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不思議だ [性社会史研究(一般)]

10月12日(水)

竹内瑞穂+「メタモ研究会」編『〈変態〉二十面相ーもうひとつの近代日本精神史ー』(六花出版、2016年9月)という本を共著者の方からいただいた(感謝)。

「変態」という概念を文学の観点から分析した論集でとても興味深い内容。
さっそく拾い読みをしていたら、第9章「三島由紀夫ーとてつもない<変態>」(柳瀬善治)という論考に不審なことがあるのに気づいた。

156頁に「日本における「女装」「トランスジェンダー」の問題について」(『戦後日本女装・同性愛研究』中央大学出版部、2006)という論文が注記されているのだけど、同書にはそんな論文、載っていない。
私は『戦後日本女装・同性愛研究』の実質的な編者の1人なので気になって、かなり丁寧にチェックしたが、論文はもちろん、章や節の名前にも、そうした論題はない。

引用・注記のミスだと思う。

そもそも「日本における「女装」「トランスジェンダー」の問題について」なんて私の専門分野にもろ被りの論文、私が知らなかったら大変だ。
あわてて、国会図書館や都立中央図書館の蔵書・論文リストを検索したが、この題名の論文はヒットしない。

不思議だ。

「日本における「女装」「トランスジェンダー」の問題について」という論文の著者は誰なのだろう?
明記されていないが、文脈をたどると跡上史郎氏のように読める。
そこで、「跡上史郎」で検索をかけてみたが、やはりヒットしない。

もしかして、「日本における「女装」「トランスジェンダー」の問題について」という論文そのものが、存在しないのでは?
そんな疑いが頭に浮かんでいる。

【追記(11月19日)】
柳瀬善治氏から、メールをいただいた。
「矢島正美編『戦後日本女装・同性愛研究』の諸論文を参照」という意味で記述したものが、私の記載ミスと校正段階の見落としで、あたかもそうした題目の論文が存在するかのような誤解を与えてしまった」とのこと。
「不思議」が解決した。


9月10日(土)性慾研究会(2016年第4回) [性社会史研究(一般)]

9月10日(土)  曇り  京都  31.5度  湿度44%(15時)

7時過ぎ、起床。
朝食は、新丸子駅前「ブーランジュリー・メチエ」のグレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
IMG_9649.JPG
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結びシュシュを巻く。
化粧と身支度。
黒地に茶と白の花柄のロングチュニック(3分袖)、黒のレギンス(5分)、黒のサンダル、焦茶のトートバッグ
8時55分、家を出る。
新横浜駅10時09分発の「のぞみ105号」で京都へ。

名古屋駅を過ぎて、車中で早めの昼食。
いつものように好物の 「深川めし」(950円)。
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(ハゼだけでなく)なんとなく穴子まで小さくなっているような気がする。

12時08分、京都駅着。
京都は東京より暑く、まだ夏。
地下鉄で四条に移動。

定宿の「ヴィアイン京都四条室町」に荷物を預ける。
烏丸蛸薬師の「ローソン」で飲み物を買う。
徒歩数分の井上章一先生の別邸へ。
12時35分、到着。
人数が集まるのを待って、13時過ぎ、開会。
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「性慾研究会(2016年第4回)」 室町・井上先生別邸

(調査報告)光石亜由美「パラオ・コロールの旧花街調査」
(研究報告)河原梓水 「沼正三と『家畜人ヤプー』について」
(研究報告)石田 仁 「雑誌のイラストにみる男性同性愛の表象 1945-1995」
(資料紹介)三橋順子 「新吉原遊廓を描いた風俗画絵葉書 」
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18時過ぎ、閉会。

今日の出席者、井上章一、齋藤光、古川誠、光石亜由美、赤枝香奈子、河原梓水、眞杉侑里、石田仁、鹿野由行、三橋順子(10名)。

次回は、来年1月8日(土)に京都で開催。
『性欲の研究(人物編)』執筆予定者は原稿を持ち寄ること。

懇親会は、三条姉小路柳馬場東入ルの「牛の骨あなざ」。
IMG_0003.JPG
二次会は、木屋町通四条上ルのジャズBar「Prestige」。
23時過ぎ、散会。
23時40分、ホテルに戻る。
就寝、1時半(ヴィアイン京都室町四条)。

駄目な形が「当たり前(標準)」なのか? [性社会史研究(一般)]

8月9日(火)

