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昭和戦後期の大横綱千代の富士(九重親方)逝く [訃報・追悼]

7月31日(日)

誕生日が8日違いの同じ年なので、ずっとリアルタイムで見てきたお相撲さん。

入幕してしばらくは力任せの投げにたよる怪我が多い小兵力士という印象だったが、1980年秋、3度目の小結で覚醒(10-5)。
鋭い立ち合いから前みつを取り、一気に寄るという合理的で安定した取り口に変貌。
関脇2場所(11-4,14-1優勝)で大関、大関3場所(11-4,13-2,14-1優勝)で横綱に駆け上がった。
そして優勝31回(内、全勝7回)、53連勝という、大鵬と並ぶ昭和戦後期を代表する大横綱になった。
通算1045勝は、平成の大横綱白鵬ですらまだ抜けない。

お相撲さんは短命な人が多いが、千代の富士(九重親方)は筋肉質なので長生きするだろうと思っていた。

膵臓がんが怖いのはわかっているが、61歳での早すぎる逝去は同年齢人してとても残念だ(合掌)。

【追記】
北の富士さん、辛いだろうな。
なんだか、かっての森繁久彌さん(「なんで、皆、先に逝ってしまうんだ!」)みたいになってきたな。
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師匠北の富士さん弔問「何で強い順に」 千代の富士死去

大相撲の元横綱千代の富士(九重親方)の死去から一夜明けた1日、東京都墨田区の九重部屋には師匠の元横綱北の富士さん(74)が弔問に訪れた。「穏やかで、千代の富士らしい顔だった。快方に向かっていると思っていたので、本当に驚いている。大鵬、北の湖、何でだろう。強い順に逝っちゃうね」と話した。

『朝日新聞』2016年8月1日11時41分
http://www.asahi.com/articles/ASJ813RNFJ81UTQP00K.html?iref=comtop_8_05

作家の近藤富枝さん逝去、93歳 [訃報・追悼]

7月25日(月)

作家の近藤冨枝さんが亡くなられた。
1922年(大正11)生まれの93歳だから、大往生だろう。

『モナ・リザは歩み去れり ー明治四十年代の吉原ー』(講談社 1983年) や『装いの女ごころ ーもうひとつの日本女装史ー』(講談社 1985年)など、私の専門である性社会史、着物の社会史の両面で、 ずいぶん勉強させていただいた。
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戦前・戦中の日本を(大人として)知っている人がどんどんこの世去っていく(合掌)。

(註)近藤さんの「女装史」は「女性の服飾の歴史」という意味で、「女装」の本来の用法。

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近藤富枝さん死去 朝ドラ「本日も晴天なり」モデル

近藤富枝さん(こんどう・とみえ=作家・随筆家)が24日、老衰で死去、93歳。通夜は8月1日午後6時、葬儀は2日午前11時から東京都新宿区上落合3の4の12の最勝寺檀信徒会館で。喪主は長男近藤龍太郎(りょうたろう)さん。

1944年に日本放送協会に入り、アナウンサーに。翌年、敗戦を機に退局。81~82年に放映されたNHK連続テレビ小説「本日も晴天なり」のヒロインのモデルになる。代表作に「本郷菊富士ホテル」「田端文士村」などの文壇資料シリーズ三部作がある。

『朝日新聞』2016年7月25日12時58分
http://www.asahi.com/articles/ASJ7T4172J7TUCVL00C.html?iref=comtop_8_07


「ザ・ピーナッツ」(妹)逝く [訃報・追悼]

7月11日(月)

新宿歌舞伎町ホステス時代、「恋のバカンス」「恋のフーガ」「ウナセラディ東京」「情熱の花」・・・ザ・ピーナッツの歌はずいぶん歌った。
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姉妹揃って70代前半で亡くなったのは、平均寿命を考えると早死だと思う。
「昭和の歌姫」が、また一人逝ってしまった。
合唱、もとい合掌。

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伊藤ユミさん死去 「ザ・ピーナッツ」

ヒット曲「恋のバカンス」などで知られる双子デュオ「ザ・ピーナッツ」の妹で、元歌手の伊藤ユミ(いとう・ゆみ、本名・月子〈つきこ〉)さんが5月18日に死去していたことが11日、わかった。75歳だった。葬儀は近親者で行った。

愛知県出身。1959年に双子の姉のエミさんとのコンビでデビューした。「シャボン玉ホリデー」などに出演し、人気歌手に。双子で怪獣映画「モスラ」にも出演した。エミさんは2012年に亡くなっている。

『朝日新聞』2016年7月11日16時30分
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12454693.html?rm=150

大島俊之先生の逝去の報に接す [訃報・追悼]

2月22日(月)

バンコクにて、大島俊之先生(法学者、前GID学会(性同一性障害学会)理事長、元神戸学院大学教授)の訃報に接す。

たしかまだ68歳、お亡くなりになるようなお歳ではない。
やはり、酒毒がお命を縮めてしまったのだろうか。

私とは戸籍の続柄(性別)変更問題をめぐって見解を異にすることも多かったが、同時に教えられるところも大きかった。
昨年11月15日の「関西GIDネットワーク」の市民フォーラム(大阪「梅田ガクトホール」)での私の講演に、わざわざお出掛けくださったのが最後になってしまった。

