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上田城 [旅]

3月10日(木)
(続き)
上田駅のコインロッカーに荷物を預けて、お城を見に行く。
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↑ おっ、こんなところに長野大学の広告が・・・。

「お城口」から北へ緩い坂道を上り、西に折れて大手筋を進む。
城下町によくあるパターンで、お城に近い所に市役所など行政施設が多い。
徒歩10数分で、上田城址公園の入口に到着。
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上田城は、信濃国小県郡の有力国衆で、甲斐武田氏に属していた真田昌幸(1547~1611年)が1583年(天正11)に築城した平城。
真田昌幸が、1585年、1600年と二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦の舞台として名高い。
しかし、第二次上田合戦の直後の関ヶ原の戦で、真田昌幸、信繁父子が属した西軍が敗北したため、上田城は破却され、いったんは廃城になった。
1622年(元和8)、小諸藩から仙石忠政(1578~1628年)が移封され、上田城の再建に着手。
その際、真田氏の縄張りを利用したと推測されるが、建物や塀などは新たに築かれた。
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南を千曲川の分流「尼ヶ淵」の断崖に接し、西と北には矢出沢川を引き込んだ広い水面があり、東側は蛭沢川を防衛線とした。
唯一の責め口である東側も懐が深く、平城ではあるが、きわめて実戦的な攻めにくい縄張り。

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↑ 二の丸の堀跡。かなり深い。
コンクリーの部分を、1969年まで上田電鉄真田傍陽(そえひ)線の電車が走っていた。
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↑ 本丸東側の堀。
深さだけでなく、幅が広く、これを越えるのはかなり困難。
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↑ 南側は「尼ヶ淵」の断崖。
現在は市街地になっているが、当時は千曲川の流れがもっと近かった。
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↑ 本丸東虎口の櫓門と隅櫓。 
建物は、仙石氏時代のものを復元。
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↑ 櫓門北側にある「真田石」と呼ばれる大石。
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↑ 西櫓。
これだけは寛永年間の再建されたものが今に伝わる。

ほんとうは、三の丸から尼ヶ淵に廻って、外から眺めたかったが、時間がないので断念。
二の丸跡の「上田市立博物館」を見学。
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本館の通常展示(仙石氏→藤井松平氏時代中心)を見た後、別館の「真田三代の活躍した時代」展へ。
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昨夜、別所温泉「桂荘」で、丸島和洋『真田四代と信繁』(平凡社新書 2015年11月)を借りて予習していたのだが、そこに出てきた文書(複製)がいくつも並んでいて、興味深かった。

ここでタイムアップ。
少し道筋を変えて、上田駅に戻る。
風が冷たい。
駅ビルの「TULLY'S COFFEE」で休憩。
コーヒーで温まる。
16時53分発の北陸新幹線「はくたか570号」に乗車して、帰路につく。
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18時12分、東京駅に帰着。
JR山手線(目黒駅乗換)東急目黒線で自宅最寄り駅へ。

長野大学教職員研修会で講演 [お仕事(講義・講演)]

3月10日(木)
(続き)
迎えの車に乗って、塩田平を通過。
雪はもうかなり融け始めている。
やはり、春なのだ。

9時25分、長野大学に到着。
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小会議室に案内され、いろいろご手配いただいた学生支援課・課長の小金澤さんにご挨拶。
その後、キャンパス・ソーシャルワーカーの森さんも交えて、大学の様子ををうかがう。

長野大学は、長野県上田市にある私立大で、1966年に本州大学として創立され、今年50周年を迎える。
いただいた名刺によると、日経グローガルの「大学の地域貢献ランキング」で私立大学1位とのことで、地域密着型の大学。
社会福祉学部、環境ツーリズム学部、企業情報学部 の3学部で構成され、学生数は1250人ほどで、大学としては小規模。
にもかかわらず、近年の卒業生で、少なくとも2人、戸籍の性別変更までしている人がいるとのこと(MtF、FtM各1人)。
現在在籍の学生の中にも、性別違和感を抱える学生さんがいるとのこと。

10時前、講演会場の大会議室に移動。
大学のキャンパスが丘の斜面にあり、校舎によって1階の高さが違う。
都留文科大学と似た立地で、バリア・フリー化がたいへんだと思う。

大会議室で、今回、お声を掛けていただいた社会福祉学部の旭洋一郎教授にご挨拶。
FaceBookでのつながりが、こうして形にしていただいて、とてもうれしい。

10時10分、長野大学教職員研修会、開会。
20数人ほどの教職員の方が集まってくださった。
1時間半の予定で「性別違和感を抱く学生に大学はどう対応したらいいか」というテーマでお話する。
内容的には、2014年7月27日に明治大学(駿河台)で開催された「第53回(明治大学)学生相談室夏期セミナー」でお話した内容を、リニューアル&ヴァージョンアップしたもの。
前半は基礎知識の説明と、「性別違和」の現在について概説。
後半は「大学はどう対応すべきか」について自分の思うところを述べる。
(講演録はこちら ↓)
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-03-11-2

1 基礎知識として
 (1) 同性愛とトランスジェンダー(Transgender)
 (2) 性別違和感(Gender Dysphoria=GD)とは?
 (3) 性同一性障害(Gender Identity Disorder=GID)とは?
 (4) L/G/B/Tとは?

