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【報告記録】「GIDの『神話』を『歴史』に引き戻す」 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

3月27日(月)

3月18・19日に札幌医科大学で開催された「GID(性同一性障害)学会 第19回研究大会」のシンポジウム5「ジェンダーの多様性をめぐる神話」における、私の報告の記録です。

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GID(性同一性障害)学会 第19回研究大会(札幌医科大学)
シンポジウム5「ジェンダーの多様性をめぐる神話」(2017年3月19日)

GIDの「神話」を「歴史」に引き戻す
    三橋順子(明治大学)

歴史を学ぶことの役割は、過去を振り返ってたどってきた道を知ることで、現在の立ち位置を確認し、未来への適切な道筋を探すことにあります。私は歴史学を学んだものとして、常にそのことを念頭において研究をしてきました。したがって、誤った歴史認識は不適切な未来を招きかねません。そこで、この報告ではGIDに関わる誤った「神話」を正しい歴史認識に引き戻しておこうと思います。お話するポイントは以下の5点です。

①「日本初」の性別適合手術は埼玉医科大学ではない
第一に「日本初」の性別適合手術は埼玉医科大学ではありません。昨日のレジェンド講演で山内俊雄先生は「公の手術」とおっしゃいましたが、あくまで日本精神神経学会のガイドラインに基づく初めての手術ということです。同じくレジェンド講演をされた原科孝雄先生がなさったのは女性から男性への日本初の手術であり、男性から女性への手術はそれ以前にも行われていました。

性別移行を目的とした造膣手術は、日本医科大学病院で1951年春(4月以降)に永井明(女性名:明子)に対して行われたものが日本最初です。執刀は石川正臣産婦人科教授でした。石川先生はその後日本産婦人科学会の会長を長く務められた重鎮です。これは同年5月15日にイギリスで行われたRobert Cowell(女性名:Roberta)に対する手術より早く、戦後世界最初の転性手術だった可能性が高いと思われます。1950年代、日本の形成外科の技術は、けっして後進的ではなく、世界のトップレベルでした。そのことにもっとプライドを持つべきです。

私は、1990年代後半に原科先生、山内先生が大きな勇気をもって、長らく停滞していた日本の性別移行医療を再開し、新しい時代を開かれたことを、時に直接お話をうかがいながらリアルタイムで見ていました。ですからその功績を否定するつもりはありません。しかし、それ以前に存在した歴史事実は「なかったこと」にせず、しっかり認識すべきだと思います。

永井明子1.jpg 
↑ 永井明子
(『日本週報』1954年11月5日号)
永井明子(『日本観光新聞』19530918)4-2.jpg
↑ 永井明子
(『日本観光新聞』1953年09月18日号)
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↑ Roberta Cowell

②「GID特例法」以前にも戸籍の性別変更は可能だった
第二は、「GID特例法」以前にも戸籍の性別変更は可能だったということです。転性手術にともなう戸籍の続柄変更は、1951~53年に永井明子が、1980年に布川敏が戸籍法113条(訂正)に基づいて男性から女性へ性別変更をしていることが戸籍の写真などから確認できます。他にも戸籍は未確認だが性別訂正の事例が2例ほどあります。

永井さんの事例は、詳しいことはわかりませんが、おそらく手術からあまり都気を置かずに訂正がなされたと思われます。布川さんの事例については、インターセックスを装った訂正ではないのか?と疑問視する人がいましたが、スタンフォード大学の診断書には、はっきり「diagnosis of transsexualism(性転換症の診断)」の記述があり(Bokeは布川さんの源氏名)、疑いは否定されます。
永井明子2.jpg
↑ 永井明子の戸籍  参男→二女、明→明子に訂正
(『日本週報』1954年11月5日号)
布川敏(1999年)1 - コピー.jpg
↑ 布川敏さん(『FLASH』1999年3月30日・4月6日号)
布川敏(戸籍)2.jpg
↑ 布川敏の戸籍  長男→長女、敏之→敏に訂正
(『週刊文春』)1981年4月23日号)
布川敏(診断書) (1).jpg
↑ 布川敏の診断書(スタンフォード大学)
(『週刊文春』)1981年4月23日号)
布川敏(診断書) (2).jpg
↑ diagnosis of transsexualism(性転換症の診断)の記述がある。

③「ブルーボーイ事件」は特異事例である
第三は、「ブルーボーイ事件」(1965年10月摘発)は特異事例であるということです。「ブルーボーイ事件」前後の1950~60年代には33例ほどの転性手術の事例が知られています。その内の94%は国内での手術です。にもかかわらず摘発・起訴されたのは「ブルーボーイ」事件ただ1例だけなのです。他の事例は週刊誌などに報道されて公になっているにもかかわらず、警察は動いた形跡がありません。

