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一橋大学の対応がひどすぎる [現代の性(同性愛・L/G/B/T)]

8月5日(金)

大学のハラスメント相談室に行き、教授や職員、保健センターにも相談した。だが、大学側は「性同一性障害」を専門とするクリニックへの受診を勧めてきた」
https://www.buzzfeed.com/kazukiwatanabe/gay-student-sued-hitotsubashi-university?utm_term=.vvRGodVL5#.kqJ42ZzAg
「『ゲイだ』とばらされ苦悩の末の死 学生遺族が一橋大と同級生を提訴」(渡辺一樹氏)

「BuzzFeed News」の記事のこの部分を読んだとき、我が目を疑った。
天下の一橋大学のカウンセラーがこんなひどい認識なのか!

「性同一性障害」が一般社会に広く流布する中で、同性愛が再び病理(病気)として認識される傾向が出てくることを、以前から危惧していたが、それは一般の人々に対してであって、まさか専門職である心理カウンセラーまで、同性愛≒性同一性障害→受診という認識だったとは!

これはひどい! この一事で、大学が適切な対応を怠ったのは明らかだ。

一橋大学は「ジェンダー研究センター」があるし、ジェンダー&セクシュアリティが専門の先生もいる。さらにL/G/B/Tの専任教員もいるはず。
なのに、こういう不適切かつ冷淡な対応になるのは、学内の「風通し」(学部を越えた横の連携)がよほど悪いのだろうな、と思ってしまう。

あくまで管見の限りだけど、東京では、私立の有名大学は、セクシュアルマイノリティの学生に対して、学生部を中心に対応しようとしている。
まだ充分とは言えないが、努力している姿勢は評価できる。
それに比べて国立大学は、対応が遅いというか、頭が固いというか・・・。

一橋大学が、今すべきことは、裁判で争うことではなく、
(1)遺族への謝罪
(2)あり得ない対応をしたカウンセラーの再教育の徹底
(3)異性愛・シスジェンダーを前提せず、性的少数者の尊厳の尊重を推進する全学的な教育プログラムの立案・提示だと思う。

それをしっかりやらない限り、日本の性的マイノリティの歴史に「ひどい事件、セクマイに冷酷な大学」として、消えない汚名を残すことになる。

少なくとも、大学が今の姿勢のままなら、歴史研究者として私はそう書く。

それでいいのか?

「LGBT男性」という見出し [現代の性(同性愛・L/G/B/T)]

8月5日(金)

NKHニュースの「LGBT男性」という見出し、やはり違和感がある。

言うまでもないことだが、1人でLとGとBを兼ねることはできない(LとT、GとT、BとTは兼ねられるが)。

テレビ朝日」夕方のニュースは「同性愛者」という表現で違和感は抱かなかった。
NHK的になぜ「ゲイ男性」「同性愛者の男性」ではいけないのか?、「LGBT男性」と書きかえるのか? しっかり考えるべき問題だと思う。

「LGBT」という言葉を使うことで「同性愛者」「ゲイ」「レズビアン」などの言葉を回避する姿勢は、同性愛という概念、同性愛者という存在の隠蔽につながる危険性があるように思う。

そこらへん、同性愛の人たちはどう考えているのだろう?

「LGBT男性自殺で大学を提訴」(NHK首都圏NEWS WEB)
http://www.nhk.or.jp/shutoken-news/20160805/4602731.html

同性愛を暴露され自殺…両親が同級生らを提訴 [現代の性(同性愛・L/G/B/T)]

8月5日(金)

一橋大学の法科大学院生の男性が、同級生に同性愛者であることをカミングアウトしたところ、Lineを通じてアウティング(暴露)&拡散されて、差別されるのを苦にして自死(転落死)。

遺族が、拡散した知人と、事情を知りながら適切な処置をとらなかった大学を訴える。

弁護士は南和行さん。

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同性愛を暴露され自殺…両親が同級生らを提訴

同性愛者であることを暴露されて自殺したと訴えています。

訴状などによりますと、一橋大学法科大学院の男子学生は去年4月、同級生に対し、自分が同性愛者であることを伝えましたが、この同級生がLINEを通じて複数の同級生に暴露したということです。男子学生はその後、差別を受ける不安などから自殺したとしています。男子学生の両親は、暴露した同級生と、「対応を怠った」として大学に対し、合わせて300万円の損害賠償を求める訴えを起こし、5日に第1回の口頭弁論が開かれました。男子学生の妹は会見で、「同級生の一言で兄を死に至らしめたことは許せない」とのコメントを読み上げました。一橋大学は、「訴訟に関する本学の立場は、法廷の場で明らかにしていきたい」としています。