2 「性別違和」の現在
 (1) この20年間の流れ
 (2) 問題点
  ① 「性同一性障害」概念の流布による、性別越境の病理化の進行。
  ② 戸籍の性別変更の目的化による過剰な医療化。 
  ③ 国内の医療施設の不足。
  ④ 過剰な「病理化」、アンバランスな「医療化」による弊害。
 (3)「性同一性障害」の人口比

3 大学はどう対応すべきか
 ① ある程度の規模の大学なら、強い性別違和感をもつ学生が在籍していることは、確率的(約10000人に1~3人)に当然で、特異なことではない(いて当たり前)という認識をもつべき。
 ② 異性装・性別越境それ自体は、「病」でも「性的逸脱」でもなく 服装表現・性別表現・ジェンダー選択は自由なのだから、基本的には本人の自主性に任せるべき(放っておく)。
 ③ 学生名簿の男女欄/男女識別記号、学生証の性別記載欄など、必ずしも必要でない性別記載を減らし、環境整備に努めて欲しい。
 ④ 性別違和感をもつ当事者が相談に訪れた場合は、どのような自分でありたいのか、そのために何が障害になっているのかを聞くこと。
 → 最初から「病気」(性同一性障害)と決めつけるべきではない。
 ⑤ 適当な参考書を紹介して知識を提供する。
 → 適切な「メニュー」を提示して、選択は本人の意思に任す。
 ⑥ 強い身体違和や性別違和感に由来する社会的不適応を訴える学生には、性同一性障害の専門医を紹介して、専門的なカウンセリングを受けるように方向づける。
 → 「はりまメンタルクリニック」
 ⑦ 学内での「女性扱い」(MtF)、「男性扱い」(FtM)を学生が希望する場合は、希望する性別への適合度を慎重に観察して、ある程度(1~4年間)の継続性を前提に、通称名の学内使用をはじめ可能な限り必要な措置をとって欲しい。
 ⑧ 在学中に(合法的に)戸籍名を「望みの性別」にふさわしいものに改名したり、戸籍の性別を変更する学生・院生がいることを認識する。そこに至るプロセスには必要な協力をして欲しい。
 ⑨ トランスジェンダーにとって最大の難関になる望みの性別での就職には、大学側が格別の配慮と可能な限りのバックアップをして欲しい。
 ⑩ 全体として、性別違和感を抱える学生を「障害(病気)」として隔離的に処遇するのでなく(医療の手に委ねて済ませるのではなく)、大学という一つの社会全体で受け入れて行く姿勢が望まれる。

いつもより落ち着いて、ゆっくりしゃべったので10分ほど超過してしまい、11時55分、予定していたお話を終える。
15分ほど質疑応答。
12時15分、閉会。

最初の小会議室に戻って、旭教授と学生支援課の皆さん10人ほどでランチ談話会。
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講演では話せなかったこともいろいろお話できて、楽しい集いだった。

同時に、地方の場合、性別違和感をもつ学生が、都会よりもずっと孤立しやすい状況にあることを痛感。
都会の学生が何万人もいる大規模な大学なら、必ず学内に同じような悩みをもつ人(仲間)がいる。
さらに、インターカレッジ的に他大学の仲間とも知り合える。
しかし、地方の小規模な大学は、そういう環境ではない。
インターネットで情報を集めて、積極的に外に出て行けるような正確ならいいが、誰もがそれをできるわけではない。
結果、家庭でも、地域でも、大学でも孤立してしまい、悩みを1人で抱え込んでしまう。

長野県の場合、残念ながら、性別違和について十分な知識をもって、親身に診てくれる医療機関がない。
地方在住の性別違和をもつ人を取り巻く困難な状況を知り、少しでも状況を良くする努力がもっともっと必要だ。

いろいろ考える機会を与えてくださった長野大学の皆さん、とりわけ旭洋一郎教授に感謝申し上げる。

14時過ぎ、皆さんに見送っていただき、辞去。
群馬県嬬恋村出身の若手の職員さんに上田駅まで送ってもらう。
(続く)