心からご冥福をお祈りいたします(合掌)。

【追記(24日)】
逝去されたのは19日とのこと。
GID学会(大阪府大)の懇親会でお会いした時、どす黒い顔色と浮腫みに驚き、正直言って、これは長くないかも?と思った。
11月の「関西GIDネットワーク」の私の講演に来てくださった時には、浮腫みが取れてお顔の色も良くなっていたものの、ずいぶんやつれていて、また驚いた。
肝臓がすっかり駄目になっていた(肝硬変)とのこと。

それにしても、バンコクにいた私のブログが第一報とは・・・。

水木しげる先生が妖怪の国に旅立たれた 93歳 [訃報・追悼]

11月30日(月)

漫画家の水木しげる先生が妖怪の国に旅立たれた。93歳。

『ゲゲゲの鬼太郎』をはじめとする水木漫画は、手塚治虫漫画とともに、少年時代の私の心象風景に大きな影響を与えた。
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↑ 原作品名は「墓場鬼太郎」

また、性社会史の研究を始めてからは、水木先生自らが体験された「慰安所」の実態を描いた作品に大きな衝撃を受けた。
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↑ 『総員玉砕せよ!』
戦争の悲惨さを実体験として語れる方が、また1人減ってしまった。

水木先生、たくさんの作品をありがとうございました(合掌)
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↑ 境港市で(2010年夏)


伝説の大女優、原節子さん逝く、95歳 [訃報・追悼]

11月25日(水)
原節子さんが、映画全盛期の大女優であることは、もちろん存在は知っていたが、最後の映画出演は1962年、私が7歳の時で、さすがに現役のお姿は記憶にない。

大きな目が特徴的なくっきりした顔立ち、大正生まれの日本人女性には珍しい165cmの長身。
初の日独合作映画「新しき土」(1937年)のヒロインに抜擢されたのも肯ける。
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太平洋戦争中は「ハワイ・マレー沖海戦」(1942年)をはじめ、「決戦の大空へ」(1943年)、「勝利の日まで」(1945年)などの戦意高揚映画に数多く出演した。

戦後は「安城家の舞踏会」(1947年)のヒットで原トップ女優としての地位を確立。
さらに「青い山脈」(1949年)で女性教師役を演じ大ヒット。
その後、小津安二郎監督の「晩春」(1949年)、「麦秋」(1951年)、「東京物語」(1953年)、「東京暮色」(1957年)など6作品に出演し、内面的な深さのある演技で高い評価を得た。
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↑ 「晩春」(1949年)から
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↑ 「晩春」の花嫁姿。原節子自身は生涯独身だった。

1963年12月、小津安二郎監督の通夜に姿を見せたのを最後に公の場から姿を消し、鎌倉で隠遁生活に入った。
小津監督に殉じたかのような、あるいは日本映画の斜陽化を予測したような、42歳での早すぎる引退から52年。
あまりにも長い余生だった(合掌)。
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原節子さん死去95歳 伝説の女優「東京物語」「晩春」

戦前から戦後にかけて銀幕のトップスターとして活躍し、42歳の若さで突然引退した後は「伝説の女優」といわれた原節子(はら・せつこ、本名会田昌江〈あいだ・まさえ〉)さんが9月5日、肺炎で死去していたことがわかった。95歳だった。葬儀は近親者で営んだ。

同じ敷地に暮らしていた親族によると、原さんは8月中旬、神奈川県内の病院に入院。亡くなった日は、5人ほどの親族に見守られながら息を引き取った。それまでは「大きな病気もなく過ごしていた」といい、亡くなった時点での公表を控えたのは「あまり騒がないでほしい」との遺志を尊重したためという。

横浜市生まれ。女学校2年の時に義兄の熊谷久虎監督に女優の道を勧められ、1935年、日活多摩川撮影所に入社。「ためらふ勿(なか)れ若人よ」でデビューした。芸名の「節子」はこの時の役名からとった。

山中貞雄監督の「河内山宗俊」など清純な美しさとかれんな演技で注目を浴び、36年、アーノルド・ファンク監督から、日独合作映画「新しき土」の主役に抜擢(ばってき)された。

東宝系の会社に移籍。戦争映画への出演を経て、戦後の46年、黒澤明監督の「わが青春に悔なし」で、生の輝きに満ちた新しいヒロイン像を演じて注目を集めた。第2次東宝争議の最中、組合の政治闘争主義に反発し、長谷川一夫、高峰秀子らとともに組合を脱退し、47年3月に創立した新東宝に参加。この年の6月にフリーとなった。

