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3月31日(金)東京に戻る 「桜坂」はまだ3~5分咲き [日常(通院)]

3月31日(金)

8時、起床(秩父)。
眠い・・・。
朝食は、パンの残りと生ハム。

どんより曇っていて寒い。
3月末なのに真冬に近い寒さ。
これでは、桜は咲かない。

庭もまだ春になってない。
水仙はもう一息だし、チューリップはまだまだ。
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咲いているのは、冬の花クリスマスローズだけ。
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今回のミッション(妹と相続した預金の後処理&墓参)は完遂したので、11時の特急で東京に戻る。
車中、吾野駅あたりから入間駅停車までの記憶がない。
12時46分、西武池袋駅に到着
JR山手線に乗り換える。
13時過ぎ、渋谷に到着。
昼食は駅構内の「しぶそば」へ。
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↑ 甘皮筍とたらの芽天の春のおすすめそば(530円)。

南口の大歩道橋から見る「桜坂」はまだまだ。
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やっと3分咲きくらい。
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下の道は、日当たりが良いのか、少し咲き具合が進んでいて、5分咲きに近い。
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14時、桜丘町の「東洋気功整体院」へ。
いつものようにY先生に施術してもらう。
肩と腰はまずまず。
寝不足なので、気持ち良くて眠ってしまう。
仰向けになり、右足の付け根から太腿の前面・横の施術。
前々回、前回と強い張りがあり、マッサージされると激痛で大変だった。
その後、意識してストレッチして、だいぶ張りが少なくなった。
それでも、やっぱり痛かった。
前々回、前回に比べれば、だいぶマシだったけど。

お蔭で、ずいぶん循環が良くなった感じ。
15時40分、辞去。

(続く)

絶滅種  ニホンカワウソ 2009年に目撃情報 [天文・気象・生物]

3月30日(木)

ニホンカワウソについては、以前にも書いたことがある。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-01-10-3
状況ははかなり厳しいけど、生きていて欲しいなぁ。

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絶滅種  ニホンカワウソ 2009年に目撃情報

ニホンカワウソの生息調査に取り組んできた高知大の町田吉彦名誉教授(69)がこのほど、愛媛県の動物園で開かれたシンポジウムで講演し、2009年に高知県内で有力な目撃情報があったことを明らかにした。そのうえで、再度の生息調査の必要性を訴えた。

町田名誉教授は、2009年3~5月、県内で画家の男性がスケッチした動物が、耳が小さく、円すい形のしっぽなど、ニホンカワウソの特徴をよく捉えており、信ぴょう性が高いと判断。「少なくとも、男性が目撃した2009年までは、県内にはカワウソがいた」と述べた。

また、高知県で実施された92~99年の生息調査は、県内全域でなく、海岸部に限られたものだったことなどから、2012年の環境省による絶滅宣言はIUCN(国際自然保護連合)による絶滅の定義を満たしていないと指摘。「絶滅宣言により、調査が難しくなったり、目撃証言が集まらなかったりする可能性が高まった」とした。

町田名誉教授は、他にも生息を示すような証言があるとし「犯罪捜査ではないので、これらも考慮すべきだ」として、「いるかいないかは、きちんと調査をしないと分からない」と訴えた。【柴山雄太】
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『毎日新聞』2017年3月29日 09時22分(最終更新 3月29日 10時00分)

秩父・宮側町「ホルモン亭 ばりんち」 [日常(料理・食べ物)]

3月30日(木)
(続き)
妹と姪っ子夫婦の4人で夕食に出る。
秩父の飲食店は木曜日休業のところが多く、新規開拓したい行きたい店が閉まっている。
以前行った創作イタリア料理のお店に行くことにして出掛けた。
ところが、店の入口に「満席です。またの来店をお待ちします」の札。

呆然として、周囲を見回すが、東京と違って、飲食店が多いわけではない。
うろうろすると、闇の中に明かりが・・・。
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覗いてみると、客は誰もいない。
どうしようかと考えるが、また何キロ(車でだが)も移動するのは嫌なので、思い切って入る。
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秩父・宮側町の「ホルモン亭 ばりんち」。
おばさんが1人だけでやっているごく小さい店。
テーブルが3つしかなく、私たちが座った4人掛けの他は2人掛けが2つ。
つまり、8人しか座れない、

