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南伊豆へ(1日目の2:下賀茂温泉「南楽」) [旅]

4月2日(日)
(続き)
下田駅前の老舗の喫茶店「普論洞(ふろんと)」(←私たちが学生時代からある)で時間調整。
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↑ 紅茶と古風なクリームみつ豆

15時、迎えのバスに乗って下賀茂温泉「花のおもてなし 南楽」へ。
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2011年2月に最初に野猫さんと行って以来、すっかり気に入り、以後、毎年3月に家猫さんと泊まって、今年で7回目。
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もうすっかり「お馴染」で、毎回同じ大ベテランの仲居さんが世話してくれる。
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↑ 昨年、見かけなかったアヒルがいた。同じアヒルかどうかはわからないけど。

5階のお部屋から眺める青野川。
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今年は河津桜の開花が早く2月中に散ってしまったが、その後、気温が上がらなかったので、菜の花がまだ残っている。

早速、温泉へ。
まず「華の湯」へ。
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枕木の露天風呂。
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このお宿を気に入ったのは、何といっても、無料で自由に入れる貸切風呂の多さ(8つ)と、泉質の良さ。
泉質は、ナトリウム、カルシウム-塩化物温泉(等張性・弱アルカリ・高温泉)。
Phは7.5、原泉温度は73.3度、使用位置で55.0度。
お湯は、かなり熱めで、しかも湯量が実に豊富。
まさに、源泉かけ流しの贅沢。
ほとんど無臭で、嘗めてみるとまったりした塩味を感じる。
肌に滑りは感じないが、手に取ると普通のお湯よりもかすかに重みを感じ 「これは濃いな」という印象。
成分総量8091mg/kgで、私が入った温泉ではトップクラス。

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↑ 湯上りのおもてなし。シソジュース、おいしい。

お部屋に戻ると、温まった身体が気持ち良く、眠ってしまう。
1時間ほどぐっすり眠って、また温泉へ。
今度は「九条の湯」。
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桧の露天風呂。
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昨夏、右の坐骨神経痛が悪化してから、温泉に入りたくて入りたくてたまらなかった。
でも、なかなかその余裕(時間的・精神的)がなく・・・。
やっと、念願がかなった。
幸せ!
(続く)

4月2日(日)南伊豆へ(1日目の1:「伊豆クレイル」に乗る) [旅]

4月2日(日)

南伊豆へ。
やっと相続が片付いて、1年ぶりに、温泉にゆっくり浸かってきます。
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7時半、起床。
9時半過ぎ、家猫さんと家を出る。
東急東横線で横浜に出て、JR東海道線(湘南新宿ライナー)で小田原駅へ。

今回の南伊豆旅行の往路は、家猫さんの希望で「伊豆クレイル」に乗っていく。
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「伊豆クレイル」は、2016年7月16日に運転を開始したJR東日本)のリゾート列車で、土休日のみ、JR小田原駅~伊豆急下田駅の間を1日1往復する。
「クレイル」とは、イタリア語で「大人、成長した」の意味のCresciuto(クレッシュート)+train(トレイン)+ile(イル、接尾辞の「〜に適した」)で「大人に適した列車」の意味にした(滅茶苦茶な)造語。

小田原市がかなり力を入れている様子。
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入線。
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車両は、元「スーパーひたち」で使われていたものを転用改造したものでクロ650-1007ーモハ650-1007ーモロ651-1007ークロ651-1101の4両編成。
座席は全てグリーン車指定席[で、定員は98名。

私たちが乗ったのは、1号車(24席)で、 海側は窓側に向いたカウンター席、山側は1人掛けボックスシート。
残念ながら海側の席は取れなかった。
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2号車は座席がなく、バーカウンター・ラウンジを備えたパブリックスペース。
3号車(22席)は、4人用コンパートメント5区画、および車いす対応の2人用コンパートメント。
4号車は 回転式リクライニングシート(40席)、と固定式ボックスシート(12席)。

