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都電と「連れ込み旅館」 [性社会史研究(連れ込み旅館)]

4月30日(土)

1960年代までの東京を語る場合、都電の交通網を頭に入れておくことが重要だ。
東京の「赤線」(黙認買売春地区)の立地がまさにそうで、執筆中の著書に掲載予定の論考「欲望は電車に乗って―都電と「赤線」―」は、その観点から「赤線」の歴史地理を考えてみた。

ところで、現在、作成中の「東京『連れ込み旅館』広告データーベース(1953~57年)」では、鉄道(電車)の駅を基準に地域を分類しているが、都電が走っていた都心エリアでは、それではうまくいかない例がいくつもあることに気づいた。
そこで、都電の電停が案内に記されている事例を集めて簡単な分析を加えてみた。

(1)「石切橋」電停の「ホテル小日向」
小日向(ホテル小日向・19570602).jpg
(『内外タイムス』1957年6月2日号)


「飯田橋下車」とある「ホテル小日向」。
「飯田橋・神楽坂」地区に分類しようと思ったが、「小日向」という名称が気にかかる。
そこで「都電石切橋」を調べると、飯田橋(千代田区)の駅前から目白通り(新宿区と文京区の境界)を走る都電15系統(茅場町~高田馬場)もしくは39系統(厩橋~早稲田)に乗り北へ、大曲、東五軒町を過ぎて3つ目が石切橋の電停。
そこから次の江戸川橋の電停までの間がだいたい「小日向」(文京区)という地域。
「ホテル小日向」の正確な場所はまだ突き止めていないが、石切橋の電停は国電飯田橋駅からだと約1.4kmあるので、やはり都電立地と考えるべきだろう。

(2)「池ノ端七軒町」電停の「清和園」
上野(清和園・19530123).jpg
(『内外タイムス』1953年1月23日号)

ちょっと文字が見にくいが、上野の不忍池の北畔にあった「清和園」という旅館。
正確な所在地は不明だが、現在の地名だと台東区池ノ端二丁目か、文京区根津二丁目と思われる。
広告には「都電七軒町前」とある。「七軒町」は正式には「池ノ端七軒町」で、都電20系統(江戸川橋~須田町)・37系統(三田~千駄木町)の電停。
20・37系は上野広小路ー上野公園(不忍池の南東隅)ー動物園前(不忍池の北東隅)ー池ノ端七軒町というルートで、国電の上野駅前は通っていない。
上野駅南口から上野公園の電停までは約300mほどだが、歩かないといけない。
上野エリアと言えば言えなくもないが、やはり都電立地で別に考えるべきだろう。

(3)「田村町四丁目」電停の「たむら」と「初音」
新橋田村町(たむら・).JPG
新橋田村町(初音・19570707).jpg
(『内外タイムス』1957年7月7日号)

「田村町」と言ってすぐに「ああ」とわかる人は、かなりの「昭和の東京通」だと思う。
JR新橋駅北口から西に200mほど行った「西新橋」交差点が旧「田村町」交差点。
ここにあった「田村町一丁目」電停は「日比谷通り」を走る都電2系統(三田~白山曙町)・37系統(三田~千駄木町)と「外堀通り」を行く5系統(目黒~永代橋)が直交する都電の要所だった。
「たむら」と「初音」があった「田村町四丁目」電停は、「田村町一丁目」の1つ西で2系統と37系統が通っていた。現在の「新橋4丁目」交差点で、港区新橋4丁目」、5丁目、西新橋2丁目、3丁目の接点。
都電2系統の路線をほぼ踏襲して「日比谷通り」の下を走る都営地下鉄三田線の御成門駅と内幸町駅のちょうど中間になる。
国電新橋駅烏森口からは700mほどで、歩けない距離ではないが、やはり都電立地だろう。

(4)「小石川柳町」の「文楽荘」
小石川柳町(文楽荘・19531017).jpg
(『内外タイムス』1953年10月17日号)

「小石川柳町」も「江戸っ子」以外は「それどこ?」だと思う。
「白山通り」を通っていた都電2系統(三田~白山曙町)・35系統(巣鴨車庫~田村町一丁目)で、水道橋ー後楽園ー春日町ー初音町ときて次が小石川柳町。
現在の地名は文京区小石川1丁目で、都営地下鉄三田線春日駅から北に500mほど歩く。
いちばん近い国電の駅は水道橋駅だが、1.3kmほど離れていて、やはり都電に基づく立地。