「風通し」(大学における横の連携)のことを批判すると「どこの大学でも似たようなもの」「大学も大きな組織だから仕方がない」という反応が返ってくる。

あるいは教育・研究と現場の乖離について批判すると「そもそもいうもの」と言われてしまう。
駄目な形を「当たり前(標準)」と考えるって、つくづく志が低い。

ジェンダー&セクシュアリティの研究は、「現場」と離れては成り立たない。
常に「現場」から学び、それを研究・体系化して「現場」にお返しする姿勢でやらないと、どんどん変なことになってしまう。

青森市「駅前銀座」を訪ねる [性社会史研究(一般)]

7月15日(金)
(続き)

青函連絡船「八甲田丸」の周囲を見学。
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時間の関係で、船内の見学は明日に。

駅前に戻り「駅前銀座」の調査。
青森駅と青函連絡船の波止場との間にある抜群の立地。
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波止場側から見ると、2階建で、外壁の形態などはいかにも昭和20年代風。
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中央に通路があり、その左右に店が並ぶ構造。
構造的に、戦後の「闇市時代」に青森駅前にあった露店や仮設店舗を、ある時期(おそらく1950年頃)に収容した建物ではないかと思われる。

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不思議なのは、駅側から見ると、普通のビルの外壁に通路が開いている外観。
IMG_8812.JPG
1階が店舗、2回が住居という構造だったと思われ、店舗の数は本来10軒ほどか?
現在は、半数ほどで、閉店している店が目立つ。

「美どり」、それなりに大きな店だが、営業していない様子。
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創業30年の「ばぁばの店 うさ美」も閉店。
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1軒だけ、今風の外観の店があった。
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「Osora ni Niji wo Kake Masita」という風変わりな名前の店。
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まだ、営業準備中のようだったが、「すいません、戦後の古い飲み屋街を調べているのですけど、ちょっとだけお話うかがえますか?」

意外に広い。
カウンターは2列並行。
店主の宇佐美さんは、お母さんから店を引き継いだ。
隣の店が閉店したので、営業権を借りて、壁をぶち抜いた。
だから、カウンターも入口も2つある。

戦後、外地から引き上げてきた人たちが組合を作り、駅前の一角に土地を買い、組合員に営業権を分けた。
だから、営業権はあるが土地の権利はないとのこと。
やはり「戦後闇市系」の飲食街の典型的な成り立ち。

中には「ちょんの間」営業(もぐりの短時間売春)をしていた店もあったらしい。
「青線」(非合法売春街)的要素もあった点で、規模こそ違うが、新宿の「戦後闇市系」飲み屋街とよく似ている。

(続く)

新宿「千鳥街」の写真2点 [性社会史研究(一般)]

6月8日(水)

新宿「千鳥街」は、新宿二丁目の新宿通りと新宿御苑の間にあった、戦後闇市の系譜を引く小さな飲屋街だった。
1968年頃に「御苑大通り」の延長のために立ち退きとなり、その跡地は、道路になっている。
041 (2).jpg
↑ 「千鳥街」跡地の現況(2013年5月7日撮影)

私は、いろいろ事情があって、数年前から「千鳥街」について資料を集め、いろいろ調べている。
(参照)「新宿『千鳥街』を探して」
(その1)http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-05-05-1
(その2)http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-06-28
(追記)http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-07-20-3

なぜ「千鳥街」にこだわっているかというと、ここに「ゲイバー」(ほとんどが女装系)が何軒かあり、後の「二丁目・ゲイタウン」(1970年代に成立)の原点のひとつである可能性を考えているから。

現在、新宿歴史博物館で開催中の写真展「戦後昭和の新宿風景」に「千鳥街」の写真が出ていることを、このブログの読者の方に教えていただき(感謝)、見に行ってきた。
千鳥街3(19671018).jpg
↑ 1967年10月18日撮影(新宿歴史博物館データベースより)
http://www.regasu-shinjuku.or.jp/photodb/det.html?data_id=7383

「千鳥街」のアーケードと、右側に「Barロング」「瞳」「Bar菊」「ひとみ」、左側に「Barツタヤ」の看板が見える。
これを1960年頃の現況と思われる住宅地図と比較すると「ロング」と「ツタヤ」の一致から、2本あった「千鳥街」の路地の内、西側の路地を「新宿御苑」側から(南から)写したもの(赤い矢印)であることがわかる。
しかし、他の店は一致せず、1960年頃から「千鳥街」末期の1967年頃までの間に、店舗の出入りがかなりあったことがうかがえる。
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↑ 『東京都全住宅案内図帳 新宿区東部』(住宅協会 1962年)