1・3号車は食事・ドリンクがセットになり旅行代理店でしか買えない。
4号車だけが一般客向け。

11時40分、定時に発車。
「お見送り」も丁寧。
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テーブルにはすでにランチボックスが置かれている。
蓋は箱根細工風で、中は6つに仕切られている。
の
お料理の監修は東京目黒のフランス家庭料理「モルソー」の秋元さやかシェフ。
(手前左)三島・箱根山ろく豚のハーブロースト。
トマトの入ったラヴィゴトソース(野菜のみじん切りを酢や油で和えた酸味のソース)。
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(手前中)南伊豆産伊勢海老のカクテル。
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(手前右)駿河湾産釜揚げシラスと春キャベツを使った国産小麦のクリームペンネ。
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(奥左)駿河湾産カツオと玉ねぎ、パプリカのマリネ。
鶏胸肉の低温調理、爽やかなわさびの香りで。
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(奥中)茄子のチーズ和え
伊豆椎茸とベーコンのスパニッシュオムレツ
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彩野菜のピクルス、生ハム、チェリーモッツアレラのオードブル。
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これに飲み物がつく(ビールかサイダー)。
私たちはニューサマーオレンジ・サイダーを注文。
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ミネラル・ウォーターは、下田「観音温泉」(pH9.5の超軟水)。
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お料理、徹底して駿河湾・伊豆の素材にこだわっていて、今流行の「地産地消」。
味もまずまず期待以上(あまり期待していなかった)。
まあ、ランチとしてはけっこうなお値段なわけで、まずかったら暴れたくなる。
ちょっと、量的に足りないかな?と思っていたところに、デザートが登場。
ニューサマーオレンジのパウンドケーキ。
南伊豆温泉メロンとブランマンジェ(牛乳や生クリームをゼラチンで固めたもの)
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これで、ちょうどお腹一杯になった。

と言っても、男性には物足りないかもしれない。
でも、24人の乗客は、熟年夫婦の片割れ1人と、お母さんに連れられた男の子以外は、中高年の女性ばかり(怪しい1人を含む)。
大食いや大酒飲みは、最初から対象でないから、これでいいのだ。

ところで、この列車、11時40分に小田原駅を出て、2つめの根府川駅で長時間停車する。
走行中と違い揺れないのでご飯は食べやすい。
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この付近、東海道線が海岸ぎりぎりを走り相模湾が間近に望めるビューポインなのだが、私のような人は、根府川駅というと違うことを思い出してしまう。

1923年(大正12)9月1日正午、相模湾を震源とする南関東巨大地震(関東大震災)の震源の近いこの地では、地震の直後に発生した大規模な地滑りによって生じた土石流が根府川駅とたまたま入選してきた列車(東京発真鶴行普通第109列車、9600形蒸気機関車977牽引、ボギー客車8両)を直撃した。
駅舎&ホームと列車のほとんどは土砂とともに崖から海中に転落し、死者・行方不明112名という大惨事になった(根府川駅列車転落事故)。
さらに本震の4分後の強い余震で発生した大規模な土石流が、根府川駅の南側を流れる白糸川の谷を下り、根府川地区の住民200名以上が犠牲になった。
今、JR東海道線の列車が渡る白糸川鉄橋(当時は国鉄熱海線)も、このとき跡形もなく崩落・流出している。

こんなことを知っているので、なんとなく落ち着かない。
まあ、そんなことを知っているのは、乗客の中でたぶん私だけ(家猫さんは私に聞いて知っている)なのだけど・・・。

