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早春の奈良へ(その4:京都・東寺、六孫王神社) [旅]

3月5日(日)
(続き)
【東寺】
京都駅八条口のコインロッカーに荷物を預け、15分ほど歩いて東寺へ。
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↑ 紅梅・白梅がきれい
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「京の冬の旅・特別公開」の五重塔の初層を拝観。
江戸時代前期の再建だが、堂内荘厳はかなり復元的なように思う。

金堂と講堂の仏象を見る。
講堂の「立体曼荼羅」は何度見ても壮観だ。

さすがに疲れてしまい、茶店で休憩。
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【六孫王神社】
東寺を出たのが16時過ぎ、でも、帰りの新幹線の時間まではだいぶある。
お寺の拝観はもう時間的に無理なので、時間の制約がない神社へ。
10分ほど歩き壬生八条の六孫王(ろくそんのう)神社へ。
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祭神は「六孫王」源経基(みなもとのつねもと、?~961年)。
経基は、清和天皇の第六親王・貞純親王の子で、第六親王の子(天皇の孫)なので「六孫王」と呼ばれた(文献的な証拠なし)。
平将門の乱、藤原純友の乱の鎮圧に関わったが、実際には武功はほとんどなく、武蔵・信濃・筑前・但馬・伊予の国司を歴任、正四位下陸奥鎮守府将軍となった。
子の源満仲・満政・満季が武士として活躍したことから、清和源氏の祖とされるようになった(経基は、陽成天皇の皇子、元平親王の子であり、清和源氏ではなく陽成源氏とする説もある)。
社伝では、経基の邸宅「八条亭」の跡地・墓所に嫡子の満仲が社を創建したことになっている。
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経基から8代目の源頼朝(経基ー満仲-頼信ー頼義ー義家ー義忠ー為義ー義朝ー頼朝)が鎌倉幕府を開き、源義家の四男・源義国の子孫の足利尊氏が鎌倉幕府を開き、さらに義国の長男義重を祖とする新田氏の子孫と称した(系譜に接続)徳川家康が江戸幕府を開いたことから、「六孫王神社」は歴代の幕府の庇護を受けた。
我が家も、清和源氏を称しているので、源家の再興を祈願する。

バスで京都駅に戻り、お茶をした後、買い物。
18時26分の「のぞみ250号」に乗車。
20時25分、新横浜駅に到着。

JR横浜線で菊名駅へ。
東急東横線に乗り換えようとしたら、20時21分頃、祐天寺駅で発生した「人身事故」のため、渋谷~自由が丘駅間は不通で、上り電車はすべて自由が丘駅止まり。
電車の行き先表示も駅の掲示板も、みな「自由が丘」。
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私たちは武蔵小杉駅まで動いていれば帰宅に支障はないのだが、菊名駅で駅員さんが「運転再開は21時40分の予定」と言っているのが聞こえた。
運転再開まで1時間20分というのは、接触事故程度ではなく、警察の現場検証が必要な飛び込み自殺&轢断事故だと思った。
(14歳の男子中学生がホームから飛び込み自殺。運転再開は22時10分頃)。

この種の「人身事故」でいつも思うことだけど、死にたいのなら勝手にすればいいけど、死ぬ方法はできるだけ他人様に迷惑をかけない方法を選んでほしい。

21時過ぎ、帰宅。

3月5日(日)早春の奈良へ(その3:西大寺・平城宮跡・海龍王寺) [旅]

3月5日(日)  薄曇  奈良  16.8度  湿度33%(15時) 

6時、起床(ホテル・アジール奈良・アネックス)。
9時前にホテルを出て、タクシーで近鉄西大寺駅へ。
コインロッカーに荷物を預けて、駅名の起源の西大寺へ。

【西大寺】
称徳天皇が藤原仲麻呂の乱(764)の後、重祚した称徳天皇が、鎮護国家を願って七尺の金銅四天王像を勅願したことに始まる奈良時代末期に建立された官大寺。
しかし、古代の建物はなにも残っていない。
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↑ 西大寺境内。右が本堂、正面が愛染堂、左が東塔跡。
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↑ 西大寺の東塔跡。
当初、八角七重塔として計画されたが、称徳天皇(770年崩御)の没後、縮小して通常の四角五重塔が建てられた。
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↑ 外側の八角形のラインが当初計画の八角七重塔に痕跡。
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↑ 本堂の縁側から俯瞰撮影
創建時の礎石が残る。
基壇の石積は古代のものではなく、後世(近世?)のもの。