「ウーロン茶、4つ」と注文すると、「なら、ボトルの方が安いから」と言って、2リットルボトルと氷&グラスを持ってきてくれた。
「なんか、商売っ気ないなぁ」と思いながら待つと、炭火がおきた七輪がテーブルの置かれる。
今、流行りの無煙ロースターではない。
コート類を車に避難(姪っ子の夫を酷使)。

で、最初に出てきたシロ。
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厚いけど、やわらかい。
「あっ、これは当たりだ」と思う。

次に出てきたハツの厚さに驚く。
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「おばさん、不器用で薄く切れないのではないか?」と思ったが、どうも冷凍していない、ほんとうの生肉なので、こうなるらしい。
やわらかくて、おいしい。
「これは大当たりだ」と思う。

見るからにおいしそうな上質なカシラ肉。
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冷凍していない、タレに漬けてない、塩もふっていない、ほんとうの生肉。
しかも、分厚い。
で、問題はお値段なのだが・・・。
なんと、これだけで390円!

もう、どんどん行く。
タン(手前)とはらみ(奥)。
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のどぶえ(上なんこつ)。
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レバー(手前)とロース(奥)。
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ご飯は白胡麻が入っていておいしい。
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結局、シロ、ハツ、カシラ、タン、のどぶえ(上なんこつ)、トントロ、はらみ、レバー、ロース(各390円)
キャベツ(150円)、焼き野菜(400円)、ご飯3(200円×3)、ウーロン茶(ボトル・600円)で、トータル(4人で)5260円(1人1315円)。
東京だったら、軽く1万札が飛ぶ。

安くて、おいしい!
絶対、また来たい。
ただ、ちょっと不安なのは、これで店が続くのか?
おばさん、頑張って続けてください。

21時、帰宅。

また、いろいろおしゃべり。

就寝、1時半。






3月30日(木)秩父滞在2日目・「珍達」(熊木町) [日常(料理・食べ物)]

3月30日(木)  晴れ  秩父  17.9度  湿度37%

9時前、起床(秩父)。

昼食は、姪っ子夫婦が来るのを待って、徒歩5分ほどの「珍達」(秩父市熊木町)へ。
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↑ 「珍達そば」(710円)。
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↑ チャーシューをトッピング(+250円)
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↑ 細い麺とスープは昔の中華そば。
でも、大量に乗っている「土男(つちおとこ)」というブランド深谷ねぎがとてもおいしい。
私と妹が小学生の頃に店ができ、通学路なのでいつも前を通っていた。
でも、あまり食べに来たことはなかったが、まだ父が元気だったころ(10数年前?)に来たことを思い出す。

14時、銀行の人に来てもらって、妹と3人で、相続した亡父の預金の処理。
「あのお金はどこにいったのだろうね」と言っていたお金が通帳記入をしたら出てきた(顕在化)。

回らないお寿司が食べられそう。

16時半、姪っ子夫婦の車で市営墓地へ。
父母の墓に詣で、簡単に掃除。
いつもはタクシーを待たせているので大急ぎだが、今日はゆっくり作業。
今日は温かいが、市営墓地の桜はまだ咲きそうにない。
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(続く)


3月29日(水)秩父へ [日常]

3月29日(水)  晴れ  秩父  12.7度  湿度43%

10時、起床

福岡の妹が戻ってきているので、それに合わせて秩父へ。
相続の後処理をいろいろするため。

西武池袋駅15時30分発の特急に乗車。
16時47分、西武秩父駅に到着、
駅に付属する温泉施設の建物がほど出来上がっている。
「祭りの湯」という看板が出ているが、はたして本当にお湯が出たのだろうか?
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市役所の新庁舎も完成。
以前より低くなった。
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一昨日の雨、標高500m以上は雪だったようで、武甲山(1304m)は上3分の2くらい真っ白、
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17時、家に着く。

いろいろお世話になっているIさんが来ていたので、おしゃべりの後、3人で番場町の「カルネ」で夕食。
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食後、コーヒーを飲みながら、またおしゃべり。
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結局、3時間半も滞在。

22時、帰宅。

妹といろいろ話し込む。

就寝、2時。

3月28日(火)第3章まで、手直し終える [お仕事(執筆)]

