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MASH大阪研修会「なぜ女装者やニューハーフの存在はエイズ対策において周縁化され続けてきたのか?」 [お仕事(講義・講演)]

9月2日(土)

MASH大阪研修会       2017.09.02(大阪・Dista )

なぜ女装者やニューハーフの存在はエイズ対策において周縁化され続けてきたのか?

三橋 順子(明治大学非常勤講師・性社会文化史)

はじめに
ー「WPATH(World Professional Association for Transgender Health)2014」でー
りりぃ「日本のトランスジェンダーのHIV感染データってありますか?」
順子「えっ? ないと思う・・・」
りりぃ「やっぱり・・・。感染率、どのくらいだと思いますか?」
順子「う~ん、とっても難しいね」

1 基本認識 ー私の「日記」(2014年2月16日)からー
図3.jpg
りりぃさんの報告が終わった時、会場から大きな拍手が起こった。
りりぃさんの報告の重点は、現在の日本において、HIV/AIDSがトランスジェンダーの健康に関わる重要な問題であるという認識が、公的機関にも、研究者にも、そしてトランスジェンダーの当事者にも、乏しいということ。
まさに、HIV/AIDS問題の中にトランスジェンダーの居場所がないのだ。
これは報告があった他の国がHIV/AIDS問題をトランスジェンダーの健康に関わる重大な問題として取り組んでいることと、著しい相違である。
日本でもHIV/AIDS問題が現実の危機として浮上してきた1990年代には、トランスジェンダーもその危機は切実に感じていた。
高梨直美さん主宰の「T-GAP」のように、HIV/AIDSについての啓蒙チラシや感染予防のためのコンドームを、新宿の女装系の店に配布する活動も行われていた。
私がお手伝いしていた新宿歌舞伎町の女装スナック「ジュネ」にも、トイレに小さな籠があり、そこにT-GAPが配ってくるコンドームを入れて、必要な人は自由に取れるようにしていた。
1995~97年頃のことだ。
少なくとも、私の耳目が届いている範囲では、90年代の新宿女装コミュニティの人たちでHIVに感染した人は、いなかった(噂を聞かなかった)。→ 女装世界のHIV感染率はかなり低い
その点、ゲイ業界とはかなり様相が異なる。
私も含めて、ほとんどの人があの危機的な時代をなんとか乗り切り、我が身を守ったということだ。
ところが、その後、トランスジェンダー・コミュニティにおけるHIV/AIDS感染予防運動は急速に衰退していく。
それは、性同一性障害概念が世間に急速に流布していくのと同時期のことだった。
それでも、「TSとTGを支える会」(TNJ)の初期には、まだHIV/AIDS感染予防の意識はあったと思う。
しかし、2000年頃からは、まったく関心が薄れてしまった。
なぜそうなったかと言えば、GIDの人たちはセクシュアリティがない(Sexをしない)ことになっているからだと思う。
Sexをしないのならば、HIV感染の機会はほとんど皆無なわけで、関心がないのは当然ということになる。
しかし、本当にSexしていないのだろうか?
そこらへんのところは、「セクシュアリティがない(Sexをしない)」という建前が強固で、容易に踏み込めない。
まあ、GIDの人たちのことはいい。(← 本当は良くない)
私が不安に思うのは、現在の非GIDのトランスジェンダーの人たちが、90年代の新宿女装コミュニティの人たちが抱いていたようなHIV/AIDSに対する危機意識を持ち続けているか、ということだ。
実際、若い世代のトランスジェンダーの口からHIV/AIDSの話をほとんど聞いたことがない(りりぃさんは別)。
その点、かなり懐疑的にならざるを得ない。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20-6

2 HIV/AIDS「上陸」の頃のTG世界(東京

(1)HIV/AIDSが日本に「上陸」した1980年代末の東京のトランスジェンダー世界
・ ゲイ・コミュニティ(男性同性愛者の世界)との分離がほぼ終了し、3つの大きなサブカテゴリーが並立していた。
図4.jpg
A  ニューハーフ世界
・ 職業的(プロフェッショナル)なMtFの性別越境者の世界で、女装した男性、性転換した元男性であることを職業的特性(セールスポイント)のひとつとしている人たち。
・ 戦後混乱期のセックスワーク(男娼)に始まり、その後、ショービジネスや飲食接客業に展開。
・ 商業的なトランスジェンダーを意味する「ニューハーフ」という呼称は1980年代に一般化する。
・ 職種は、ショービジネス(ダンサー)、飲食接客業(ホステス)、セックスワーク(ヘルス嬢)の「ニューハーフ三業種」。
 → 男性とのセクシュアリティ有り

