない。
梃の原理を使って、座ったままで経糸の張力を調整できる。

経糸は300本、以前は木綿糸を使っていたが、現在は入手難で人工繊維を使っているとのこと。
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経糸を整えて綜絖を通し織機に掛ける整経作業は、慣れていないと半日がかりとのことだが、みんさんは3時間でできるとのこと。

緯糸代わりの細く裂いた木綿布は、木製の細長い糸巻?にざっくり巻きつけてある。
これが一般の織物での杼(ひ)に相当する。
2つあるペタルを踏むと、経糸が上下に分れ、その開口部に糸巻?を通す。
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左手で筬(おさ)を手前に引き、緯糸代わり木綿布を打ち込む。
筬の動きはスムーズで引くだけでしっかり打ち込まれる。
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織る速度は、動力織機とは比べものにならず、また手機でも緯糸を杼で通す一般的な方式よりも遅いが、それでも打ち込むのが糸でなく布で太い分、意外に織り進む。
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湯沢みんさん、かなりのご高齢とお見受けしたが、とてもお元気で、すてきなおばあちゃんだった。
たた、最近では肝心の木綿生地が手に入りにくくなっているとのこと。
でも、できるだけ長く、織り続けていただきたい。
ともかく、織物の原点のような手機の実演を間近に見ることができて、私たち2人とも大満足だった。

(続く)

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