3月28日(火)  晴れ  東京  14.9度  湿度35%

夜中、第三章「『赤線』とはなにかー実態と経済ー」の手直しと加筆作業をおえる。

これで、半年間、悩み続けた1、2、3章と、コラム1、2、3の直しを、自分なりに完了。
編集者の注文に(納得でるものは応じるが)、すべては(納得できないものは)応じない、自分が書きたいように書く、と決めたら精神的に楽になった。

就寝、3時半。

2018W杯アジア最終予選第7戦、日本vsUタイ戦 [スポーツ]

3月28日(火)

W杯2018(ロシア)アジア最終予選B組第7戦、日本(勝点13)vsタイ(勝点1)。

前半8分、久保のセンタリングをゴール正面で受けた香川が落ち着いて決める。
1-0。

前半19分、岡崎が、久保のセンタリングを頭で決める。
岡崎は日本代表通算50点目。
いかにも彼らしいダイビングヘッド(足より頭)。
おめでとう。
これで2-0。

後半12分、久保の豪快なミドルシュートが決まる。
日本が3―0でリード。

後半38分、清武の精度の良いコーナーキックに吉田がドンピシャで頭で合わせる。
4-0。

後半40分、タイのPK。
GK川島がセーブ。まさに守護神復活!。

日本が4-0で勝利。

B組
1 日本      5勝1分1敗 勝点16 得失点差+9
2 サウジアラビア 5勝1分1敗 勝点16 得失点差+8
3 オーストラリア 3勝4分   勝点13 得失点差+5
4 UAE      3勝  4敗 勝点9 得失点差ー3
5 イラク     1勝1分5敗 勝点4 得失点差ー3
6 タイ        1分6敗 勝点1 得失点差ー16

B組の予選通過は、ほぼ、日本、サウジアラビア、オーストラリアに絞られてきた。

佐々木掌子著『トランスジェンダーの心理学ー多様な性同一性の発達メカニズムと形成ー』 [現代の性(性別越境・性別移行)]

3月28日(火)

佐々木掌子さんから新著『トランスジェンダーの心理学ー多様な性同一性の発達メカニズムと形成ー』(晃洋書房、2017年3月、2500円税別)をいただく。
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【概 要】
性同一性障害傾向をもつことに、遺伝と環境はどのような影響をおよぼすのか。
ホルモン療法、性別適合手術、性役割、性的指向、他者からの受容、パッシング…… これらは、トランスジェンダーの性同一性にどのような影響をあたえるのであろうか。

3300組以上の双生児と545名のトランスジェンダー当事者への調査を通じて、多様で流動的な性別のあり方がどのような発達メカニズムで起こり、どのように形成されていくのかを解明。
また、男性にも女性にも規定されない性別(Xジェンダー)にも注目する。

【目 次】
序 章 「ある性別として生きる」とはどういうことか――新たな性別観呈示のために
はじめに――性別を決定する基準は何か
(1) 多様な性に関する諸概念
(2) 本書の構成

第1章 これまでの性別観はどのようにつくられてきたか――本書の背景
(1) 性別観をめぐる学校教育領域とマス・メディア領域の立場の違い
(2) これまで性同一性は,何によって形成されると考えられてきたのか
(3) 遺伝と環境要因をつなぐ行動遺伝学研究
(4) `病理'としての性的自己の非典型性

第2章 研究I 双生児データによる性同一性障害傾向の発達メカニズム
(1 )小児期から成人期までの性同一性障害傾向の遺伝と環境の影響

第3章 研究II 多様な性同一性の形成
(1) ジェンダー・アイデンティティの測定法
(2) 身体への医学的介入とジェンダー・アイデンティティの関連
(3) 典型的性役割とジェンダー・アイデンティティの関連
(4) 性的指向の諸側面
(5) 他者や社会からの受容とジェンダー・アイデンティティの関連
(6) ストレスコーピング・スタイルとジェンダー・アイデンティティの関連
(7) ジェンダー・アイデンティティと自尊感情の因果の方向性
(8) 規定されないものとしてのジェンダー・アイデンティティ