今回の写真展には出ていなかったが、新宿歴史博物館データベースには、もう1点、「千鳥街」の写真があった。
千鳥街4(19671018).jpg
↑ 1967年10月18日撮影(新宿歴史博物館データベースより)
http://www.regasu-shinjuku.or.jp/photodb/det.html?data_idx=2

こちらは右側に「はつ(裏文字)」「潮」「ナイト」、左側に「Bar Sweet(壁面に直書き)」「アイコ」「阿也」の看板が見える。
同じように住宅地図と比較すると、「はつ」と「ナイト」の一致から、2本あった「千鳥街」の路地の内、東側の路地を「新宿御苑」側から(南から)写したもの(緑色の矢印)であることがわかる。
ちなみに、今まで確認されている「千鳥街」の写真(4点しかないが)で、東側の路地を写しているのはこれだけである。

そして、重要なことは、これらの写真の撮影日の1967年10月17日までは「千鳥街」は間違いなく地上に存在していたことがわかり、従来、1965~68年と推定していた「千鳥街」の立ち退き時期が1967年10月以降であることが確定した。
おそらく「千鳥街」は、1968年に破壊されたのではないだろうか。


6月4日(土)性慾研究会(2016年第3回) [性社会史研究(一般)]

6月4日(土) 曇りのち雨  京都  26.5度  湿度44%(15時)

6時、起床。
朝食は新丸子駅前「ブーランジュリー・メチエ」のミートパイとコーヒー。
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シャワーを浴びて、髪と身体を洗う。
髪は、よくブローして、頭頂部で結んでシュシュを巻く。
化粧と身支度。
黒地に茶と白の花柄のロングチュニック(3分袖)、黒のレギンス(5分)、黒網のストッキング、黒のサンダル、焦茶のトートバッグ

8時、家を出る。
新横浜駅8時59分発の「のぞみ161号」で京都へ。
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↑ 雪がほとんど消えた夏富士

11時58分、京都駅着。
同じ新幹線だった編集者の赤岩さんと駅中の「カフェ」で昼食。
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↑ まぐろかつ丼

13時06分発のJR奈良線に乗車。
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↑ 懐かしい電車(103系)がいた。
六地蔵駅で降りて、5分ほど歩き京阪六地蔵駅へ、宇治線に乗り換え。
12時36分、京阪宇治着。
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徒歩で井上章一先生の別邸へ。

12時50分、到着。
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↑ 2階のテラスから宇治川を望む。
13時過ぎ、開会。
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「性慾研究会(2016年第3回)」 京都宇治・井上先生別邸

(研究報告)「福永武彦の『草の花』(続)」(古川 誠)
(研究報告)「バンコクのゲイ施設について―巡見から―」(石田 仁)
(研究報告)「都電と『連れ込み旅館』」(三橋順子)   
(企画会議)『性欲の研究 人物編』の内容
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18時30分、閉会。
石田さんの報告は、2月のタイ合宿でメンバーの多くが入れない場所のフィールドワーク報告で、面白かっただけでなく、学問的にもいろいろ示唆的。
バビロン.jpg
↑ バンコクの高級ゲイサウナ「バビロン」のプール。

今日の出席者、井上章一、古川誠、岩見照代、光石亜由美、赤枝香奈子、石田仁、河原梓水、鹿野由行、赤岩なほみ(編集)、三橋順子(10名)。

次回は、9月10日(土)に京都で開催予定。

リビングに移動して、奥様の手料理をいただく。
これだけの質と量を手際よく用意するのは大変だと思う。
オクラのフライなど、作ってみたいものがいくつもあった。
ご馳走さまでした。

楽しい時間を過ごしているうちに、電車の時間が危うくなる。
22時30分、辞去。

京阪宇治駅23時01分発の電車に乗る。
IMG_8125.JPG
中書島駅で京阪本線の特急に乗換、大阪へ。
で地下鉄御堂筋線に乗り換えるが中津止まり。
梅田駅で降りて地上に出て、タクシーでホテルへ。

0時20分、新大阪駅近くの「新大阪ワシントンホテルプラザ」にチェックイン。
設備はやや古いが、わりと広いツインルーム。

就寝、1時。

1950年撮影の「渋谷大映」 [性社会史研究(一般)]

5月20日(金)