衰退した西大寺を復興したのが、鎌倉時代の真言宗の僧・叡尊(えいそん、1201〜1290年、興正菩薩)。
叡尊は戒律の復興に努め、貧者・病者の救済など社会福祉事業にも尽力し、真言律宗の開祖となった。
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↑ 愛染堂に安置されている叡尊座像(1280年、仏師善春、国宝)。
叡尊80歳の時の肖像で、鎌倉肖像彫刻の傑作。
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↑ 本堂の本尊は、釈迦如来立像(1249年、仏師善慶、重要文化財)。
「清凉寺式釈迦如来像」の典型で、正身の釈迦の姿を写したという北嵯峨・清凉寺の「三国伝来」の釈迦像像の模刻。
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↑ 愛染堂の本尊、愛染明王像(1247年、仏師善円、重要文化財)。
小像ながら、日本の愛染明王像の代表作。
秘仏なので、今回は拝めなかった。

愛染堂での会話。
僧侶「初めてのお詣りですかな?」
私 「いえ、40年ぶりです」
僧侶「というと、赤ちゃんの頃ですな」

なかなか「修行」を積んだ僧のようだ。

最後に、西大寺の起源である四天堂へ。
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↑ 四天堂の本尊、十一面観音立像(平安時代後期、重要文化財)。
右手に水瓶、左手に錫杖をもつ長谷寺様式の6mを超える巨像。
叡尊が京都白河にあった法勝寺十一面堂の本尊を移し修復したもの。
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↑ 増長天の邪鬼。
これだけが、創建期(奈良時代末期)のもの。
【平城宮跡】
西大寺からてちてち歩いて、平城宮跡へ。
国立奈良文化財研究所の資料館を見学。
ビデオの時代考証がおかしい。
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2010年の平城遷都1300年を記念して復元された(第一次)大極殿を見る。
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屋内の壁画があっさりした「大和絵」風で明らかに変。
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この時代は、ごてごての唐風のはず。
観光施設としての「受け」を重視して、時代考証を軽視する姿勢は大いに疑問。

(第二次)大極殿跡へ。
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日本古代史の研究者だった男性時代、何度も訪れている場所。
とても感慨深い。
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広大な宮跡を横断して「東院庭園」へ。
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↑ 東院南門。
「東院庭園」は、平城宮東張出し部の南東隅から発見された大規模な庭園遺跡。
称徳天皇はこの地に「東院玉殿」を建て、宴会や儀式を催した。
つまり、称徳天皇と法王道教の夢のあと。
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ここの復元は、発掘データに忠実でGood Job。
https://www.nabunken.go.jp/heijo/museum/page/toin.html

【海龍王寺】
歩き始めて3時間、そろそろ右足が痛くなり始めた。
平城宮の東に接する法華寺の前を過ぎ、左京東二坊大路の西にある海龍王寺へ。
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古代史専攻の学生・院生時代、奈良の古代寺院のほとんどは歩き回ったが、なぜかこのお寺は縁がなかった。
一度、訪ねた時、閉まっていたことを思い出した。
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光明皇后の皇后宮(旧:右大臣藤原不比等の邸宅跡)の北東隅に位置することから隅寺(すみでら)の別称がある。
創建年代は明らかでなく、境内から飛鳥時代の古瓦が出土していること、平城京の東二坊大路が海龍王寺の境内を避けてやや東にずれていることなどから、平城京遷都以前に遡る可能性が強い
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伽藍配置は中金堂の南に東金堂・西金堂が並ぶ三金堂様式だが、奈良時代の建物としては西金堂(鎌倉時代に大改修:重要文化財)のみが残る。
西金堂の内部におかれている五重小塔(総高4.01m:国宝)は、奈良時代の五重塔の数少ない遺例。
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↑ これが見たかったのだ。念願がかなった。

【昼食】
いよいよ足が痛くなってきたので、法華寺町のバス停12時44分の奈良交通のバス(10分も延着)に乗って近鉄西大寺駅に戻る。
駅近くのビルのレストラン街で昼食。
「Piano」というイタリアンの店。
ランチセットA(1480円)を注文。
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↑ パンとサラダ
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↑ ミネストローネのフジッリ
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↑ デザートとコーヒー
やや薄味だったが、ホテルの朝食があまりにひどかったので、おいしく感じられた。

近鉄西大寺駅14時25分発特急で京都へ。
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(続く)

早春の奈良へ(その2:東大寺二月堂修二会) [旅]

3月4日(土)
(続き)
14時半、奈良国立博物館の特別陳列「お水取り」を見学。
その後、東大寺ミュージアムの講堂で西山厚先生(帝塚山大学教授)の講義を聴く。

17時半、二月堂に向かう。
35年?ぶりの東大寺二月堂修二会(お水取り)。
土曜日ということですごい人出。
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1時間20分前に行って、まずまずの場所をなんとか確保。
その間、ずっと立ちっぱなしなので、坐骨神経痛持ちには辛い。

「お松明」は明暗差が大きく、コンパクト・デジカメでは撮影が難しい。
「数打ちゃ当たる」で、たくさん撮って、この3枚がベストショット。
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