ご飯を食べ終えた頃、熱海駅に到着。
小田原~熱海間、約1時間もかかった。
東海道線の各駅停車でも24分(新幹線は8分)なのに。

お腹がいっぱいになると眠くなるのが常だが、この電車の座席、食事用なので、リクライニングはなく眠るのにはまったく適さない。

仕方なく起きて車窓から眺める。
今回の旅行、温泉とお花見が目的なのだが・・・。
JR伊東線、さらに伊豆急行線に入っても、ソメイヨシノがほとんど咲いていない。
日当たりの良い枝先にほんの数輪といった感じ。
まったく咲いていない木のほうが多い。
げ~っ、お花見、ダメじゃん。

伊豆急の重要列車「にゃらん号」とすれ違う。
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東伊豆の海は、ちょっとモヤっていて、大島は見えるが、利島はうっすら(画面右端)。
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14時08分、伊豆急下田駅に到着。
小田原駅から2時間28分。
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(続く)

小樽・北運河 [旅]

3月21日(火)
(続き)
旧・遊廓跡のフィールドワークを終えて、手宮の交差点に戻る。
朝、ホテルの送迎バスの車窓から見えた、ちょっと気になった場所に行ってみる。
約85mにわたって残るレンガ(イギリス積み)の擁壁。
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手宮線の終点手宮駅から高架桟橋に至る鉄道を支えた擁壁(国指定重要文化財)。
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明治45年(1912)から石炭の積み出しのために使われた。
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↑ 大正末~昭和初期の高架桟橋。

「手宮鉄道公園(旧・手宮駅)」は、今回は寄っている時間がなかったが、除雪車群を外から撮影。
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↑ ラッセル車、左がキ270(キ100形式)、右がキ1567(キ550形式)。
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↑ 広幅雪かき車(ジョルダン車)、キ718(キ700形式)。
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↑ 広幅雪かき車(ジョルダン車)、キ752(キ700形式)。

再び手宮の交差点に戻って左折、手宮線の線路(廃線)を越えて、北(海の方向)へ。
「鱗友朝市」に寄る。
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家猫さんへのお土産を買う。

付属の食事処「のんのん」で昼食。
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雲丹丼は「時価」とあってビビる(たぶん3500円くらい?)。
小樽丼(2000円)を注文。
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醤油漬けのいくらの上に帆立と雲丹。
いつもは帆立のひもが入るのだが入荷がなく、今日はイカで代用。

手宮仲通りへ。
大きな石造り倉庫が立ち並ぶ。
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↑ 旧・右近倉庫(1894年)。
妻壁には北前船主の右近権左衛門の船印「一膳箸」。
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↑ 旧・広海倉庫(1889年)
海運商・広海二三郎の倉庫。
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↑ 旧・増田倉庫(1903年)
この付近は、小樽港と鉄道の駅(手宮駅)の間で、倉庫としては最高の立地だった。

少し歩くと、旧・日本郵船株式会社・小樽支店が見えてくる。
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明治39年(1906)の建築で国指定重要文化財。
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北運河一帯は、この季節、観光客がほとんどいない。
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鴎の鳴き声が水面に響く。
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↑ たくさんいる。

ちょっと駆け足だったが、久しぶりに良い旅だった。
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色内川下のバス停まで歩き、小樽駅に戻る。
駅構内の喫茶店で休憩。
14時30分発の「エアポート150号」に乗車。
ちょっと贅沢をして指定席。
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15時42分、新千歳空港駅に到着。
搭乗手続きをした後、お土産を買う。
時間に余裕があったので、3階のレストラン街へ。
早い夕食のつもりで、ラーメン横丁へ。
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一番奥の「白樺」という店に入る。

味噌チャーシューメン(980円)。
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当然、太麺。
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ANA74便に搭乗。
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機種はB777-200。
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17時34分、離陸。
19時00分、羽田空港に着陸。
京急(川崎駅乗換)JR南武線のルート。
20時40分、帰宅。


3月21日(火)小樽の旧・遊廓フィールドワーク [旅]

3月21日(火)  曇り  小樽  7.4度  湿度59%(15時)