では、なぜ「ブーボーイ事件」だけが摘発されたかといえば、転性手術が「売春」行為に利用された特異事例だからです。当時は、「売春防止法」完全施行から7年しか経ってなく、警察が「売防法」の抜け道摘発に熱心だった時期で素。ということで、「ブルーボーイ事件」はかなり特異な事例であり、一般化すべきではないと思います。

④「ブルーボーイ」=男娼ではない
第四は、「ブルーボーイ」=男娼ではない、ということです。「ブルーボーイ」は身体を女性化した男性の意味の俗語で、1963年に初来日したフランス・パリの「カルーゼル」のショーダンサーたちに付けられたキャッチコピーです。そういう起源ですから「ブルーボーイ」の職業はショービジネス(ダンサー)が中心でした。1960年代後半には「和製ブルーボーイ」として銀座ローズさんやカルーセル麻紀さんが活躍します。

「ブルーボーイ」の中にセックスワーク(男娼)を仕事にしていた人もいたということです。したがって、日本精神神経学会のガイドライン(第4版)が「男娼(ブルーボーイ)」と表記しているのは誤解を招き不適切です。
ブルーボーイ1(1964年11月第2回公演パンフレット。モデルはバンビ).jpg
↑ ブルーボーイの来日(第2回公演:1964年)
(「ゴールデン赤坂」のパンフレット:三橋所蔵)
ブルーボーイ3(1965年第3回公演のメンバー) (2).jpg
↑ ブルーボーイの来日(第3回公演: 1965年)
(掲載紙不明 1965年)
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↑ 和製ブルーボーイの活躍(銀座ローズ)
(『風俗奇譚』1965年1月臨時増刊号)
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↑ 和製ブルーボーイの活躍(カルーセル麻紀)
(『風俗奇譚』1966年4月臨時増刊号)

⑤「暗黒時代」ではない
最後に第五です。1998年の埼玉医科大学の手術以前は、けっして「暗黒時代」ではないということです。今よりずっと困難な環境の中で性別移行を望む人々と、それを助ける医師の真摯な営みがあったことを忘れるべきではありません。それを「闇」呼ばわりするのはあまりに失礼だと思います。

以下、困難な時代に、望みの性別で自分らしく生きようとした先達たちの画像を紹介して、この報告を終えようと思います。
ご清聴、ありがとうございました。

永井明子3(2).jpg 
↑ 永井明子 1951年春、日本医科大学病院でSRS
 (『日本観光新聞』1954年頃)

椎名敏江6(2).jpg
↑ 椎名敏江 1955年SRS
 (『増刊・実話と秘録』1958年1月号)

吉本一二三3.jpg
↑ 吉本一二三 1961年SRS
(『風俗奇譚』1967年1月臨時増刊号)

銀座ローズ(『風俗奇譚』6501S)6.jpg
↑ 武藤真理子(銀座ローズ) 
1962年、大阪曾根崎・荻家整形外科病院でSRS
(『風俗奇譚』1965年1月臨時増刊号)

ひばり&江梨子(平凡パンチ19680520)2(2).jpg
↑ ひばり&江梨子
左・兄(姉)ヒバリ 1967年SRS  右・弟(妹)江梨子 1966年SRS
(『平凡パンチ』1968年5月20日号)

カルーセル麻紀(1967)1 (2).jpg
↑ カルーセル麻紀 1973年、モロッコ・カサブランカでSRS
執刀はDr.ジョルジュ・ブロー
(『平凡パンチ』1967年10月2日号)
モロッコでブロー博士の手術を受けた日本人はカルーセル麻紀が最初ではなく、その前に少なくとも2人いる。

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↑ はるな愛 1995年、大阪・わだ形成クリニックでSRS
(2009年11月22日、撮影:三橋順子)

【参考文献】
三橋順子「性転換の社会史(1) -日本における「性転換」概念の形成とその実態、1950~60年代を中心に-」
三橋順子「性転換の社会史(2) -「性転換」のアンダーグラウンド化と報道、1970~90年代前半を中心に-」
(いずれも、矢島正見編『戦後日本女装・同性愛研究』 中央大学出版部、2006年)
三橋順子「ゲイボーイ、シスターボーイ、ブルーボーイ」
 (『性の用語集』 講談社 2004年)

