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新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

1月18日(日)

訳あって昨年から集めている大正3年(1914)の新吉原遊廓の「花魁道中」の絵葉書を新たに2枚入手したので紹介。
新吉原花魁道中(稲本楼・染之助)2(2).jpg
↑ 稲本楼・染之助花魁の道中後姿。
結髪や衣装の後姿、傘の華麗な模様、それを持つ「傘差し」の独特の握りがわかる。

新吉原花魁道中(大文字楼・都)1-2(2).jpg
↑ 大文字楼・都花魁の道中姿。
下駄の形状や高さがよくわかる。

大正3年4月に新吉原遊廓で行われた「花魁道中」は、明治44年(1911)4月の「吉原大火」で灰燼に帰した新吉原遊廓が復興を世間に印象づけるために企画された一大イベント。
同年の大正天皇御大典(即位礼)を記念する「東京大正博覧会」(大正3年3月20日開会:東京府主催、主会場:上野公園)に合わせて、明治中期に途切れていた「花魁道中」を復活し、多くの見物人を集めた。

新吉原のメインストリート「仲の町通り」を「道中」する花魁は、当時の新吉原のビッグ3、角海老楼(京町一丁目)、稲本楼(角町)、大文字楼(江戸町一丁目)が出した。
その人数は、現在、私が確認しているところでは、3楼合わせて23人に及び、かなり大規模なイベントだったことが明らかになってきた。

角海老楼 ----紫、白縫、薄雲、左々浪、大巻、小式部、ビューティー、彌生(8人)
稲本楼 ----小紫、小太夫、福寿、若妙、二葉 染之助       (6人)
大文字楼 ----歌川、大巻、右近、操、若柳、紫君、花扇、都、柏木?(9人)
 
(参照)
2015年2月11日「大正復興「新吉原遊廓・花魁道中」絵葉書14枚を落札」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-02-12-2
2015年5月3日「大正3年(1914)新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書から」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-05-03-3
2015年6月13日「大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-06-13-3
2015年10月11日「遺伝学者 R. B. Goldschmidtの自叙伝に大正3年新吉原遊廓「花魁道中」の写真」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12-3
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コメント 2

ミミ萩原

新吉原角海老楼 ビューティー花魁ネットで検索しても引っかかりませんでした。
あの時代に「ビューティー」(ーティーュビ)?なんで珍しいですね、でも横浜の外人相手の遊郭だと珍しくなかったかも知れませんね。(根拠のない単なる想像ですかれど)
by ミミ萩原 (2016-01-23 21:23) 

三橋順子

ミミ萩原さん、いらっしゃいま~せ。

この花魁の「ビューティー」という源氏名、私も、最初は戸惑いました。
いろいろ調べると、彼女は横浜生まれで、白人男性と日本人女性のハーフという説があります。
残っている写真も、当時の日本人女性にしては、彫が深いような・・・。
by 三橋順子 (2016-01-23 23:53) 

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