6時半、起床(ホテル ノイシュロス小樽)。
体調やや回復。
部屋の軟水風呂にゆっくり浸かる。
今日も歩くので右足のストレッチ。

今日は、どんより曇り空。
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晴れていないと、やっぱり寒々とした冬景色。

8時半、朝食。
お目ざめジュース(右からオレンジ、トマト、梨)。
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トマトは超濃厚、梨は薄味でジュースには向かない。
これでは、ジュースが足りないなと思ったら、サラダとドリンクは自由だった。
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ちょっと迷ったが、和食を選択。
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野菜ジュース、ヨーグルトとフルーツ。
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レストランから見える景色。
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9時過ぎ「ホテル ノイシュロス小樽」をチェックアウト。
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部屋も食事もスタッフの対応も良いホテルだった。
いつかまた来たい。

送迎バスで小樽駅まで送ってもらう。
乗客は私だけ。
お客さんのほとんどは自家用車のだ。

10時、小樽の旧・遊廓フィールドワークを開始。
北海道開拓使の時代から、港湾・商業都市して栄えた小樽は、遊廓の規模が大きい。
いろいろ変遷を重ねて、昭和初期には、市街地の北の小樽港と鉄道の駅(手宮線の終点・手宮駅)に近い手宮に梅ヶ枝遊廓(貸座敷15軒、娼妓79人)が、市街地の南西の天狗山の山麓の入船に松ヶ枝遊廓(貸座敷16軒、娼妓96人)があり、それぞれ「北廓」と「南廓」と呼ばれていた(数値は1929年)。

まず、小樽駅前から路線バスに乗り、10分ちょっとの松ヶ枝町のバス停で降りる。
松ヶ枝遊廓の跡地はすぐに見つかった。

大門があったあたりで突然道幅が3倍近くになり、川が流れる幅の広い中央分離帯をもつ大きな道路が傾斜地を真っ直ぐに上っていく。
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それに直交する4本の道路も、道路ではなく広場か?と思うくらい幅広で、現在は、まったく普通の住宅地なので、明らかに幅員を持て余している。
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いくら防火帯の機能を持たせているとしても、北海道は土地が余っているとしても、幅広すぎると思う。

しかも、それらの幅広道路は、ある場所でぶっつり切れる。
そこまでが遊廓の範囲ということ。
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↑ 坂を上り切った所。
左手の雪の部分が中央分離帯。

折良く来たバスに乗って小樽駅まで戻り、別の路線バスに乗り換えて梅ヶ枝町へ。
道路が不自然に直角に曲がり、松ヶ枝町ほどではないが、幅の広い道路が真っ直ぐに坂を上っていく。
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松ヶ枝町同様、今は普通の住宅地だが、かってはこの坂道の両側に妓楼が立ち並んでいたらしい。
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松ヶ枝遊廓も梅ヶ枝遊廓も、戦後は「赤線」に移行しなかった。

ということで、なかなかの成果だった。
とくに松ヶ枝遊廓の計画的かつ雄大な道路設定は、執筆中の著書に入れようと思う。
足の痛みを堪えて歩き回ったかいがあった。
(続く)

ホテルのレストランでフレンチ・ディナー [旅]

3月20日(月・祝)
(続き)
19時、ホテルのレストラン「ブラウ キュステ」でフレンチディナー。
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かんぱちのエストラゴンマリネとマスカルポーネのヴェリ-ヌ
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エストラゴンはキク科ヨモギ属のハーブ。
マスカルポーネ は、イタリア原産のクリーム・チーズ。 

焼きたてパン。
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ん? パン、おいしい。
これは期待がもてる。

ゆず呼称と道産ホタテ、菊の花の下のズワイガニ、カリフラワーのエスプーマ。
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エスプーマ4とは「泡状」のムース。

道産蕪のスープに2種の付け合わせを添えて
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おいしかった。作り方を知りたい。

道産真鱈と白子、北あかり オマール海老のソースで
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白子は、火を通し過ぎ。

箸休め?のピクルス
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ウェーター「ご飯、いかがですか? 仁木町の寒河江さんの減農薬米でございます」
私「(フレンチでご飯?)いただきます」
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おいしい!