(5)「白山上」・「本郷肴町」電停の「あけぼの荘」
白山(あおば荘・19541009).jpg
(『内外タイムス』1954年10月9日号)

都電2系統(三田~白山曙町)・35系統(巣鴨車庫~田村町一丁目)で、小石川柳町ー八千代町ー指ヶ谷町と「白山通り」を進んで、次の電停が白山上。
しかし、そこは最寄りではなく「あけぼの荘」へは「本郷肴町」電停の方が近かった。
「本郷肴町」は、「本郷通り」を走る都電19系統(日本橋~王子)で、本郷三丁目から東大赤門ー東大正門-東大農学部-本郷追分町-蓬莱町と進んで、次が本郷肴町。
「あけぼの荘」があった場所は、広告の地図で見ると、文京区駒込蓬莱町(現:向丘2丁目)と思われ、現在、「本郷通り」の下を走る東京メトロ南北線の本駒込駅が近い。
ここも国電の最寄りの山手線駒込駅や日暮里駅から1.5kmほど離れていて、都電に乗るしかない。

(6)「東大久保」電停の「二條」
新宿抜弁天(二条・19550620).jpg
(『内外タイムス』1955年6月20日号)

新宿駅前(靖国通りの歌舞伎町の前あたり)から都電13系統(水天宮~新宿駅)に乗り、角筈ー四谷三光町ー新田裏ー大久保車庫と進んで、次が東大久保の電停(三光町からだと「四ッ目」ではなく三ッ目だと思う)。
すぐ近くに八幡太郎・源義家ゆかりの「牛込の抜弁天」(厳島神社:新宿区余丁町)がある。
「二條」は所在地が明らかになっている
新宿抜弁天「二条」地図 (2).jpg
↑ 左手、専用軌道を走ってきた都電13系統が路面軌道になるところが「東大久保」電停。すぐ南側の「厳島神社」(ピンク色)が「抜弁天」。図面右端のオレンジ色が「二條」。

1961年現況の住宅地図では「料亭」になっているが、周囲はほとんど一般住宅ばかり。
現在は、抜弁天の地下を都営地下鉄大江戸線が通過しているが、東新宿駅と若松河田町駅のほぼ中間で駅はない。
当時も国電新宿駅からだと直線距離で1.5kmほど、実際は2km近くあり、かなり遠い。都電なくしては考えられない立地だ。

(7)「霞町」電停の「霞ホテル」
麻布霞町(霞ホテル・19531030).jpg
(『内外タイムス』1953年10月30日号)

以前にも紹介したが、港区の麻布霞町(現:西麻布1、3丁目)の交差点(現:西麻布交差点)で、都電6系統(渋谷~新橋)と7系統(四谷三丁目~品川駅前)がクロスする。
現在、東京メトロ日比谷線(1964年全通)が、広尾駅から外苑西通りを北進して、西麻布交差点の地下で東に折れ六本木通りに入って六本木駅を目指すが、霞町付近には駅はない。

(8)「小川町」電停の「神田家」
神田小川町(神田家・19530708).jpg 神田小川町(神田家・19531016k).jpg
(左)『内外タイムス』1953年7月8日号 
(右)『日本観光新聞』1953年10月16日号
神田小川町(おがわまち)といえば、私が講義をしている明治大学駿河台校舎「リバティタワー」から「明大通り」を渡った向こう側で、「性同一性障害」の専門医院として名高い「はりまメンタルクリニック」がある。
駿河台下交差点から淡路町交差点に至る「靖国通り」の両側に広がる町だ。
そんな所に「連れ込み旅館」があったのか?と思うが、この「神田家」ともう1軒「乃じ」の2軒もあった。
「小川町」電停は、「靖国通り」と「本郷通り」の交差点で、5系統が合流し3方向に分岐していく都電の要衝だった。
「靖国通り」を走る2つの系統、10系統(渋谷駅前~須田町)と12系統(新宿駅前~岩本町)は直進し、大手町方面から来る3つの系統の内、15系統(高田馬場駅前~茅場町)は左折し(西へ)、25系統(西荒川~日比谷公園前)と37系統(三田~千駄木町)は右折する(東へ)。つまり、3方向から来やすい便利な場所ということだ。
「神田家」があった「神田錦町一丁目12」は「小川町」の南側で、現在もそのまま神田錦町1丁目。東京電機大学のすぐ東側で、「靖国通り」の下を走っている都営地下鉄新宿線の小川町駅に近い。
ただ、1960年、1961年」現況の住宅地図には、該当の住所に「神田屋」は見えず、「高砂旅館」という名が見える。もしかすると、屋号を変えたのかもしれない。