B オープンな女装者のコミュニティ
・ 東京・大阪など大都市の盛り場に存在する女装系の酒場を拠点に成立しているオープンな女装者と女装者愛好男性(女装者を愛好する非女装の男性)のコミュニティ。
・ 1960年代後半からの歴史をもつ。
・ 外部から男性が出入りするので、女装者は「女」としての社会性が求められる。
・ 酒場という場の性格上、女装者がしばしば「ホステス擬態」をするなど、ややセミプロ的な性格をもつ。
 → 男性とのセクシュアリティ有り

C クローズドな女装者コミュニティ
・ 東京・横浜・大阪などに存在する女装クラブを中心とするクローズドなアマチュア女装者だけのコミュニティ。
・ 1980年代に形成。
・ 外部から男性が出入りすることは禁じられているので、女装者は「女」としての社会性はあまり求められない。
→ 男性とのセクシュアリティ無し

(2)久保島静香姐さんは語る ー「『ビフォア・イット』の記憶」―
「昭和六十年代に入ると、HIVの影が私達を脅かし始めます。平成に入ると、皆用心して特定の人としか性交渉を持たなくなり(中略)、同性との性関係については勉めて意識から遠ざけようとし、極めて臆病になったのがアフター・イットの特徴の一つだと思います。事実、それまであれほどあけっぴろげだった自分の性関係について、口をつぐんで語ろうとしなくなりました」(久保島1988)
・ 1990年代の新宿女装世界の大御所的存在で、女装者として長く豊富な性体験をもつ方。
図5.jpg
↑ 久保島静香姐さん(左)1997年正月(新宿歌舞伎町「ジュネ」で)
・ 1990年前後から顕著になるAIDSの流行によるHIV感染の恐怖によって、女装世界において性愛行動の比重が低下し、セクシュアリティが後景に退きつつある様子が語られている。
・ 「ビフォア・イット」の時代は「寝た男の数が女装者の勲章」だったが、「アフター・イット」の時代はそうではなくなる。
・ HIV/AIDSに対しコミュニティがかなり自覚的に対応したことがうかがえる。

3 なぜHIV感染が少なかったのか?
・ 「セクシュアリティが後景に退いた」と言っても、Sexしている「娘」 (←私)は、それなりにしていたわけで・・・
図1.jpg図6.jpg

(仮説1) セックスは1対1が基本 
・ 女装コミュニティの性行動は1対1が基本。
 → 女装者愛好男性が女装者を口説く。
・ ゲイ業界でしばしば見られる、不特定複数による乱交的な性行動はきわめて稀。
 → HIVの感染機会が相対的に少ない
(仮説2) コンドーム使用率が高い?
・ (証明は難しいが)HIV/AIDSの流行以前から、女装コミュニティでは、コンドーム使用率が高かった?
  → 女装コミュニティの肛門性交の流儀は、女装男娼のから継承されたもの(三橋2017)
・ ニューハーフ・ヘルス業界の創始者である松井玲子ママも、コンドームの使用については、早くから厳しく指導していた(畑野とまとさん談)
  → NHヘルス業界は女装男娼の直接的な後継
【補足説明】
ゲイコミュニティとトランスジェンダーコミュニティ、HIV/AIDS流行以前から、どうもアナル・セックス(肛門性交)の「流儀」が微妙に違っていたのではないか?
ゲイコミュニティが複数セックスが多く、ほとんどコンドームを使用していなかったのに対し、トランスジェンダーコミュニティは1対1が基本で複数セックスは少なく、かつ(比較的)コンドームを使用していた。
確実な証拠はないのだが、いろいろ聞きとっていくと、そんな傾向がうかがえる。
そうした「流儀」の違いは、おそらく歴史的に形成された「文化」であって、トランスジェンダーコミュニティの「流儀」は、戦後、新宿などで活動した女装男娼の「流儀」が継承されている。
ゲイコミュニティの「流儀」はそうではなさそう(アメリカ進駐軍の「流儀」かも?)。
そうしたアナル・セックスの「流儀」の違いが、HIV/AIDSの感染拡大の際に、2つのコミュニティの差異になって現れたという仮説。