「テレビ朝日」2016年08月05日 16:48)
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000080737.html
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LGBT男性自殺で大学を提訴

いわゆる性的マイノリティー「LGBT」であることを友人たちに知られ、自殺した大学院生の両親が、相談を受けていた大学などに賠償を求める訴えを起こしました。
5日から始まった裁判で、大学側などは訴えを退けるよう求めました。

東京の一橋大学法科大学院の3年生だった男性は、去年4月、男の同級生に好意を打ち明けたところ、無料アプリ「LINE」などを通じて友人たちに言いふらされ、大学の担当者に相談しましたが、4か月後、授業中に自殺を図って亡くなりました。
男性の両親は、自殺を図ったのは大学の不適切な対応が原因で、同級生にも言いふらした責任があるとして、あわせて300万円の賠償を求める訴えを起こしました。
5日から東京地方裁判所で始まった裁判で、大学や同級生側は、訴えを退けるよう求めました。
裁判のあと男性の家族は会見を開き「同級生の理不尽な行動で追い詰められ、大学側もサポートせず放置したことは許せません」と述べました。
両親の弁護士は「同性愛者だと言いふらされると傷ついてしまう社会だということが問題の背景にある。裁判を通じて何かが変わるきっかけになってほしい」と話しました。
一方、一橋大学は「ご冥福を心よりお祈り申し上げるとともに、ご家族の皆さまに謹んで哀悼の意を表します。大学の立場は、裁判で明らかにしていきたい」とコメントしています。

「NHK」ニュース  2016年08月05日 16時37分
http://www.nhk.or.jp/shutoken-news/20160805/4602731.html
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「同性愛だと暴露された」転落死した一橋法科大学院生の両親、同級生を提訴

一橋大学構内で2015年8月に起きた男子学生の転落死事故をめぐり、両親が同級生と一橋大を相手に、計300万円の損害賠償を求めて、裁判を起こしている。男子学生は同性愛者で、被告の同級生男性から周囲にアウティング(暴露)され、心身の不調に悩まされていたという。

原告はこの同級生の男性に対し、男子学生に精神的苦痛を与えたとして100万円を、大学側に適切な対応を取らなかった安全配慮義務違反などがあったとして200万円を求めている。提訴は3月25日付。

8月5日に東京地裁であった第1回口頭弁論後、東京・霞が関の司法記者クラブで、原告側代理人の南和行弁護士と吉田昌史弁護士が記者会見を開いた。アウティングによる裁判は珍しいそうで、吉田弁護士は「アウティングは、同性愛者の方が問題という視点で見られがちだが、加害的な行為で、アウティングした側に問題があるという理解を得たい」と語った。

●生前「人生が足元で崩れ落ちたような気がする」
訴状によると、当時男子学生は一橋大ロースクールの3年生。被告の男性とは同じクラスで、毎日のように一緒に食事する仲だった。男子学生は男性に恋愛感情を抱くようになり、2015年4月に告白。男性は、応じることはできないが、友人関係は継続すると伝えたという。

しかし、その2カ月後、男性はロースクールの同級生でつくるLINEのグループで、男子学生が同性愛者であることを暴露した。そこには「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん」と書かれていた。

男子学生はこのメッセージに対し、「たとえそうだとして何かある?笑」「これ憲法同性愛者の人権くるんじゃね笑」と返信している。「笑」とあるが、南弁護士は「頭が真っ白になって、震えながら打ったのではないか」と話す。南弁護士は生前の男子学生からメールで相談を受けている。そこでは、「人生が足元で崩れ落ちたような気がする」と書かれていたという。

暴露された後、男子学生は心身に不調を来たし、心療内科に通うようになった。被告の男性と顔を合わせると緊張や怒り、悲しみで吐き気やパニック発作が起こるなどの症状があったそうだ。

●大学側に安全配慮義務違反はあるか?
男子学生は暴露された後、学内のハラスメント相談室や教授らに自身の体調問題を含め、複数回相談。大学側ともクラス替えや留年など、被告男性と距離を取れないか話し合っていた。

しかし、2015年8月24日、必修の「模擬裁判」に出席するため登校した男子学生は、建物の6階のベランダを乗り越え、転落。搬送先の病院で死亡が確認された。この日の午前中、男子学生は体調を崩し、大学の保健センターで休養していた。