ちなみに1950年代、産児制限(太田リング)で名高く、同性愛や異性装を学問的に分析した最初の書籍である『第三の性』( 妙義出版、 1957年)の編著者である太田典禮博士(1900~1985年)の診療所も神田小川町交差点の近くにあった。
太田典礼診察所(19551107).jpg
(『内外タイムス』1955年11月7日号)

(9)「蔵前三丁目」電停の「三福」
蔵前(三福・19540305k).jpg
(『日本観光新聞』1954年3月5日号)
「蔵前三丁目」電停は、都電22系統(新橋~南千住)で浅草橋駅前―蔵前一丁目と進んで、その次。
さらに厩橋―駒形二丁目-浅草とつながる。
現在、この場所には都営地下鉄浅草線の蔵前駅がある。
都電の停留所が地下鉄の駅に受け継がれている例でわかりやすい。
ちなみに、「国技館」は1954~1984年の間、蔵前にあった(跡地は、東京都下水道局の処理場と「蔵前水の館」)。

(10)「神谷町」電停の「翠明荘」
神谷町(翠明荘・19550213).jpg
(『内外タイムス』1955年11月7日号)

「翠明荘」がある神谷町といえば、現在、東京メトロ日比谷線の神谷町駅がある。
しかし、その開業は1964年3月のこと。
それ以前は、都電3系統(品川駅前~飯田橋)、4系統(五反田駅前~銀座二丁目)、33系統(四谷三丁目~浜松町一丁目)の電停があった。
電車の駅からは遠いいが、都電を利用すれば、それなりに便利なところだった。
現在の神谷町駅は、ほぼ電停の位置を踏襲している。

(11)「虎ノ門」電停の「虎ノ門ホテル」
虎ノ門(虎ノ門ホテル・19550315).jpg虎ノ門(虎ノ門ホテル・19550315) (2).jpg
(『内外タイムス』1955年3月15日号) 地図は右が北。

「虎ノ門ホテル」がある虎ノ門には、現在、東京メトロ銀座線の虎ノ門駅がある。
その位置は、「外堀通り」と「桜田通り」の交差点の地下で、かっての「虎ノ門」電停の位置を踏襲している。
銀座線は戦前の開通で、虎ノ門駅の開業は1938年11月のこと。
なのに、地図には地下鉄の駅が見えず、都電の路線だけが描かれている。
新橋方向(下)から田村町一丁目を経て来るのが都電6系統(渋谷駅前~新橋)、神谷町方向(左)から西久保巴町を経て来るのが都電3系統(品川駅前~飯田橋)と8系統(中目黒~日比谷駅前)。(12)の神谷町と同様、都電を使えば便利な場所だった。
それにしても、なぜ地下鉄は広告に記されないのだろう。

(12)「赤坂見附」電停の「ホテル赤坂」と「山王下」電停の「しのぶ」
赤坂見附(ホテル赤坂・19550513).jpg赤坂見附(しのぶ・19570428).jpg
(左)『内外タイムス』1955年5月13日号 (右)『同』1957年4月28日号

同じ、赤坂見附にある旅館の広告。
「ホテル赤坂」は「都電赤坂見附下車」となっているが、「旅荘しのぶ」は「地下鉄赤坂見附下車」「都電山王下」と併記されている。
「しのぶ」の広告は、今まで集めた「連れ込み旅館」の広告の中で、地下鉄利用が明記されている唯一のもの。
「赤坂見附」の電停は、3系統(品川駅前~飯田橋)、6系統(渋谷駅前~新橋)、9系統(渋谷駅前~月島通八丁目)が通過していた。
「山王下」電停は、3系統で赤坂見附の1つ新橋寄り。
新橋―田村町一丁目―虎ノ門―溜池―山王下―赤坂見附というルートになる。
その赤坂見附には、すでに戦前に東京地下鉄(現:東京メトロ)銀座線が通り、電停とほぼ同じ場所の地下に赤坂見附駅が1938年11月に開業している。
(現:東京メトロ丸の内線の開業は1959年3月なので、まだ。)

それなのに「赤坂ホテル」の広告は、地下鉄の存在を無視している。
やはり、「連れ込み旅館」の客は、地下鉄より都電をよく利用したということだろうか。
その証明は難しいが、少なくとも、限られた広告のスペースに、どちらか1つの交通情報を記す場合、地下鉄よりも都電の方が優先されたことは、間違いなさそうだ。