3月10日(木)雪が止んだ朝、別所温泉・北向観音 [旅]

3月10日(木)  曇り  長野  5.9度  湿度58%(15時)

5時40分、起床(信州上田・別所温泉「桂荘」)。
「山の湯」に入って、身体を起こした後、早めに化粧と身支度。

8時過ぎ、朝ご飯の前に散歩に出る。
雪化粧した樹木が美しい。
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足元に注意しながら、お宿からすぐ近くの「北向観音」(北向山常楽寺)にお詣り。
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平安時代初期、天長2年(825)に慈覚大師円仁の開山と伝える古刹。
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↑ 「北向」の名は、文字通り、観音堂が北向きに立つから(北斗信仰と関連)。
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↑ 左手前、不動堂。
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↑ 温泉薬師堂。
江戸時代中期までは「大師湯」の西隣りであったが、寛保2年(1741)湯川の氾濫で流失。
文化6年(1809)に場所を移して再建された。
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↑ 六地蔵さんも雪帽子。
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↑ 齢1200年の桂の老木(長野県の天然記念物)。
観世音菩薩、影向(ようごう=神仏が姿を現すこと)の霊木と伝える。
川口松太郎(1899~1985、第一回直木賞受賞)が境内の愛染堂とこの木にちなんで「愛染かつら」を執筆した。

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↑ 上田平、遠望。

8時半、朝食。
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暖かいお味噌汁で冷えた身体にうれしい。
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9時、チェックアウト。
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↑ 「桂荘」、とても居心地の良いお宿で、リラックスできた。
またぜひ来たい。

9時10分、迎えの車で、長野大学へ。
さあ、仕事!
(続く)

別所温泉「桂荘」 [旅]

3月9日(水)
(続き)
温泉街共同の送迎バス(ぐるっとバス)で、今日のお宿「桂荘」へ。
「北向観音」のすぐ近くにある木造3階建のこじんまりしたお宿。
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↑ 翌朝、撮影。

案内されたお部屋は3階の「女神」の間。
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3階には2部屋しかなく、最近、リニューアルされたお部屋。

大きな窓から見える景色はこんな感じ。
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「北向観音」にお詣りしようと思っていたが、この状況では・・・。
無理して転んだりしたら明日の仕事に差し支える。
なので、あきらめて、温泉三昧をすることに。

なぜこのお宿を選んだかというと、大浴場がなく、源泉かけ流しの貸切風呂が3つあるという構造だったから。
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しかも、貸切風呂は、無料で24時間、自由に入れる。

さっそく、壁が抜いてある「香りの湯」で、雪見風呂。
りんごの実が浮いている。
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冷たい外気が入るので、長湯してものぼせない。

泉質は単純硫黄泉。
源泉温度は50.9度、Phは8.9。
ほのかな硫化水素臭、無色で透明度が高い、気持ちが良いお湯。

続いてやや大きめの「山の湯」にゆったり浸かる。
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ああ、気持ちいい。
温泉、久しぶりなので、うれしい。
もう大満足。

でも、まだ仕事はしていないんだな。

18時半、1階の食事処で夕食。
今日の宿泊客は2人のようだ。
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↑ 先付け。
中央は山ウド、右奥は田芹、左の黒っぽいのは鯉の内臓の甘露煮。
地場の食材を上手に使っている。
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↑ お酒は、地元の「山三酒造」(上田市御嶽堂)の「真田六文銭 特別純米酒」。
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↑ お造り。
左からシナノユキマス(信濃雪鱒)、鯉のあらい、ほうれん草。
やはり、地元の川魚中心。
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↑ 上州豚の温かいお寿司(肉の下にご飯がある)
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↑ 熱々の酒粕汁(大根、人参、じゃが芋)
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↑ 鯰(なまず)とオレンジ、細かく切った牛蒡の組み合わせ。
鯰は、癖がなくおいしい。オレンジが少し甘過ぎ。
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↑ 信州牛のしゃぶしゃぶ。
お肉、たっぷり。
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↑ ご飯。
しゃぶしゃぶでかなりお腹一杯で、油揚げのお汁は残してしまった。
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↑ デザート。ブルーベリーのアイスクリーム。

地場の食材を活かそうという意識がはっきりしていて好感。
質量ともに、私にはちょうど良く、満足、満足。

ほろ酔いで、お腹いっぱいで部屋に戻り、ベッドで本を読んでいるうちに、気持ちよく眠ってしまう。
目が覚めたら、23時。
3時間ほど眠ってしまった。

また「山の湯」に浸かる。
温まった身体でベッドへ。
就寝、0時(別所温泉「桂荘」)。