(仮説3) 相手のほとんどがヘテロ
・ 女装世界の男性客(女装者愛好男性)の意識は、ほとんどヘテロセクシュアル(三橋2006b) 。
  → ゲイ自認の人はほとんどいない
・ 東京の場合、ゲイコミュニティ(新宿二丁目)と女装コミュニティ(歌舞伎町・新宿三丁目)の分離はかなり明確(三橋2006a)。
  → ゲイコミュニティに出入りしている客は女装コミュニティには来ない
  → ゲイ世界でのHIVの感染拡大が波及しなかった
(仮説4)コミュニティに外国人がいない
・ 1990年代の新宿の女装コミュニティには、私が知る限り、女装者にも女装者愛好男性にも、外国人はいなかった。(おそらく1980年代も)
  → 国内でHIV/AIDSがある程度広がるまでは(1990年代初頭)、主要な感染経路は外国人
 (参照)1985年夏、松本孝夫順天堂大学講師の男性同性愛者の調査
113人中陽性5人(4.4%)、日本人93人中3人、外国人20人中2人。
    日本人の陽性者3人全員は外国人パートナーをもつ。
    → 外国人同性愛者から日本人パートナーへという感染ルート
・ コミュニティの関係者に外国人がそれなりにいたゲイ世界と、外国人がほとんどいなかった女装世界との差は、感染源・経路を考えた場合、かなり重要。
【補足説明】
1990年代のトランスジェンダー・コミュニティには、女装者にしろ、女装者愛好男性にも、(欧米系)外国人はほとんどいなかった(おそらく1980年代も同様)。
コミュニティが小さく閉鎖的で、そういう人たちがいることすら、日本人にも、外国人にも知られていなかったからなのだが。
この点が、外国人がそれなりに出入りしていたゲイコミュニティとは大きく異なる。
HIVウィルスは海外起源であり、AIDS流行の初期には、「AIDS上陸」などとマスメディアが騒いでいたように、外来のものだった。
実際、1980年代後半のごく初期の日本人(性的)感染者は、外国人のパートナーを持っている方がほとんど。
そうした状況だったので、外国人がほとんどいなかったトランスジェンダー・コミュニティはHIV/AIDSの感染源・感染経路をもたなかったということになる。
その点が、感染源・経路をもっていたゲイコミュニティとの決定的な違いになったと思われる。
(日本人の間で感染が拡大した1990年代後半以降は、そうした差異は基本的になくなる)

4 なぜ女装者やニューハーフの存在はエイズ対策において周縁化され続けてきたのか?
(仮説A)感染率がゲイ世界に比べて低かったので、調査対象として十分に認識されなかった。
(仮説B)ゲイ世界以外に女装世界、ニューハーフ世界が存在することを、厚生省の役人、疫学研究者が知らなかった。
→ (仮説B)に100万ジンバブエドル!
(理由) 
・ 日本で性同一性障害医療が立ちあがる頃(1996年)、医師たちは「ニューハーフ」がなにか、知らなかった。
・ ほとんどの学者の知識ってそんなもの。
・ 「現場」を知らない、知ろうとしない。
「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きてるんだ!」(by 青島刑事)

まとめにかえて ー今、なすべきことー
(0) HIV/AIDS問題がトランスジェンダーの健康にとっての重大な問題であるという基本認識の確認。
(1) 諸外国との比較ができるように、トランスジェンダーを単独の調査・統計項目にする。
(2) とりわけ、セックスワーク系のトランスジェンダーの実態調査を進める。

(問題点)
・ 2000年代以降の「性同一性障害」の流行でトランスジェンダー・コミュニティが縮小・拡散。
 → コミュニティとしての情報共有が困難
・ NHヘルスが店舗型から、デリバリー型へ、さらに個人営業化。
 → 状況把握が困難
・ 性別適合手術が「反転法」(人工膣の内張りは皮膚)から「S状結腸法」(人工膣の内側は腸粘膜)へ。

参考文献
・ 久保島静香1988「『ビフォア・イット』の記憶」
 (『くいーん』110号、アント商事)
・ 三橋順子2006a「現代日本のトランスジェンダー世界 -東京新宿の女装コミュニティを中心に-」
 (『戦後日本女装・同性愛研究』中央大学出版部)
・ 三橋順子2006b「女装者愛好男性という存在」
 (『戦後日本女装・同性愛研究』中央大学出版部)
・ 三橋順子2017「女装秘密結社『富貴クラブ』の実像」
 (アジア遊学210『歴史のなかの異性装』勉誠出版)

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