蝦夷鹿もも肉のロースト、スモーク風味 オレンジのアクセント
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鹿肉、おいしい。ローストもちょうど良い。

グラン・マニエ香るカボチャのケーキにバニラアイス フランボワーズソース
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グラン・マニエとは、フランスのオレンジ・リキュール(オレンジ・キュラソー)の銘柄。

コーヒー
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ああ、おいしかった。
でも、「ぼっちディナー」は、やっぱり味気ない。
次は、にゃんこを連れてこよう。

20時半、部屋に戻る。
食休みした後、半露天の軟水風呂にゆっくり入る。
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空も海も暗い。明るい星は木星だろうか。

ああ、気持ち良い。幸せ!

「日記」を書く。
就寝、0時(ホテル ノイシュロス小樽)。

3月20日(月・祝)札幌から小樽へ。 [旅]

3月20日(月・祝)  曇り  小樽  8.1度  湿度52%(15時)

6時半、起床(ラ・ジェンド・ステイ札幌大通)。
学会での精神的疲労(ストレス)蓄積と寝不足で体調は良くない。

9時前、朝食。
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10時、ホテルをチェックアウト。
タクシーで札幌駅へ。
駅前で渋滞の間、運転手さんとおしゃべり。
今冬の札幌は、季節が1カ月前にずれている感じらしい。
11月に本格的な雪が降り、「雪まつり」(今年は2月12日まで)の後、ほとんど大雪がなく、3月になったら急に温かくなったとのこと。
札幌は今日も良いお天気。
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11時過ぎの「石狩ライナー」で小樽に向かう。
「銭函」というお金が貯まりそうな駅を過ぎる。
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海が見えてきた。
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石狩湾を隔てて見える白い山は暑寒別岳だろうか。

小樽の街が見えてきた。
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11時40分、小樽駅に到着。
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小樽は12年ぶり?の再訪。
駅前から海が見える街。
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それにしても、雲一つなくよく晴れている。

「日銀通り」海へ向かって下る。
旧国鉄・手宮線(南小樽駅 ~手宮駅間 2.8 km)の線路を渡る。
明治13年(1880)、官営幌内鉄道(手宮 ~札幌 ~ 幌内)の一部として手宮~札幌間が開業した日本で3番目、北海道で最初の鉄道。
昭和37年(19620)5月14日旅客営業を廃止し貨物専用線となったが、昭和60年(1985)11月5日に廃線。
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↑ 廃線区間は保存されている。雪に埋もれているあたりに色内(いろない)駅があった。

「金融資料館」(旧・日本銀行小樽支店)を見学。
明治44年(1912)の建築で、設計は東京駅の設計者として知られる辰野金吾。
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外壁のシマフクロウの像。
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夜は夜行性のふくろうが番をしている。

営業場は、高さ10.5mの柱のない吹き抜け空間。
レンガ壁から鉄骨を組んで屋根を支える構造。
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営業所カウンターの外側は、研磨した大理石(岐阜県赤坂産)で装飾。
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2階部分の壁面装飾。
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歴史的な建造物が並ぶ十字路。
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北東角(右手前)旧・三菱銀行小樽支店(1922年)、北西角(右奥)旧・北海道拓殖銀行小樽支店(1923年)、南東角(左手前)旧・第一小樽支店(1924年)。