館淳一さんに教えられた『鳥類学者オリバー・L・オースティンが撮影した占領下の日本』より「渋谷大映」映画館
渋谷大映(1950年1月).jpg
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/56f9c24b2817ef60877fd92805547ad2.jpg

当時「大映通り」とも呼ばれた「大向(おおむこう)通り」(現「文化村通り」)にあった。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-05-15

映画館の看板が1949年12月27日封切りの「蛇姫道中」(監督:木村恵吾、出演:大河内伝次郎、長谷川和夫、山田五十鈴ら)なので、1950年正月の撮影であることが判明する。


男性ホルモン注射剤の広告(『内外タイムス』1954年8月4日) [性社会史研究(一般)]

4月23日(土)
「1本の注射で1カ月有効!」
持続性 強力男性ホルモン注射剤「デポ-エナルモン」の新発売を告げる大きな広告(帝国臓器)。
男性ホルモン剤(『内外タイムス』19540804).jpg
掲載誌は『内外タイムス』1954年(昭和29)8月4日号。
男性ホルモン注射剤の大量生産・大量販売が始まった時期がこの頃であることがわかる。

ただ、不思議なのは、この大きな広告が医学雑誌ではなく、現代で言えば『日刊ゲンダイ』に相当するナンパ系の一般紙の娯楽頁(多分に性風俗を含む)に掲載されていること。

ちなみに、すぐ隣は浅草新宿のストリップショーの広告。
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ということは、この男性ホルモン剤の広告は、ストリップショーが大好きな性行動が旺盛な男性向けなのかもしれない。

でも、経口剤ではなく注射剤・・・。
当時は、現在よりも注射器・注射針の管理が甘く(というか、ほとんどなく)自己注射が広く行われている状況があった。
たとえば、ヒロポン(覚醒剤)の自己注射とか(ヒロポンは、1951年に「覚せい剤取締法」がされて原則禁止)。

つまり、精力を維持したエロオヤジが、この広告を見て男性ホルモン注射剤を購入し、自己注射していたのではないか?という推測が浮かぶのだが、どうだろう。

それにしても、この広告から60年後、女性として生まれた人が「治療」の名のもとに男性ホルモン注射剤を大量に使用する時代になるとは、薬剤開発者は夢にも思わなかっただろう。


性慾研、バンコクに行く(2日目の2:共同研究会) [性社会史研究(一般)]

2月22日(月)
(続き)
11時、ホテルのロビーに集合。

BTS〈高架鉄道)のAsok駅まで歩き乗車。
3つ目のChit Lom駅で降りて、大きな商業施設「Central World 」へ。
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ここでいったん解散して昼食。
私は「若手組」についてフードコートへ。
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↑ 牛肉入り米麺(フォークイティアオ・ナーム・トック・ヌア Kuai-Tiao Naam Tok Nua)(45B)。
牛肉、レバーの薄切り(1枚だけ)、もやし、魚すり身団子、葉ネギ、コリアンダーなど。
スープがやや黒いのは、豚の血(ルア)を入れるからとのこと。
辛さは自分で調整。
値段の割にはおいしい。
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↑ マンゴーともち米のデザート(カオニャオ・マムアン)(35B)
マンゴーの半身と甘いココナッツミルクをかけた糯(もち)米。
タイのデザートの定番だが、食後のデザートとしては糯米が重い。

カード清算方式で、入る時に100B預けて、出る時に20B戻ってきた。

徒歩5分ほどの「Times Square Building」に移動。
15階の「Asiarna Business Center」へ。
会議室をお借りして、13時から研究会を開催。
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性慾研究会「日本とタイのセクシュアリティをめぐる共同研究会」

ゲスト報告者:平松秀樹(チュラロンコン大学)
ゲストコメンテーター:P・パットン(シーナカリンウイロート大学)
参加者:井上章一、岩見照代、澁谷知美、赤枝香奈子、石田仁、谷口洋幸、鹿野由行、三橋順子
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【研究報告】   
1 鹿野由行(大阪大学大学院)「「幸福な生活」を求めて―毛利晴一と男性同性愛サークル「同好趣味の会」の挫折」 
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↑ 鹿野さんの報告
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↑ (左)『同好』71・72号(1966年) (右)『清心』7号(1971号)

2 谷口洋幸(高岡法科大学)「日本のLGBTをとりまく法の現状と課題」
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質疑で日本とタイの制度比較。
タイの制度では、名前の変更(男性名から女性名へ、女性名から男性名へ)は比較的容易で届け出るだけ。
日本のように家庭裁判所の審判はいらない。
しかし、性別変更の法律はなく、IDカードの性別変更はできない。

