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新宿「花園八番街」(ゴールデン街地区)で火事、4棟焼ける [事件・事故]

4月12日(火)

大学の講義から帰宅してインターネットを見たら、新宿ゴールデン街で火事のニュース。
驚きながら、ネットと夕方のニュースで情報収集。
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↑ 「まねき通り」から北方向を撮影。「トミー」の看板がある先が「花園五番街」とのT字路。
「ハニー」(白い看板)のあたりまで焼けたと思われる。
Cf0b3YRUIAAp-76.jpg
↑ 「花園八番街」の看板が見える。「八番街」の路地を東から西方向に望む。
火元が「八番街」の奥だということがわかる。
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↑ 北西側のビルの上から。火を噴いているのが「流民」が入っている建物。

火元は「花園八番街」と「まねき通り」の角の「流民」のあたりのようだ。
この2階には、友人の村田高美さんがママをしていた女装スナック「高美」があった(しばらく前に閉店)が、焼けてしまった。

Facebookで友人の正一努さんが手伝っていた「チキート」も類焼してしまったようでショック。
ほんとうにご愁傷さまです。
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↑ およその焼失範囲(未確認情報)

ゴールデン街・花園街の建物のほとんどは1951年頃の建築で築60年以上の木造建築。
密集している上に棟割長屋構造なので火が回りやすく(2階を走る)、火事にはめっぽう弱い。

3月に「文化資源学会」の「遠足」(巡見)で、このエリアを歩いた時にも、「火事がいちばん怖いのです」と説明したばかりだった。

ただ、建物の状態が状態だけに、4棟で止まったのは、不幸中の幸いだったのかもしれない。
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新宿ゴールデン街で火災 4棟延焼、60代女性がけが

12日午後1時半ごろ、東京都新宿区歌舞伎町1丁目の、飲食店が立ち並ぶ「新宿ゴールデン街」の北西の一角の建物から出火。警視庁などによると、複数の店舗が入る計4棟が焼け、現場近くに住む60代の女性が煙を吸って軽傷を負った。

四谷署は、出火元は木造モルタル2階建ての2階付近とみて調べている。署によると、この建物の1階は飲食店が入っているが、2階は空き店舗。13日から改装工事が始まる予定で、出火当時は無人だった。

ゴールデン街は古い木造長屋にバーなどの小規模店が入る飲食店の密集地で、付近には区役所やホテルなどがある。東京消防庁の車両やヘリなど計41台が出動して消火活動にあたった。歌舞伎町1、2丁目の約500世帯が一時停電した。

現場近くに住む70代の男性は「狭い場所で消防車が入れず、ホースを引っ張ってきて消火していた。風が強く乾燥していて火が燃え広がっているようだった」。近くのスナックの女性店主(69)は「連絡を受けて飛んできたが、店が水浸しで営業できない」と嘆いていた。

『朝日新聞』2016年4月12日22時42分
http://www.asahi.com/articles/ASJ4D53FFJ4DUTIL02B.html?iref=comtop_pickup_04

4月12日(火)明治大学文学部「ジェンダー論」第1講は「ガイダンス-「性」を考えることの意味-」 [お仕事(講義・講演)]

4月12日(火)  晴れ  東京  15.1度  湿度33%(15時)

8時半、起床
シャワーを浴びて、髪と身体を洗い、髪はブローして、あんこを入れて頭頂部で結んでシュシュを巻く。
朝食は、新丸子駅前「ブーランジュリー・メチエ」のグレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
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化粧と身支度。
黒と白のジラフ柄のロング・チュニック(長袖)、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショートブーツ、焦茶のトートバッグ。
黒と錆朱の有松絞りのショール。
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10時半、家を出る。
風が冷たい(今日の東京の最高気温15.1度は平年より3.3度低い)。
もっと暖かいショールにすべきだった。

桜はもうお終いだけど・・・、
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藤の花が咲き始めた。
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東急目黒線から都営地下鉄三田線に入る。
11時45分、神保町駅に到着。

11時55分、明治大学(駿河台)に到着。
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事務職員に「今期もよろしくお願いします」と挨拶。
昨年度の履修者が215名だったのだが、念のためレジュメを250部印刷。
教室は今年も「リバティ・タワー」1階の「リバティ・ホール」(大講堂)。
12時30分、3枚×250部=750枚を抱えて教室へ。

ん?早めに来ている学生さん、なんとなく多いような気がする。
レジュメとパワーポイントのセッティング。
いったん講師控室に戻って、コンビニで買ったお握りを食べて腹ごしらえ。

なんとなく不安になって、開始10分前に行ってみると、明らかに昨年より多い。
レジュメの残数を確認して「これは足りなくなる」と判断。
教員控室(3階)に戻って大急ぎで30部増刷。
それを持って教室に行くと、さらに学生さんが殖増していて、まだ足りない。
再度、教員控室に戻ってもう30部増刷。
足が痛いのに4往復もしてしまった。