堺町通りに入る。
石造りの商店。
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堺橋東詰の旧・百十三銀行小樽支店(1908年)。
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小樽運河へ。
中国人観光客がいっぱい。
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人が少ない運河沿いを散策。
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海が見たくなり埠頭へ。
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石狩湾の対岸の山々。ちょっとコントラストが悪い。
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お腹が空いてきたので、「中央通り」を駅方向へ。
旧・安田銀行小樽支店(1930年)。
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再び、手宮線の線路を渡る。
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昼食は、稲穂町の「魚真(うおまさ)」へ。
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少し上等のお寿司(2700円)。
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お椀ではなく土瓶蒸し。
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おいしかった。
追加で食べたいものがあったが、お腹いっぱいになってしまった。

14時、少し早いが、2日間、学会で座り続けた影響で足も痛いので、観光を切り上げてお宿へ。

15時、小樽市街の北の岬の上にある「ホテル ノイシュロス小樽」にチェックイン。
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オーシャン・ビューのお部屋の半露店(軟水)風呂に、のんびり浸かる。
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↑ お風呂からの景色

17時半、散歩に出る。
ホテルから少し下った「祝津パノラマ展望台」へ。
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ホテルが岬の断崖に建っているのがよくわかる。
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西方向、日没は残念ながら、岬の陰になって見えない。
遠くの陸地は、積丹半島。
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東方向、祝津(しゅくつ)の漁港。
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北方向、石狩湾の向こうに陸地(増毛町)が見える。
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寒さはきつくないが、岬なので風が強く髪がなびいてしまい、自撮りに苦心する。
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(続く)

早春の奈良へ(その4:京都・東寺、六孫王神社) [旅]

3月5日(日)
(続き)
【東寺】
京都駅八条口のコインロッカーに荷物を預け、15分ほど歩いて東寺へ。
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↑ 紅梅・白梅がきれい
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「京の冬の旅・特別公開」の五重塔の初層を拝観。
江戸時代前期の再建だが、堂内荘厳はかなり復元的なように思う。

金堂と講堂の仏象を見る。
講堂の「立体曼荼羅」は何度見ても壮観だ。

さすがに疲れてしまい、茶店で休憩。
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【六孫王神社】
東寺を出たのが16時過ぎ、でも、帰りの新幹線の時間まではだいぶある。
お寺の拝観はもう時間的に無理なので、時間の制約がない神社へ。
10分ほど歩き壬生八条の六孫王(ろくそんのう)神社へ。
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祭神は「六孫王」源経基(みなもとのつねもと、?~961年)。
経基は、清和天皇の第六親王・貞純親王の子で、第六親王の子(天皇の孫)なので「六孫王」と呼ばれた(文献的な証拠なし)。
平将門の乱、藤原純友の乱の鎮圧に関わったが、実際には武功はほとんどなく、武蔵・信濃・筑前・但馬・伊予の国司を歴任、正四位下陸奥鎮守府将軍となった。
子の源満仲・満政・満季が武士として活躍したことから、清和源氏の祖とされるようになった(経基は、陽成天皇の皇子、元平親王の子であり、清和源氏ではなく陽成源氏とする説もある)。
社伝では、経基の邸宅「八条亭」の跡地・墓所に嫡子の満仲が社を創建したことになっている。
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経基から8代目の源頼朝(経基ー満仲-頼信ー頼義ー義家ー義忠ー為義ー義朝ー頼朝)が鎌倉幕府を開き、源義家の四男・源義国の子孫の足利尊氏が鎌倉幕府を開き、さらに義国の長男義重を祖とする新田氏の子孫と称した(系譜に接続)徳川家康が江戸幕府を開いたことから、「六孫王神社」は歴代の幕府の庇護を受けた。
我が家も、清和源氏を称しているので、源家の再興を祈願する。