終章 これからの性別観――総合考察
(1) 多次元モデルからみた性同一性
(2) 多様で流動的な性別のあり方

あとがき
引用文献
付録:ジェンダー・アイデンティティ尺度
索 引
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佐々木さんは、今や、Gender Identity(性同一性)研究の日本における第一人者になりつつある。
これが初の単著だが、引用文献には海外の論文がたくさん並んでいて、まさに圧巻。
日本の心理学研究には数少ない、国際的な研究水準を踏まえている方。

佐々木さんが、まだ慶應義塾大学の大学院生だった頃から「GID研究会」(現:GID学会)などで知っていた。
その後、海外の学会(WPATH2014:バンコク)にもご一緒して、今では(広い意味での)研究仲間であり、大切な年下の友人。
「佐々木さん」というより「掌子さん(時に、掌子ちゃん)」と呼んでいることの方が多い。
だから、今回の出版はとてもうれしい。

と同時に、これまで「性同一性障害の・・・」という論文や報告が多かった佐々木さんの著書が『トランスジェンダーの・・・』であることがとても感慨深い。
「割り当てられた性別で生きていく」トランスジェンダーと、医療概念(診断名)である「性同一性障害」とでは、その示す範囲の広がりがまったく違い、トランスジェンダーを書名にしたことは、当然であり妥当であると思う。
しかし、この本が5年前に出ていたら、はたしてトランスジェンダーが書名になったか?と考えると、やはり時代は確実に変わってきたということだ。

3月27日(月)今日も寒い一日 [日常]

3月27日(月)  雨のち曇り  東京  7.9度  湿度77%

10時、起床。
朝食は、新丸子駅前「ブーランジュリー・メチエ」のミートパイとコーヒー。
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シャワーを浴びて、髪と身体を洗う。
今日は寒くて身体が温まらなくて困ったが、心の調子は良いので、GID学会(札幌)の報告記録を作る。
2時間ほどで完成。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-27-5
今回は遠隔地だったので、行きたくても行けなかった人が見てくれればうれしい。

昼食は、残りご飯と菜の花の辛子醤油漬け。
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それにしても寒い。
平年より7.0度も低い。

栃木県・那須高原のスキー場で県高校体育連盟主催の「春山安全登山講習会」に参加していた高校生が表層雪崩に巻きこまれる。
高校生7人、教員1人が死亡する惨事に。
雪が激しく降る中、表層雪崩が発生しやすい状況で「安全講習」を続けたのか?
安全講習で、若い命が7つも失われるなんて、明らかに話が逆ではないか。

夕食は、鶏肉と野菜のオリーブオイル炒め。
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ぶりの西京漬。
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舞茸、油揚げ、菜花のお味噌汁。
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夜中、第三章「『赤線』とはなにかー実態と経済ー」の手直し。
半分ほど。

就寝、5時。

【報告記録】「GIDの『神話』を『歴史』に引き戻す」 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

3月27日(月)

3月18・19日に札幌医科大学で開催された「GID(性同一性障害)学会 第19回研究大会」のシンポジウム5「ジェンダーの多様性をめぐる神話」における、私の報告の記録です。

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GID(性同一性障害)学会 第19回研究大会(札幌医科大学)
シンポジウム5「ジェンダーの多様性をめぐる神話」(2017年3月19日)

GIDの「神話」を「歴史」に引き戻す
    三橋順子(明治大学)

歴史を学ぶことの役割は、過去を振り返ってたどってきた道を知ることで、現在の立ち位置を確認し、未来への適切な道筋を探すことにあります。私は歴史学を学んだものとして、常にそのことを念頭において研究をしてきました。したがって、誤った歴史認識は不適切な未来を招きかねません。そこで、この報告ではGIDに関わる誤った「神話」を正しい歴史認識に引き戻しておこうと思います。お話するポイントは以下の5点です。

①「日本初」の性別適合手術は埼玉医科大学ではない
第一に「日本初」の性別適合手術は埼玉医科大学ではありません。昨日のレジェンド講演で山内俊雄先生は「公の手術」とおっしゃいましたが、あくまで日本精神神経学会のガイドラインに基づく初めての手術ということです。同じくレジェンド講演をされた原科孝雄先生がなさったのは女性から男性への日本初の手術であり、男性から女性への手術はそれ以前にも行われていました。

