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遺伝学者 R. B. Goldschmidtの自叙伝に大正3年新吉原遊廓「花魁道中」の写真 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

10月11日(日)
Twitterでたまたま気づいたのだが・・・。

生物進化学者で蒐書家でもある三中信宏さん(独立行政法人農業環境技術研究所生態系計測研究領域上席研究員兼東京大学大学院農学生命科学研究科生物・環境工学専攻教授)のブログに、大正3年(1914)の新吉原遊廓「花魁道中」について、興味深い記述がある。
http://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/diary2015-10.html#10

以下、三中さんのブログの記事を要約すると、
三中さんが最近手に入れた『In and Out of the Ivory Tower: The Autobiography of Richard B. Goldschmidt』(U Washington Press, Seattle,1960年)は、「hopeful monster 説」の提唱で有名な遺伝学者 R. B. Goldschmidt(1878~1958)の自叙伝。

Goldschmidtの研究テーマは、マイマイガの性決定遺伝で、アジアを広域に採集して回り、1914年に初来日し、1924〜26年に東京帝国大学農学部で遺伝学を講じるなど日本との関わりは深い。
同書には、日本の文化や風習についての記述が詳しく「古式ゆかしい和風風呂」と銘打たれた女性の入浴写真も収められている。
入浴する女性(1914頃).jpg

で、私が驚いたのは「吉原遊郭の花魁道中の光景を事細かに書き残している」という点。
両脇に禿(かむろ)を従えた稲本楼の二葉花魁の写真も掲載されている。
新吉原花魁道中(稲本楼・二葉)3.jpg

三中さんは、私のブログの記事を参照してくださっているが、二葉花魁は稲本楼が出した6人の花魁の内の1人で、間違いなく大正3年(1914)4月に新吉原遊廓で行われた大正天皇御大典(即位礼)記念イベントの「花魁道中」の写真だ。
おそらく発売された絵葉書を入手して、転載したのだろう。

ちなみに、私のコレクションには、ほとんど同じ構図の絵葉書はあるが、二葉花魁のこの構図の絵葉書は未見だった(追記参照)。
新吉原花魁道中(稲本楼・若妙)4(2).jpg
↑ 稲本楼・若妙花魁。二人の禿が同じ。撮影場所もほとんど同じ。
新吉原花魁道中(稲本楼・二葉)1 (2).jpg 新吉原花魁道中(稲本楼・二葉)2(2).jpg
↑ 稲本楼・二葉花魁の「道中」。
Goldschmidt氏は、これを実見したのだろうか。
彼が日本に来たのは1914年なので、来日して間をおかずに新吉原遊廓に行ったことになる。

大正3年(1914)の新吉原遊廓「花魁道中」については、意外に記録が乏しく、外国人学者がこのイベントを記述していることは、文化交流という点で興味深いだけでなく、史料的にもとても貴重だと思う。
どんなことが書いてあるのだろう?

三中さんによると「Goldschmidt は本書の他に日本周辺地域の写真紀行『Neu-Japan』(1927)と晩年の回想録『Portraits from Memory』(1956)を書いています.関連する写真が見つかるかもしれません」とのことで、さらなる「発見」に期待したい。

(参照)
2015年2月11日「大正復興「新吉原遊廓・花魁道中」絵葉書14枚を落札」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-02-12-2
2015年5月3日「大正3年(1914)新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書から」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-05-03-3
2015年6月13日「大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-06-13-3

【追記】今まで集めた画像コレクションの中に、稲本楼の花魁だが、名前がわからなかった写真があった。
新吉原花魁道中(稲本楼・不詳).jpg
これをGoldschmidt自叙伝に掲載されている二葉花魁の写真と比べると・・・。
新吉原花魁道中(稲本楼・二葉)3.jpg
左端と手前が切り取られているが、そっくりであることがわかる。
この「名不詳」花魁画像が、二葉花魁であることが判明した。


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