バスで京都駅に戻り、お茶をした後、買い物。
18時26分の「のぞみ250号」に乗車。
20時25分、新横浜駅に到着。

JR横浜線で菊名駅へ。
東急東横線に乗り換えようとしたら、20時21分頃、祐天寺駅で発生した「人身事故」のため、渋谷~自由が丘駅間は不通で、上り電車はすべて自由が丘駅止まり。
電車の行き先表示も駅の掲示板も、みな「自由が丘」。
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私たちは武蔵小杉駅まで動いていれば帰宅に支障はないのだが、菊名駅で駅員さんが「運転再開は21時40分の予定」と言っているのが聞こえた。
運転再開まで1時間20分というのは、接触事故程度ではなく、警察の現場検証が必要な飛び込み自殺&轢断事故だと思った。
(14歳の男子中学生がホームから飛び込み自殺。運転再開は22時10分頃)。

この種の「人身事故」でいつも思うことだけど、死にたいのなら勝手にすればいいけど、死ぬ方法はできるだけ他人様に迷惑をかけない方法を選んでほしい。

21時過ぎ、帰宅。

3月5日(日)早春の奈良へ(その3:西大寺・平城宮跡・海龍王寺) [旅]

3月5日(日)  薄曇  奈良  16.8度  湿度33%(15時) 

6時、起床(ホテル・アジール奈良・アネックス)。
9時前にホテルを出て、タクシーで近鉄西大寺駅へ。
コインロッカーに荷物を預けて、駅名の起源の西大寺へ。

【西大寺】
称徳天皇が藤原仲麻呂の乱(764)の後、重祚した称徳天皇が、鎮護国家を願って七尺の金銅四天王像を勅願したことに始まる奈良時代末期に建立された官大寺。
しかし、古代の建物はなにも残っていない。
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↑ 西大寺境内。右が本堂、正面が愛染堂、左が東塔跡。
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↑ 西大寺の東塔跡。
当初、八角七重塔として計画されたが、称徳天皇(770年崩御)の没後、縮小して通常の四角五重塔が建てられた。
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↑ 外側の八角形のラインが当初計画の八角七重塔に痕跡。
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↑ 本堂の縁側から俯瞰撮影。
創建時の礎石が残る。
基壇の石積は古代のものではなく、後世(近世?)のもの。

衰退した西大寺を復興したのが、鎌倉時代の真言宗の僧・叡尊(えいそん、1201〜1290年、興正菩薩)。
叡尊は戒律の復興に努め、貧者・病者の救済など社会福祉事業にも尽力し、真言律宗の開祖となった。
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↑ 愛染堂に安置されている叡尊座像(1280年、仏師善春、国宝)。
叡尊80歳の時の肖像で、鎌倉肖像彫刻の傑作。
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↑ 本堂の本尊は、釈迦如来立像(1249年、仏師善慶、重要文化財)。
「清凉寺式釈迦如来像」の典型で、正身の釈迦の姿を写したという北嵯峨・清凉寺の「三国伝来」の釈迦像像の模刻。
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↑ 愛染堂の本尊、愛染明王像(1247年、仏師善円、重要文化財)。
小像ながら、日本の愛染明王像の代表作。
秘仏なので、今回は拝めなかった。

愛染堂での会話。
僧侶「初めてのお詣りですかな?」
私 「いえ、40年ぶりです」
僧侶「というと、赤ちゃんの頃ですな」

なかなか「修行」を積んだ僧のようだ。

最後に、西大寺の起源である四天堂へ。
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↑ 四天堂の本尊、十一面観音立像(平安時代後期、重要文化財)。
右手に水瓶、左手に錫杖をもつ長谷寺様式の6mを超える巨像。
叡尊が京都白河にあった法勝寺十一面堂の本尊を移し修復したもの。
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↑ 増長天の邪鬼。
これだけが、創建期(奈良時代末期)のもの。
【平城宮跡】
西大寺からてちてち歩いて、平城宮跡へ。
国立奈良文化財研究所の資料館を見学。
ビデオの時代考証がおかしい。
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2010年の平城遷都1300年を記念して復元された(第一次)大極殿を見る。
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屋内の壁画があっさりした「大和絵」風で明らかに変。
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この時代は、ごてごての唐風のはず。
観光施設としての「受け」を重視して、時代考証を軽視する姿勢は大いに疑問。

