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4月15日(土)「現代風俗研究会・東京の会」例会 [お勉強(研究会)]

4月15日(土)  曇り  東京  24.2度  湿度49%(15時)

10時、起床。
朝食は、いちごデニッシュとコーヒー。
170415 (1).JPG
13時半、家を出ようとしたら、家猫さんが帰ってきて「とても暖かいにゃん」と言うので、ニットのポンチョを脱いで、カシミアのショールを紙袋に入れる。
歩き始めると、確かに暖かい。
今年一番の気温。
この暖かさで、藤の花が一気に咲いた。
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東急目黒線から、東京メトロ南北線に入る。
乗り換えの永田町駅の内の「C&Cカレー」で昼食。
IMG_3751.JPG
↑ 三元豚カロースカツカレー(650円)
給水器が壊れたらしく、店内の床の一部が水浸し。
水を避けていちばん奥の席へ避難。

15時、「現代風俗研究会・東京の会」の例会に出席するため明治大学(駿河台)へ。

研究報告は、大木理恵子さん(白百合女子大学キリスト教文化研究所所員)による「第二次世界大戦と食:アメリカの場合」。

第二次世界大戦中、アメリカで実施されていた食糧統制(配給制度)について。
その事実さえ知らない日本人が多いと思うが、アメリカでは1942年の砂糖を始めとして、1943年には肉、食用油、バター、チーズ、缶詰・瓶詰などの供給が統制され配給制になった。

前戦で戦う将兵のために、銃後の人々が節約しようという思想は日本と同じだが・・・。
同じ食料配給制ではあっても、質・量、そして気持ちの余裕(切迫感)がまったく違う。

端的に言えば、「これでは負けるはずだ」と改めて思った。

知らないことが多く、とても興味深い報告だった。

ちなみに、日本が最も食糧難だったのは、太平洋戦争中(1941年12月8日~1945年8月15日)ではなく、敗戦後の1946~1947年だった。
戦中はまだ配給制度がそれなりに機能していた(1945年になるとかなり悪化するが)。
配給制度が質・量ともに極端に悪化し、内地で餓死者が続出するのは、戦後であって戦中ではない。

また、戦中は統制が機能していて「闇」はまだ少なかった(なかったわけではない)。
「闇物資・闇市場」が一気に巨大化するのは、戦後になってからだ。

そこらへん、一般的なイメージに認識の混乱があるように思った。

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コメント 1

千夜

順子様
アルバム⇨どれもインパクトのある美しいPhotoで一番思い浮かぶのはシルベスタスタローンが女装した感じ。

執筆(作品)⇨ 観きれないほど精力的な量にびっくり、性社会史研究について時間をかけて見てみたい。

食べ物の好み⇨ うなぎ、蕎麦と純日本的なところが共通している。

住まい ⇨ 目黒、私は生まれも育ちも品川で隣り合わせ、下町と山手の良いところを持ち合わせているかと。

よろしくね。



by 千夜 (2017-04-16 14:11) 

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