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デザイン史学研究会第13回シンポジウム報告「和装のモダンガールはいなかったのか?―モダン・ファッションとしての銘仙―」 [着物]

7月11日(土)

デザイン史学研究会第13回シンポジウム
      「スーツと着物―日本のモダン・ファッション再考」
                        2015年7月11日:京都女子大学

 和装のモダンガールはいなかったのか?
    ―モダン・ファッションとしての銘仙―

     三橋 順子(明治大学非常勤講師:着物文化論・性社会文化史)

1 「和装のモダンガールはいなかったのですか?」

2004年9月、東京「ウィメンズプラザ」で開催された「シンポジウム アジアのモダンガール」に出席したとき、「和装のモダンガールはいなかったのですか?」と質問した。
その瞬間、会場の温度が3度くらい下がったような気がした。
報告者からは「いる」とも「いない」とも返答はなかった(ほとんど無視)。
私は、そんなにとんでもないことを言ってしまったのだろうか?
そんな質問をしたのは、次の写真が頭にあったからだ。
SCN_0113(2).jpg
 昭和7年(1932)の東京銀座4丁目交差点
(石川光陽『昭和の東京 ―あのころの街と風俗―』朝日新聞社、1987年)
「帝都東京」のもっとも華やいだ時代、老若男女、和装・洋装の人たちが行き交う。
銀座1932年(拡大1).jpg
注目してほしいのは、洋装と銘仙の振袖の仲の良さそうな二人連れの若い女性。
右側の洋装の女性はモダンガールで、左側の銘仙の振袖の女性は「旧弊な」あるいは「伝統的な」女性なのだろうか?
私にはそうは思えない。
2人とも昭和7年の東京銀座を闊歩する近代的(モダン)な女性だと思う。

2 昭和戦前期(1926~1936)の着物
・ モダンガールの洋装に目を奪われがちだが、大衆絹織物(銘仙・お召)の大流行期であり、日本の和装文化の全盛期。
・ 大正14年(1925)の東京銀座には、洋装の女性は1%しかいなかった。
・ その後、徐々に増えたかもしれないが、和装が圧倒的に主流。
・ 和装の女性の内訳は、銘仙が50.5%と半数を占め圧倒的、お召、錦紗など先染の織物を合わせると、68.6%と3分の2を超える。
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(今和次郎「東京銀座街風俗記録」『婦人公論』1925年7月号)

・ 少なくとも、昭和12年(1937)以前を「モノクロームの昭和」とイメージするのは間違いで、「多彩・多色の昭和」とイメージすべき。
・ 「多彩・多色の昭和」を演出したのが銘仙。
SCN_0114(2).jpg

3 銘仙とは
(1)先染・平織の絹織物
・ 糸の段階で染めた(先染)絹糸を経糸と緯糸の直交組織(平織)で織り上げた絹織物
・ 江戸時代には「目千」「太織(ふとり)」などと表記
・ 玉繭などから取った節糸を天然染料で染めた堅牢な自家生産品
・ 養蚕地帯(生糸産地)である北関東の風土から生まれた織物
   明治21年(1888)、「伊勢崎太織」→「伊勢崎銘仙」
秩父1.jpg

(2)最初の大衆向け絹織物製品
・ 明治末期~大正時代前期(1910年代)に、工場生産化
・ 人工染料で経糸に着色、絹紡糸を緯糸に使い、力織機で織りあげる
・ 大幅な省力化によるコストダウン、工場による大量生産・大量流通
・ それまで経済的に絹織物を着られなかった(木綿を着ていた)階層にも普及

(3)銘仙の種類
① 縞銘仙  ② 絣(かすり)銘仙  ③ 模様銘仙(解し織り)

(4)大流行の6つの要素
① 人工染料  ② 力織機  ③ 新技術  ④ 新柄  ⑤ 流行の演出  ⑥ 新たな着用層

① 人工(化学)染料
・ 染色効率の飛躍的向上
・ 多彩で鮮やかな(強い)色味
② 力織機
・ 工場生産 → 生産効率の大幅な向上
・ 大量生産品 → コストの低下
③ 新技術「解し織り(ほぐしおり)」
・ 明治42年(1909)、伊勢崎で「解し織り」技法開発
・ 「解し織り」 ---- 経糸をざっくりと仮織りしてから型染め捺染し、
織機にかけて、仮糸を解しながら、緯糸を入れる
・ 「解し織り」の導入により、多彩な色柄を細かく織り出すことが可能に
④ 新柄 華麗・豊富な色柄
・ 伝統的意匠のリニューアル
・ ヨーロッパ美術界の先端的デザイン(アール・ヌーボー、アール・デコ)の導入
秩父でも、上野の美術学校(現:東京芸術大学)の卒業生・学生などに基本デザインを依頼 
・ 最新デザインを直交組織の織物で表現する職人技