(第二次)大極殿跡へ。
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日本古代史の研究者だった男性時代、何度も訪れている場所。
とても感慨深い。
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広大な宮跡を横断して「東院庭園」へ。
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↑ 東院南門。
「東院庭園」は、平城宮東張出し部の南東隅から発見された大規模な庭園遺跡。
称徳天皇はこの地に「東院玉殿」を建て、宴会や儀式を催した。
つまり、称徳天皇と法王道教の夢のあと。
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ここの復元は、発掘データに忠実でGood Job。
https://www.nabunken.go.jp/heijo/museum/page/toin.html

【海龍王寺】
歩き始めて3時間、そろそろ右足が痛くなり始めた。
平城宮の東に接する法華寺の前を過ぎ、左京東二坊大路の西にある海龍王寺へ。
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古代史専攻の学生・院生時代、奈良の古代寺院のほとんどは歩き回ったが、なぜかこのお寺は縁がなかった。
一度、訪ねた時、閉まっていたことを思い出した。
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光明皇后の皇后宮(旧:右大臣藤原不比等の邸宅跡)の北東隅に位置することから隅寺(すみでら)の別称がある。
創建年代は明らかでなく、境内から飛鳥時代の古瓦が出土していること、平城京の東二坊大路が海龍王寺の境内を避けてやや東にずれていることなどから、平城京遷都以前に遡る可能性が強い
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伽藍配置は中金堂の南に東金堂・西金堂が並ぶ三金堂様式だが、奈良時代の建物としては西金堂(鎌倉時代に大改修:重要文化財)のみが残る。
西金堂の内部におかれている五重小塔(総高4.01m:国宝)は、奈良時代の五重塔の数少ない遺例。
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↑ これが見たかったのだ。念願がかなった。

【昼食】
いよいよ足が痛くなってきたので、法華寺町のバス停12時44分の奈良交通のバス(10分も延着)に乗って近鉄西大寺駅に戻る。
駅近くのビルのレストラン街で昼食。
「Piano」というイタリアンの店。
ランチセットA(1480円)を注文。
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↑ パンとサラダ
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↑ ミネストローネのフジッリ
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↑ デザートとコーヒー
やや薄味だったが、ホテルの朝食があまりにひどかったので、おいしく感じられた。

近鉄西大寺駅14時25分発特急で京都へ。
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(続く)

早春の奈良へ(その2:東大寺二月堂修二会) [旅]

3月4日(土)
(続き)
14時半、奈良国立博物館の特別陳列「お水取り」を見学。
その後、東大寺ミュージアムの講堂で西山厚先生(帝塚山大学教授)の講義を聴く。

17時半、二月堂に向かう。
35年?ぶりの東大寺二月堂修二会(お水取り)。
土曜日ということですごい人出。
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1時間20分前に行って、まずまずの場所をなんとか確保。
その間、ずっと立ちっぱなしなので、坐骨神経痛持ちには辛い。

「お松明」は明暗差が大きく、コンパクト・デジカメでは撮影が難しい。
「数打ちゃ当たる」で、たくさん撮って、この3枚がベストショット。
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3月4日(土)早春の奈良へ(その1:室生寺・長谷寺) [旅]

3月4日(土)  晴れ  奈良  15.8度  湿度40%(15時)  

超早起き(3時半)して、家猫さんのお供で、早春の奈良へ。
5時半、家を出る。
新横浜駅6時34分発「のぞみ3号」に乗車。
7時51分名古屋駅に到着、そこからJR東海のバスツアー。

【室生寺】
まず、室生寺へ。
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室生寺五重塔。
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【長谷寺】
次に長谷寺へ。
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長谷寺、しだれ梅。
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長谷寺、牡丹。
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長谷寺、福寿草。
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長谷寺、観音堂。
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(続く)