これでようやく足りて、15分遅れの13時15分、2016年度明治大学文学部「ジェンダー論」開講。

第1講は「ガイダンス-「性」を考えることの意味-」。
まず、シラバス(授業計画)のプリントを渡して説明。

次に、講師の自己紹介を兼ねて、私の今までの軌跡と研究してきたことについて話す。
時間の関係で、パワーポイントで写真を見せながら簡潔に。
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■ 私の軌跡 -新宿歌舞伎町の女装ホステスからトランスジェンダー研究者へ-
(1)性別違和感の自覚と女装技術の習得
(2)ネオンの似合う「女」になる
(3)トランスジェンダーの当事者として語る
(4)「女」性研究者としてのスタート
(5)大学の教壇に立つ
(6)海外に視野を広げる
(7)トランスジェンダー研究者として 
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最後に、ジェンダー研究の講義を受講する「動機づけ」として、「性」を考えることの意味について話す。
■ 「性」を考えることの意味
(1) 「生」と「性」の不可分性
(2) 「性」を内省することの必要性
(3) 性別二元社会の仕組みを知る
---------------(ここまで)-------------------
(4) 女性と性的マイノリティが果たしてきた役割
(5) 「性」を考えることの普遍性と今日性

少し解説が残ってしまったが、15分ロスなので、まあ仕方がない。
14時30分、終了。

結局、250+30+30=310部を印刷したわけだが講義終了後の残部は8部。
例年、ガイダンスの後の履修変更で若干増加するので、今期の履修登録は、前年比+100人で315~320人と予想。

まったくもって、「びっくりぽん」である。
あきらかに「LGBTブーム」の余波。

講師としては話を聴いてくれる受講生が多いのは「ありがたいこと」と思うべきだが、1回ごとの労働(コメント票の整理・出欠記入)はきつくなり、一方でお給料はまったく増えないのが辛い。
やはり、人数手当、出してほしい。

講師控室で後片付け(残りレジュメの整理とコメント票の仕分)。
15時15分、辞去。
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↑ 空中庭園(2階)の桜。まだ咲残っている。
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↑ 疲れた・・・。

(続く)

昭和前期の女装者の事例(浅田一『性的犯罪者』より) [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

4月11日(月)

ひとつ前の記事で紹介した浅田一『性的犯罪者』(東洋書館、1947年4月、155頁、定価40円)の「第1篇 性的犯罪」の「33 異性変装」から女装者の事例を紹介する。

(その4)
「高田義一郎博士『変態性慾と犯罪』によれば、昭和3年4月4日の夜、浅草公園第一区のベンチで通行中の男の袖をひく怪しい女があった。断髪、長袖の典型的なモダンガールと思いきや。本所亀沢町のカザリ職佐藤幸一という22歳の青年であって、男をだまして金品を巻き上げていたという。」
(註)
高田義一郎(たかた ぎいちろう) ----- 1886~1945年(明治19~昭和20年)、医学博士、文筆家。
滋賀県栗太郡草津村の名家に生まれるが、父の放蕩により没落。
苦学して旧制第三高等学校、京都帝国大学医学部を卒業、同校法医学教室助手となる。
1919年(大正8)、千葉医学専門学校(現:千葉大学医学部)教授となったが、1922年(大正11)文部省在外研究生として独、伊、英に留学。
帰国後、1924年(大正13)、筆禍により千葉医科大教授を辞任。
東京溜池に日本初の小児科医院を東京溜池に開設。
医学関連書のほか、性科学や犯罪科学をテーマにしたユーモア・エッセイ、SF怪奇小説などを当時気雑誌『新青年』などに発表し、文筆家としても活躍した。
著書に『法醫学』(克誠堂書店、1917年)、『現代ユウモア全集:高田義一郎集11 らく我記』(現代ユウモア全集刊行会、1928年)、『結婚読本』(春陽堂、1929年)『犯罪と人生 変態性欲と犯罪(近代犯罪科学全集第1巻)』 (武侠社、1929年)、『変態性慾考』(武侠社、1931年)、『変態医話』(千代田書院、1936年)、『自叙伝「みの虫」の一生』(1943年)など多数。
ちなみに高田義一郎と浅田一は「三高時代の級友」とのこと(83頁)。
『変態性慾と犯罪』 -----「近代犯罪科学全集」の第1巻として、1929年に武侠社から刊行。
浅草公園第一区 ----- 浅草寺の境内。
本所亀沢町 ----- 現在の台東区亀沢一帯。

(解説)
東京浅草における男娼の活動事例の比較的早い事例。
『東京朝日新聞』 1927(昭和 2)年8月13日号に「また今暁にかけて不良五十名を検挙 中には断髪姿の女装も二人 象潟署の大活動」という見出しの記事があり、「断髪姿の女装」者(おそらく男娼)が検挙されたことが見えるが、それに次ぐ事例。
ただ、戦前の浅草における男娼の出没地点は第四区の「瓢箪池」の畔やその東側の「木馬館」周囲の植込みがほとんどで、浅草寺境内の第一区というのは珍しい。

(その5)
「其頃大阪飛田遊廓には女装の男娼10人許り売笑していたという。」

(解説)
簡単な記載だが、正確には「飛田遊廓」の周辺だと思われる。
飛田に近接する釜ヶ崎では、昭和初期から女装男娼の活動が知られ、ある程度の組織化が進んでいたと思われる。
(参照)三橋順子「日本女装昔話【第33回】女装男娼の集合写真」
 (初出『ニューハーフ倶楽部』56号(2007年5月 三和出版)
http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2012-09-20-12
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↑ 1935年(昭和10)頃と推測される大阪の女装男娼の集合写真。
(「日本花卉研究会-世にも不思議な社交クラブ-」『週刊文春』1959年6月15日号)

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↑ 女装男娼と思われる人たちの集合写真。
撮影時期・場所不明ながら、ファッションから1930年代と推定。
(井上泰宏『性の誘惑と犯罪』1951年10月 あまとりあ社 )