性別移行を目的とした造膣手術は、日本医科大学病院で1951年春(4月以降)に永井明(女性名:明子)に対して行われたものが日本最初です。執刀は石川正臣産婦人科教授でした。石川先生はその後日本産婦人科学会の会長を長く務められた重鎮です。これは同年5月15日にイギリスで行われたRobert Cowell(女性名:Roberta)に対する手術より早く、戦後世界最初の転性手術だった可能性が高いと思われます。1950年代、日本の形成外科の技術は、けっして後進的ではなく、世界のトップレベルでした。そのことにもっとプライドを持つべきです。

私は、1990年代後半に原科先生、山内先生が大きな勇気をもって、長らく停滞していた日本の性別移行医療を再開し、新しい時代を開かれたことを、時に直接お話をうかがいながらリアルタイムで見ていました。ですからその功績を否定するつもりはありません。しかし、それ以前に存在した歴史事実は「なかったこと」にせず、しっかり認識すべきだと思います。

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↑ 永井明子
(『日本週報』1954年11月5日号)
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↑ 永井明子
(『日本観光新聞』1953年09月18日号)
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↑ Roberta Cowell

②「GID特例法」以前にも戸籍の性別変更は可能だった
第二は、「GID特例法」以前にも戸籍の性別変更は可能だったということです。転性手術にともなう戸籍の続柄変更は、1951~53年に永井明子が、1980年に布川敏が戸籍法113条(訂正)に基づいて男性から女性へ性別変更をしていることが戸籍の写真などから確認できます。他にも戸籍は未確認だが性別訂正の事例が2例ほどあります。

永井さんの事例は、詳しいことはわかりませんが、おそらく手術からあまり都気を置かずに訂正がなされたと思われます。布川さんの事例については、インターセックスを装った訂正ではないのか?と疑問視する人がいましたが、スタンフォード大学の診断書には、はっきり「diagnosis of transsexualism(性転換症の診断)」の記述があり(Bokeは布川さんの源氏名)、疑いは否定されます。
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↑ 永井明子の戸籍  参男→二女、明→明子に訂正
(『日本週報』1954年11月5日号)
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↑ 布川敏さん(『FLASH』1999年3月30日・4月6日号)
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↑ 布川敏の戸籍  長男→長女、敏之→敏に訂正
(『週刊文春』)1981年4月23日号)
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↑ 布川敏の診断書(スタンフォード大学)
(『週刊文春』)1981年4月23日号)
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↑ diagnosis of transsexualism(性転換症の診断)の記述がある。

③「ブルーボーイ事件」は特異事例である
第三は、「ブルーボーイ事件」(1965年10月摘発)は特異事例であるということです。「ブルーボーイ事件」前後の1950~60年代には33例ほどの転性手術の事例が知られています。その内の94%は国内での手術です。にもかかわらず摘発・起訴されたのは「ブルーボーイ」事件ただ1例だけなのです。他の事例は週刊誌などに報道されて公になっているにもかかわらず、警察は動いた形跡がありません。

では、なぜ「ブーボーイ事件」だけが摘発されたかといえば、転性手術が「売春」行為に利用された特異事例だからです。当時は、「売春防止法」完全施行から7年しか経ってなく、警察が「売防法」の抜け道摘発に熱心だった時期で素。ということで、「ブルーボーイ事件」はかなり特異な事例であり、一般化すべきではないと思います。

④「ブルーボーイ」=男娼ではない
第四は、「ブルーボーイ」=男娼ではない、ということです。「ブルーボーイ」は身体を女性化した男性の意味の俗語で、1963年に初来日したフランス・パリの「カルーゼル」のショーダンサーたちに付けられたキャッチコピーです。そういう起源ですから「ブルーボーイ」の職業はショービジネス(ダンサー)が中心でした。1960年代後半には「和製ブルーボーイ」として銀座ローズさんやカルーセル麻紀さんが活躍します。

「ブルーボーイ」の中にセックスワーク(男娼)を仕事にしていた人もいたということです。したがって、日本精神神経学会のガイドライン(第4版)が「男娼(ブルーボーイ)」と表記しているのは誤解を招き不適切です。
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↑ ブルーボーイの来日(第2回公演:1964年)
(「ゴールデン赤坂」のパンフレット:三橋所蔵)
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↑ ブルーボーイの来日(第3回公演: 1965年)
(掲載紙不明 1965年)
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↑ 和製ブルーボーイの活躍(銀座ローズ)
(『風俗奇譚』1965年1月臨時増刊号)
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↑ 和製ブルーボーイの活躍(カルーセル麻紀)
(『風俗奇譚』1966年4月臨時増刊号)