【質疑応答】
コメントしてくださった〇〇さんとは、新宿歌舞伎町の女装スナック「ジュネ」で一緒でした。〇〇さんのような女装世界に身を置いた方が、性同一性障害の世界で肩身の狭い思いをされてきたことは、よく存じています。GID学会の懇親会で、私のところにそっと寄ってきて「私が新宿の女装の店に通っていたこと、黙っていてください」と懇願してきた方もいました。もちろん黙っていますが。
どうしてこんなことになったのか、それは日本のGID治療が、ニューハーフ世界や女装世界など既存のトランスジェンダーコミュニティと断絶した形で始まったからです。
「ガイドライン」第1版では「職業的利得条項」によって商業的なトランスジェンダーであるニューハーフは診断・治療の対象から排除されました。これは明らかな医療差別です。
そうした断絶と排除によって、既存のトランスジェンダー世界で長年積み重ねられてきた男性から女性への性別移行のノウハウやテクニックが継承されず、活かされることがなかった。これは間違いなく損失であり、日本のGID医療の大きな誤りだったと思います。
このことについては、いつか機会をいただけたら、お話したいと思います。

【報告者略歴
1955年、埼玉県生まれ。性社会・文化史研究者。明治大学、都留文科大学、群馬大学医学部など非常勤講師。
専門はジェンダー/セクシュアリティの歴史学、とりわけ性別越境(トランスジェンダー)の社会・文化史。
著書に『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年)、共編著に『戦後日本女装・同性愛研究』(中央大学出版部、2006年)、『性欲の研究 東京のエロ地理編』(平凡社 2015年)。主な論文に「性と愛のはざま-近代的ジェンダー・セクシュアリティ観を疑う-」(『講座 日本の思想 第5巻 身と心』岩波書店、2013年)、「性別越境・同性間性愛文化の普遍性」(『精神科治療学』31巻8号 星和書店 2016年)など。

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おたんこ茄子

90年代からのGID「神話」を横目でちらちら眺めていた者です。先生のお話、興味深く読ませていただきました。個人的な感想を少々。
「神話」の功罪は色々あると思います。一番の功績は、身体に侵襲の必要な処置をしてまで性別移行を望む人(あるいは果たした人)を、面白おかしく揶揄してもよい存在としてそれまで扱ってきたマスメディアが、本音はともかく、医学界という権威を前に人権問題としても取り上げるようになったことかと思われます。しかし、「神話」化が進展する中、疾患の治療に特化した「救済」と治療の「正統性」を強調する余り、埼玉以前を暗黒時代として既存の文化と切り離してしまい、特例法というタイトな枠組みをこしらえてしまったのは、様々な面で大きな損失だったと思います。タラレバを言っても詮無いことですが、特例法成立の前、家裁によっては既存の戸籍法による訂正が、かなりいい線まで行けそうな雰囲気になっていた事例もあったと聞き及んでおります。特例法が、埼玉の埼玉による埼玉のための特例法にまでならなかったことはよしとしても、(社会的)性別の変更が家事審判の個別の積み上げではなく、法律として明文化されてしまったため、社会的存在としての人間の幸福への理解がかなり限定的になり、禍根を残してしまったのは残念なことに思われます。
by おたんこ茄子 (2017-03-28 22:24) 

N

わたしは女装です。
ですが性的衝動は伴いません。身体も自分の気力体力、時間の余裕、生活への影響を考えてできる範囲で変えたいという願望はあります。
だから両性役割服装倒錯症(dr-TV)よりのトランスジェンダーかなと思っています。
女装としてネットで人と交流をしていると、GIDについて気になることが出てきました。
それは、GIDの一部、半分弱くらいの方が女装に対してかなりひどい偏見を持って差別している、ということです。
自分たちのネットでの言動を女装側が見ていないとでも思っているのか、本当に言いたい放題です。
曰く、女装は変態、女装は「女性服を着たタダのオッサン」だけどGIDは本当の「女」、女装なんか刑事罰の対象にしてほしい、新宿から女装・ニューハーフを追い出せ、等々。
あんな変な人たちと一緒にして欲しくない、という気持ちの表れとして汚い言葉が次々に出てきます。
どう見ても差別でしかないと思いますが、GIDの人は変態女装のせいで自分たちまで変態扱いされて迷惑しているんだから被害者だと言い張ります。
でも、どう言い繕ってみてもGIDが女装に偏見差別をしていることは明らかです。
差別するな、と声高に言いながら、自分たちは平気で他のマイノリティを軽蔑・差別して、その自己矛盾にも気付かずGIDであることを特権であると自慢している。
その自己矛盾、醜さになぜ気づかないのか不思議で仕方ありません。
by N (2017-04-07 17:57) 

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