3 平松秀樹(チュラロンコン大学)「タイの異性装とジェンダー再考ー文学・映画よりー」
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↑ 平松さんの報告
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↑ 質疑応答。

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とても充実した研究会だった。
とりわけ、アクシデントにめげず興味深い報告をしてくださった平松秀樹さんと、巧みな日本語でコメントとしてくださったパットンさんのお蔭で、ジェンダー&セクシュアリティの歴史と社会構造という視点からタイと日本の文化比較を考えることができた。

また、パットン先生には、タイの「LGBT」事情に詳しい2人の学生さんを連れてきていただき、その点も有意義だった。
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個人的には、平松さん、パットンさんに、2010年の「チュラーロンコーン大学&大阪大学共同開催シンポジウム」以来、6年ぶりで再会できたこともうれしかった。
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↑ 6年前の記念写真。
左端がパットン先生、左から3人目が平松さん(2010年1月11月、シーナカリンウイロート大学で)。

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↑ 共同研究会終了後に、全員で記念撮影。

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↑ 参加してくれた学生さんと。
国立シーナカリンウイロート大学(バンコク)日本語学科3年生で、パットン先生の教え子。
入学してきたときは男子学生だったというのが信じられない。
名前は女性名に変更済だがIDカードの性別は変更が認められないので男性まま。
しかし、大学では女子学生扱いが認められ、制服も女子用を着用しているとのこと(今日は休日なので私服)。
ぜひ頑張って勉強して、将来のタイと日本の交流に活躍してほしい。

12月26日(土)性慾研究会(2015年第5回) [性社会史研究(一般)]

12月26日(土)  曇り  京都  12.2度  湿度26%(15時)

6時半、起床。
朝食は新丸子駅前「ブーランジュリー・メチエ」のカカオ・ド・クレームとコーヒー。

シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結びシュシュを巻く。
化粧と身支度。
紺地に白い雲のような模様のロングチュニック(長袖)、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショートブーツ、焦茶のトートバッグ
黄色のニットのポンチョ。

8時40分、家を出る。
新横浜駅9時39分発の「のぞみ217号」で京都へ。
富士山、ちょっと雲がかかっていて残念
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名古屋駅を過ぎて、車中で早めの昼食。
好物の 「深川めし」(950円)
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伊吹山、ほとんど雪がない。
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11時38分、京都駅着。
地下鉄で四条に移動。
烏丸蛸薬師の「ローソン」でコピー作業。
定宿の「ヴィアイン京都四条室町」に荷物を預ける。
徒歩数分の井上章一先生の別邸へ。

12時45分、到着。
人数が集まるのを待って、13時過ぎ、開会。
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「性慾研究会(2015年第5回)」 室町・井上先生別邸

(研究報告)「『手淫の人々』探究の試みー安藤昌益からヒントを得て」(小泉友則)
(研究報告)「村上信彦の『奇譚クラブ』における匿名テキストを解読するー戦後民主的平等論者の分身について」(河原梓水)
(研究報告)「時代が求めた<未亡人>ー女性の身体は誰のものか(ミシェル・ペロー)ー」(岩見照代) 
(研究報告)「中高年と老人の包茎言説」(澁谷知美)   
(企画会議)『性欲の研究 人物編』の内容検討
(企画会議)「タイ合宿」の打ち合わせ
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19時、閉会。
研究報告4本と充実していた上に、打ち合わせしなければいけないことも多く、通常より1時間延長。
今日の出席者、井上章一、齋藤光、古川誠、岩見照代、光石亜由美、澁谷知美、赤枝香奈子、石田仁、河原梓水、眞杉侑里、小泉友則、鹿野由行、(お名前失念)、赤岩なほみ(編集)、三橋順子(15名)。
最近では出席人数、最高。
次回は、2月21~24日(日~水)「タイ合宿」。
次々回は、3月24日(木)に京都で開催予定。

懇親会は、入れるお店が見つからず、しばらくさまよった末に、新町通四条下ルの南イタリア料理の「ベジバル」へ。
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↑ 「もう一軒、行きますか?」(中央右が井上章一先生)。

二次会は、烏丸通仏光寺東入ルの蕎麦處「笹屋」へ。
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↑ 二八おろし蕎麦

23時半過ぎ、散会。
0時、ホテルに戻る。
就寝、0時半(ヴィアイン京都室町四条)。
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