原告側は、大学が男子学生の症状などを知っており、事故を予見できたにもかかわらず、有効な対策を取らなかったと主張している。これに対し、一橋大学は弁護士ドットコムニュース編集部の取材に対し、「本学の立場は公判の場で明らかにしたいと考えております」と回答した。

会見には遺族も出席。妹が「一瞬にして兄の人生を、家族の人生を変えられてしまいました。生前、兄が被告学生を訴えたいと言っていたので、本人の無念を晴らすために提訴しました」などとコメントを読み上げた。

(弁護士ドットコムニュース)2016年08月05日 16時58分
https://www.bengo4.com/internet/n_4974/?via=twitter

8月4日(木)少し夏バテ [日常]

8月4日(木)  晴れ  東京  33.0度  湿度60%(15時)

少し夏バテ、一日休養。

【朝食】
新丸子駅前「ブーランジュリー・メチエ」のペッパーシンケサンドとコーヒー。
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【昼食】
夏野菜カレー。
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ベースは、「いわちく」(岩手畜産センター)の銀河離宮まかないカレー(ポーク)。

【夕食】
お刺身(はまち、しまあじ)。
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きのこ炒め。
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夜中「『渋谷PARCO』ができた頃」をまとめる(別掲)。
明け方、アップ。

就寝、5時。

「渋谷PARCO」ができた頃 [性社会史研究(連れ込み旅館)]

8月4日(木)

ファッションデパートとしてだけでなく、文化の発信地として一時代を築いた渋谷・公園通りの「渋谷PARCO」(地下1階・地上9階)がもうすぐ(8月7日)一時閉店・解体になる。
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↑ 「渋谷PARCO」前を行く「東京レインボー・プライド」パレード(2016年5月8日)

「渋谷PARCO」は、1973年6月に開業した。
では、その前には何があったのだろうか? 
私が渋谷の街を歩くようになったのは、1975年以降なので、開業時や開業前の様子は知らない。
そこで、調べてみた。

(1)1962年頃
1962年頃現況の住宅地図を見ると、当然のことながら、「渋谷PARCO」は影も形もない。
公園通り(1962)2.jpg
当時は「区役所通り」と呼ばれていた、渋谷から代々木方面を目指す緩い坂道の沿道は、まだビルが立ち並ぶ状態ではなく、かなり閑散としている。
それでも北側はそれなりに建物があるが、南側は「東京山手教会」があるくらいで、空き地が目立つ。
「山手教会」の向かい側には「渋谷ホテル」が、その少し坂下の路地の奥には「飛龍閣」があった。
どちらも、1950年代から営業している「連れ込み旅館」だ。
渋谷(渋谷ホテル・19540402k).jpg 渋谷(飛龍閣・19560107).jpg
現在、「公園通り」と「ファイアー通り」の分岐点にある「丸井」は、まだ奥まった所にある。

で、後に「渋谷PARCO PART1」になる場所だが、北東部分が「大成建設(株)渋谷アパート」に、南西部分が「井上」さんのお屋敷だった。
さらに、現在「渋谷PARCO PART3」になっている場所は「田所」さんのお屋敷だった。

現在、「井の頭通り」(当時は「国際通り」)から「PARCO」の脇に出て「公園通り」に達する南北の坂道は「スペイン坂」と呼ばれているが、坂の上り口の両側に割烹があるものの、坂の途中は一般住宅や個人病院ばかりで、まったく商業化していなかった。

また「PARCO」の南で「スペイン坂」と分岐して「井の頭通り」に下る東西方向の道は「ペンギン通り」と呼ばれているが、その周囲には「ホテルコスモス」「旅館つたや」「旅館よし村」など、おそらく「連れ込み」と思われる宿が密集していた。

(2)1969年頃
公園通り(1970)2.jpg
1969年頃現況の住宅地図を見ると、「区役所通り」(後の「公園通り」)の南側は空き地が減って、「西武デパートC館」(現:西武パーキング館)が進出し、その東には映画館「渋谷地球座」が入るビルもできた。

「山手教会」の向かい側にあった連れ込み旅館「渋谷ホテル」は姿を消し、「飛龍閣」はビル化したようだが同じ位置にある。

約4年後に「渋谷PARCO PART1」になる場所は、南西部分にあった「井上」さんのお屋敷が消えて地上げが完了し、全区画が「有楽土地所有地」になっている。
現在「渋谷PARCO PART3」の敷地には、まだ「田所」さんのお屋敷がある。