伝統的意匠のリニューアル          
銘仙30-1 (2).jpg銘仙1-1 (2).jpg
(左)麻の葉 (右)折鶴

アール・ヌーボー系の銘仙
銘仙12-1 (2).jpg 銘仙13-1(2).jpg
(左)チューリップ (右)薔薇と円紋
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 芥子と蝶

アール・デコ系の銘仙
銘仙6-1.jpg
 赤地にリボン
銘仙28-1.jpg
 赤・黒・白の稲妻
銘仙41-1(復刻足利・松葉)1 (2).jpg銘仙40-1 (2).jpg
 (左)松葉  (右)ドッドを切り裂く赤

⑤ 流行の演出
・ 大正末期~昭和初期、デパートが 都市大衆消費文化の目玉商品として、産地と提携した展示会などで「流行」を積極的に演出
 [銀座] 松坂屋(1924) 松屋(1925)  三越(1930)
 [新宿] 三越(1929) 伊勢丹(1933)
「色は濃めに 柄は横段、格子風 生地も変化ある新物 夏物の流行」
  (『読売新聞』1928年5月4日 朝刊 婦人欄)
「新流行の夏銘仙は モダンも純日本風もだめ 平凡でづぬけた柄」
  (『読売新聞』1929年5月21日 朝刊 婦人欄)
「この秋・流行の王座を飾るもの 銘仙オンパレード?模様は平面から立体へ 色は渋好みになりました」
  (『読売新聞』1931年9月16日 朝刊 婦人欄)

⑥ 新たな着用層  都市中産階層の成長
・ (都市中産階層なら)1シーズン1着が可能な値段
   昭和8年(1933)秩父産の「模様銘仙 5円80銭~6円50銭」
   当時の6円は、現代の21000~24000円ほど

4 ふたたび問う「和装のモダンガールはいなかったのか」
・ モダンガールと同じ時期に、銘仙を着た娘たちがいた。
・ 銘仙は、明治期までの着物とは、デザイン的にも、販売戦略的にもまったく異なる「モダン着物」(化学染料+力織機+新柄+流行演出)だった。
・ 人数的には、「モダンガール」より銘仙を着た「モダン着物娘」の方が圧倒的多数だった。
・ 化学染料、力織機を用いた大量生産によるコストダウン、流行の演出による大量販売という方式は、現代のファッション販売戦略の先駆けであり、源流である。
・ 「モダン着物(銘仙)」と 「モダン着物娘」の存在を無視して日本近代デザイン史・ファッション史を語るのはまったくの誤り。
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和装のモダンガール?(撮影:堀野正雄 1933年)

日本近代ファッション史の誤ったイメージ
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和装、洋装の2つの流れが接続され、和装が洋装にとって代わられたイメージが作り出される。
その結果、洋装化以降の和装の歴史が抹殺される。

日本近代ファッション史の実際
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和装、洋装の2つの流れが併存して、相互に影響していたのが実際。
「モダン着物娘」と「モダンガール」は同時併存。

【参考文献】
岡信孝コレクション『華やかな美―大正の着物モード―』(須坂クラシック美術館、1996年)
別冊太陽『銘仙 ―大正・昭和のおしゃれ着―』(平凡社、2004年)
日本きもの文化美術館『ハイカラさんのおしゃれじょうず ―銘仙きもの 多彩な世界―』  
(日本きもの文化美術館、2010年)
三橋順子「艶やかなる銘仙」
(『KIMONO道』2号、祥伝社、2002年。後に『KIMONO姫』2号、2003年、祥伝社、に拡大再掲)
三橋順子「銘仙とその時代」
(『ハイカラさんのおしゃれじょうず ―銘仙きもの 多彩な世界―』日本きもの文化美術館、2010年)
三橋順子「『着物趣味』の成立」(『現代風俗学研究』15号 現代風俗研究会 東京の会 2014年)
三橋順子「『原色の街』の原色の女」(『性欲の研究 東京のエロ地理編』平凡社 2015年)

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