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大阪の女装文化 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

11月6日(日)

昭和戦前期、女装男娼の最大拠点は大阪「釜ヶ崎」だった(戦後、阿倍野旭町に移動)。
1950年代後半~60年代、女装系のゲイバーは東京より大阪の方が盛んだった。
アマチュアの女装者が集まる場所ができたのも東京より大阪の方が早かった。
高度経済成長期が終わる70年代の前半くらいまでは、大阪の方が女装文化の「先進地帯」だったのは間違いない。

ところが、その後、東京がだんだん追いつき、1980年代になるとはっきり優位になる。
1990年代前半に「ナニワのニューハーフ」が、後半に「新幹線女装族」がブームになるが、それも一時のことで、以後はますます東京が女装文化発信の中心になっていく。

経済都市として栄えた大阪の没落、東京との経済力の逆転が、そのまま「女装史」に投影している。

全体的な見取り図は上記のようになるが、まだまだわからないことが多い。
たとえば、女装系のゲイバーが盛んだった大阪は、東京に比べて非女装のゲイバーの主流化が遅れた可能性が高い。
1960年代末~70年代、東京で「新宿二丁目・ゲイタウン」が成立したのと見合う現象が大阪であったのだろうか?

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