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「西郷(せご)どん」(初回)を見て [テレビ批評]

1月7日(日)

NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」(初回)を見ての感想。

薩摩藩の郷中(ごじゅう)教育と、会津藩の「日新館」を中心とする武士道教育とでは、システムも内容がかなり違う。
形而上学的な(儒教的な)学問レベルははっきり言って、かなり違う(会津の方が圧倒的に上)。

それはともかく、江戸時代を通じて、藩士子弟の教育に(異様に)熱心だったのは会津、薩摩、そして長州藩だったことは間違いない。

幕末維新の争乱で、この3藩が最後まで戦ったのは、ある意味、必然だったのかもしれない。
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薩摩と会津の大きな違いは女子教育。

薩摩藩では強烈な女性蔑視のもと、教育の場から女子を徹底的に排除した。
だから、明治維新で薩摩が権力を握っても、女性の人材はほとんど出ていない。

会津は、女子にも武芸を習わせた。とくに薙刀。
会津戦争で奮戦して散った中野竹子ら「会津娘子軍」は、そうした会津の女子教育の成果。
また、鉄砲術にたけた山本八重(後の新島八重)のような女子もいた。

明治時代になり賊軍の子女というハンデキャップを負いながら、山川(大山)捨松、新島八重(同志社女学校)、山川二葉(東京女子高等師範)などの女子教育者や、瓜生岩子などの社会事業家を出したのも、会津藩の女子教育のレベルの高さを証明している。

私の母方の祖母(会津藩江戸藩邸詰・神尾家の出身、1900年生)は女学校に行っている(白金の香蘭女学校。結婚のため卒業はしていない)。
裕福な家庭の子女でも学校教育を受けさせない(受ける必要がない)という形は、薩摩や長州ではけっこうあったように聞いている。
会津のような賊軍の子女はせめて教育を受けないと、這い上がれない。
祖母の家も賊軍の没落士族だから、お金はなかったと思う。
ただ会津の士族の子女には、元・家老の山川家(大山捨松の生家)を中心に、今で言う「奨学金」的な互助組織があったらしい。
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薩摩藩の郷中制度である「兵児二才(へこにせ)」制では、年長の少年が年少の少年を犯すのは、ごく普通に見られた習俗。

犯された年少の少年が数年経てば、今度は犯す側に回る。

こうして男色の精神と、肛門性交の技術がエンドレスに継承される。

http://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2015/12/post-4181.php







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真樹猫ちゃん

薩摩といえば、あの偉大なる豊後の王、どん・ふらんしすこ(大友宗麟)に刃向かった、異教徒の蛮族ではにゃいですか。大坂夏の陣で聖ヤコブの御旗を強奪したのもこの者らと聞いておりみゃす。
by 真樹猫ちゃん (2018-01-10 22:36) 

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