⑤「暗黒時代」ではない
最後に第五です。1998年の埼玉医科大学の手術以前は、けっして「暗黒時代」ではないということです。今よりずっと困難な環境の中で性別移行を望む人々と、それを助ける医師の真摯な営みがあったことを忘れるべきではありません。それを「闇」呼ばわりするのはあまりに失礼だと思います。

以下、困難な時代に、望みの性別で自分らしく生きようとした先達たちの画像を紹介して、この報告を終えようと思います。
ご清聴、ありがとうございました。

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↑ 永井明子 1951年春、日本医科大学病院でSRS
 (『日本観光新聞』1954年頃)

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↑ 椎名敏江 1955年SRS
 (『増刊・実話と秘録』1958年1月号)

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↑ 吉本一二三 1961年SRS
(『風俗奇譚』1967年1月臨時増刊号)

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↑ 武藤真理子(銀座ローズ) 
1962年、大阪曾根崎・荻家整形外科病院でSRS
(『風俗奇譚』1965年1月臨時増刊号)

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↑ ひばり&江梨子
左・兄(姉)ヒバリ 1967年SRS  右・弟(妹)江梨子 1966年SRS
(『平凡パンチ』1968年5月20日号)

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↑ カルーセル麻紀 1973年、モロッコ・カサブランカでSRS
執刀はDr.ジョルジュ・ブロー
(『平凡パンチ』1967年10月2日号)
モロッコでブロー博士の手術を受けた日本人はカルーセル麻紀が最初ではなく、その前に少なくとも2人いる。

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↑ はるな愛 1995年、大阪・わだ形成クリニックでSRS
(2009年11月22日、撮影:三橋順子)

【参考文献】
三橋順子「性転換の社会史(1) -日本における「性転換」概念の形成とその実態、1950~60年代を中心に-」
三橋順子「性転換の社会史(2) -「性転換」のアンダーグラウンド化と報道、1970~90年代前半を中心に-」
(いずれも、矢島正見編『戦後日本女装・同性愛研究』 中央大学出版部、2006年)
三橋順子「ゲイボーイ、シスターボーイ、ブルーボーイ」
 (『性の用語集』 講談社 2004年)

【質疑応答】
コメントしてくださった〇〇さんとは、新宿歌舞伎町の女装スナック「ジュネ」で一緒でした。〇〇さんのような女装世界に身を置いた方が、性同一性障害の世界で肩身の狭い思いをされてきたことは、よく存じています。GID学会の懇親会で、私のところにそっと寄ってきて「私が新宿の女装の店に通っていたこと、黙っていてください」と懇願してきた方もいました。もちろん黙っていますが。
どうしてこんなことになったのか、それは日本のGID治療が、ニューハーフ世界や女装世界など既存のトランスジェンダーコミュニティと断絶した形で始まったからです。
「ガイドライン」第1版では「職業的利得条項」によって商業的なトランスジェンダーであるニューハーフは診断・治療の対象から排除されました。これは明らかな医療差別です。
そうした断絶と排除によって、既存のトランスジェンダー世界で長年積み重ねられてきた男性から女性への性別移行のノウハウやテクニックが継承されず、活かされることがなかった。これは間違いなく損失であり、日本のGID医療の大きな誤りだったと思います。
このことについては、いつか機会をいただけたら、お話したいと思います。

【報告者略歴
1955年、埼玉県生まれ。性社会・文化史研究者。明治大学、都留文科大学、群馬大学医学部など非常勤講師。
専門はジェンダー/セクシュアリティの歴史学、とりわけ性別越境(トランスジェンダー)の社会・文化史。
著書に『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年)、共編著に『戦後日本女装・同性愛研究』(中央大学出版部、2006年)、『性欲の研究 東京のエロ地理編』(平凡社 2015年)。主な論文に「性と愛のはざま-近代的ジェンダー・セクシュアリティ観を疑う-」(『講座 日本の思想 第5巻 身と心』岩波書店、2013年)、「性別越境・同性間性愛文化の普遍性」(『精神科治療学』31巻8号 星和書店 2016年)など。