「スペイン坂」や「ペンギン通り」と呼ばれることになるエリアは、あまり変化がない。
「ホテルコスモス」「旅館つたや」「旅館よし村」などは健在だ。

ただ、「有楽土地所有地」の筋向い、現在「渋谷区勤労福祉会館」があるエリアに、ラブホテルと思われる「仙亭ホテル」「美苑ホテル」「千春ホテル」がある。
この内、「千春」はすでに1962年頃の現況図に見えるが、このブロックがラビホテル街化しつつあることがうかがえる。

(3)1976年頃
公園通り(1977)2.jpg
「渋谷PARCO PART1」開店の約3年後。
ようやく私が知っている渋谷の街になった。
「PART1」の道路を挟んで北側には「PART2」も開店している(1975年12月開業、2007年末休業)。
ここは「仁愛病院」があった場所だ。
病院の敷地そのままなので、地上げの手間はなかったろうが、やや手狭な感がある。

注目は、「PART3」(1981年9月開業)の敷地だ。
「田所」さんのお屋敷が消えて空き地になり、その一角に「大成建設作業所」がある。

ここで思い出すのは、1962年現況図で後に「PART1」になる敷地の東北部が「大成建設(株)渋谷アパート」になっていたことだ。
「PARCO」の敷地が形成される過程で「大成建設」の建物が現れる。
これは偶然ではないだろう。
早い話、「PARCO」の敷地を地上げをしていたのは大成建設だと思う。
1962年現況図は、大成建設による地上げの途中(「井上」さんが頑張っていた)の状況を示しているのだろう。
ということは、後に「PARCO」になる場所の地上げは、開店の10年以上前、1960年代初頭から計画されていたことになる。

周辺を見ると、「スペイン坂」を上った左手に「ホテルオリエント」ができている。
「ホテルコスモス」は「ホテル石庭」になり、「旅館つたや」「旅館よし村」は商業ビルになって姿を消した。
「スペイン坂」を上った所にラブホテルがあったのは記憶している。
「こんな人通りの多いところで、よく入れるなぁ」と思った。

「勤労福祉会館」があるエリアは、「仙亭ホテル」「美苑ホテル」「千春ホテル」に加えて、「ホテル虹」「ホテルモンブラン」「渋谷ヒルトップホテル」「ホテルロイヤル」が開業し、7軒が密集するラブホテル街になった。

おしゃれで文化的な「PARCO」の周囲は、実は「ラブホテル」の集中エリアなのだ。

「公園通り」をラブホテル目指して上っていくカップルもいただろうが、代々木公園で野外デートした後、「公園通り」を下ってラブホテルに入るカップルも多かったはずだ。
私も代々木競技場のあたりで、何度もデートした思い出がある。
貧乏な学生でお金がなかったからラブホテルには入らなかったが。

1970年代の若者にとって、渋谷「公園通り」界隈は、単におしゃれなだけでなく、微妙に性的なエリアだった。

【追記】写真が見たいという要望があったので・・・。
1970年の渋谷公園通り.jpg
http://actresspress.com/wp-content/uploads/2016/07/koen_dori-shibuya1970.jpg

1970年ころの渋谷「区役所通り」(現:公園通り)。
左端の「有料駐車場」が現在の「GAP」ビル。
その先の塀に囲まれた空地が「渋谷PARCO PART1」になる敷地。
奥に見える三階建ての建物が、後に「渋谷PARCO PART2」になる「仁愛病院」と思われる。
右端「中央電材株式会社」の看板があるビルは、1950~60年代に連れ込み旅館「渋谷ホテル」だった場所。
その先の(文字が読みにくい)ビルは「造園会館」。

都会の空が広かった、あの頃・・・。

公園通り(1970)2 (2).jpg

Transgender-Woman、オリンピック・セレモニーに初登場 [現代の性(性別越境・性別移行)]

8月4日(木)

Transgender-Womanがオリンピックのセレモニーに初めて登場するとのこと。
ブラジルのモデル、Lea T という人。
First Transgender Woman to Host Olympics Ceremony in Brazil.jpg

素晴らしいことではあるが、ブラジルは、世界で最も多くのトランスジェンダーが、トランスジェンダーであるということで殺害されている国の一つであることを忘れてはいけない。

First Transgender Woman to Host Olympics Ceremony in Brazil
http://www.telesurtv.net/english/news/First-Transgender-Woman-to-Host-Olympics-Ceremony-in-Brazil-20160802-0040.html