1957年当時、地下鉄はまだ2系統しかなかった(帝都高速度交通営団銀座線・丸の内線)し、それに比べて41系統を擁した都電の利便性がはるかに高かったということだ。
その点、地下鉄の利用価値が極めて高い(12系統)現在の東京の感覚を、この時代の歴史を考える時には修正しないといけない。


引き裂かれる九州中部 [地震・火山・地質]

4月29日(金・祝)

熊本県から大分県にかけての九州中部に強い引っ張り力(張力)がかかり、大地が引き裂かれつつあるのが、よくわかる写真。

今日も、15時09分頃に大分県中部を震源とするM4.4の地震があり、由布市湯布院町で震度5強を記録して、被害が出た。
まだ、安心できない。地震がありました。

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熊本地震 西原村で縦ずれの正断層確認 東北大教授ら

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遠田晋次教授らのグループが熊本県西原村の地表で確認した正断層(中央)=遠田教授提供
西原村の正断層2.jpg
縦ずれと横ずれが同時に起きた仕組み

熊本地震の16日未明の本震で震度7の強い揺れが観測された熊本県西原村で、縦ずれの正断層と横ずれ断層が約2キロの間隔を置いてほぼ平行に走っているのを、東北大の遠田晋次教授(地震地質学)らの研究グループが確認した。同地震について、気象庁は地盤が南北方向に引っ張られる力で断層が横に動いた「横ずれ断層」型としているが、遠田教授らは、部分的に縦方向のずれが別の断層として現れたとみている。

遠田教授らが24日、国土地理院の航空写真に写っていた地表のひび割れを現地で調べ、断層と確認した。正断層は地盤が引っ張られた時に縦にずれ動く断層。同村では俵山の西斜面で、北西側が最大約1.5メートル落ちる形の縦ずれが2キロ以上延びていた。並走する横ずれ断層でも約1・5メートルの横ずれがみられたという。

遠田教授によると、本震が起きた時、震源とされる布田川断層帯の地下の震源断層面に沿う形で横ずれと縦ずれが生じ、それぞれが別々に地表に現れたと考えられる。地震のエネルギーが大きかったためで、「スリップパーティショニング」と呼ばれる珍しい現象だという。【飯田和樹】

『毎日新聞』2016年4月27日 18時04分(最終更新 4月28日 02時15分)
http://mainichi.jp/articles/20160428/k00/00m/040/016000c

4月29日(金・祝)竹の子ご飯 [日常(料理・食べ物)]

4月29日(金・祝)

12時、起床。
朝昼ご飯は、ブルーベリー・デニッシュとコーヒー。

昨夜に続き、東京「連れ込み旅館」広告のデーターベースの作成作業。
16時、一応、完成。

夕食は、竹の子ご飯を作る。
160429 (2).JPG160429 (5).JPG
まずまずの出来栄え。

おかずは、お刺身(かれい、いさき)。
160429 (9).JPG
ラム肉と野菜の炒め物。
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煮竹の子。
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ほやの酢醤油漬け。
160429 (7).JPG

好物の組み合わせで満足。
160429 (8).JPG

お風呂に入って、温まる。
久しぶりに、気持ちの穏やかな休日だった。
寝不足なので、少し早寝。
就寝、3時。

東京「連れ込み旅館」広告データーベース(1953~57) [性社会史研究(連れ込み旅館)]

4月29日(金・祝)

先週に引き続き、昨夜から東京の「連れ込み旅館」広告のデーターベースの作成作業。

1953~56年(昭和28~31)だったのを1957年(昭和32)までに拡張して、約100点を増補。
全450点、軒数にして282軒。

さらに、画像データーベースから地域別リストを作成。

都心エリア(45軒)
城西エリア(104軒)
城南エリア(76軒)
城北エリア(48軒)
城東エリア(9軒)

極端な西高東低のアンバランスが見られる。

さらに詳しく見ると、こんな感じ。

千駄ヶ谷(34軒)
渋谷(24軒)
新宿(20軒)
池袋(17軒)
代々木(14軒)
大塚(9軒)
長原・洗足池・石川台(7軒)
高田馬場(6軒)
新大久保・大久保(6軒)
原宿(6軒)
大森(6軒)

あくまでも広告を出している旅館だが、いろいろ興味深い。