以降、「安城家の舞踏会」「お嬢さん乾杯!」「青い山脈」などに主演。みずみずしい美貌(びぼう)と着実に成長した演技力を発揮した。49年の小津安二郎監督の「晩春」では、大学教授の父(笠智衆)と暮らす、婚期が遅れた娘のこまやかな愛情を好演。この年の毎日映画コンクールの女優演技賞を受けた。

「白痴」「麦秋」「めし」「東京物語」「山の音」など、戦後映画を代表する作品にたて続けに出演した。54年には、白内障の手術を受けたが、翌年、「ノンちゃん雲に乗る」で鰐淵晴子の母親役で再起した。

その後も、「東京暮色」「秋日和」「小早川家の秋」など小津作品や、「智恵子抄」などで活躍したが、62年、「忠臣蔵」を最後に突然引退した。

その後は神奈川県鎌倉市の自宅で静かに暮らし、パーティーなどの公の場には一切登場せず、マスコミなどの取材にも応じていなかった。それがかえって神秘的なイメージを生んだ。

『朝日新聞』2015年11月26日02時25分
http://www.asahi.com/articles/ASHCT7KPNHCTUCLV01B.html?iref=comtop_6_01

北の湖理事長が死去、62歳 元横綱・優勝24度 [訃報・追悼]

11月20日(金)

私より2つだけ上で、お相撲さんがいくら短命でも、まだまだ亡くなる年齢ではない。

少し前にテレビで見た時に、「あまり(体調の)良い顔じゃないなぁ」と思ったのを覚えているけど、直腸癌だったとは・・・。

現役時代は、強すぎる横綱で、人気はなかったが、大鵬、千代の富士と並ぶ昭和戦後期を代表する強豪横綱だった。
ただ、親方(育成指導)としては、三役力士すら育てられず(前頭筆頭の厳雄が最高)実績をあげられなかった。
名力士、必ずしも名伯楽ではない典型。

相撲協会の改革はまだ途上、早すぎる死はさぞ無念だったと思う(合掌)。

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北の湖理事長が死去、62歳 元横綱・優勝24度

大相撲の元横綱で日本相撲協会理事長、北(きた)の湖(うみ)親方の小畑敏満(おばた・としみつ)さんが20日午後6時55分、直腸がんによる多臓器不全のため福岡市内の病院で死去した。62歳だった。葬儀の日取りは未定。

亡くなる前日も観戦 北の湖理事長、横綱対決を予想

福岡国際センターで行われている九州場所のため福岡市に滞在していた。今年7月、腎臓に尿がたまる両側水腎症と診断され、名古屋場所の途中で休養。8月に職務に復帰したが、健康状態が安定していなかった。九州場所には初日から姿を見せ、前日までは報道対応をこなし、取組の解説もしていた。

北海道壮瞥(そうべつ)町生まれ。中学1年だった1966年冬に上京し、三保ケ関部屋に入門。当時は認められていた中学生力士として、両国中学校に通いながら、67年初場所で初土俵を踏んだ。71年夏場所で十両昇進。72年初場所で幕内に昇進するなど、当時の最年少記録を次々と塗り替えた。

74年名古屋場所後に横綱昇進。21歳2カ月での最年少記録は、いまだ破られていない。得意は左四つからの寄りや投げで、ライバルの横綱輪島との熱戦はファンの声援を二分し「輪湖(りんこ)時代」を築いた。優勝24度は白鵬、大鵬、千代の富士、朝青龍に次ぐ歴代5位。

現在の国技館のこけら落としとなった、85年初場所中に現役を引退。横綱在位は史上最長の63場所で、横綱での白星670勝は歴代1位。幕内804勝(247敗107休)は、魁皇、白鵬、千代の富士に次ぐ歴代4位だった。その功績から、現役時のしこ名で親方になれる一代年寄となり、北の湖部屋を創設。元幕内巌雄(山響親方)や幕内北太樹らを育てた。

2002年2月に理事長に就任。しかし、08年9月に弟子の白露山が抜き打ち検査で大麻の陽性反応が出た責任を取って辞任。12年に理事長に復帰すると協会の公益法人化を実現し、不祥事のため低迷していた観客数の増加にも尽力した。

『朝日新聞』2015年11月20日21時34分

時代小説の名手、宇江佐真理さん逝く [訃報・追悼]

11月9日(月)

ああ、もう「髪結い伊三次捕物余話 」シリーズは読めなくなるのか・・・。
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登場人物の造形が巧みで、ストーリー展開に無理がなく、安心して読めるので、ほとんどの作品を読んできた。
まだ、亡くなるような御歳ではないのに・・・。

たくさんの作品、ありがとうございました(合掌)。
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訃報:宇江佐真理さん66歳=作家、髪結い伊三次捕物余話

「髪結い伊三次(いさじ)捕物余話」シリーズなどで知られる作家の宇江佐真理(うえざ・まり、本名・伊藤香=いとう・かおる)さんが7日午前9時17分、乳がんのため北海道函館市の病院で死去した。66歳。通夜は9日午後6時半、葬儀は10日午前11時、函館市田家町5の29の赤坂中央斎場。喪主は夫伊藤仁司(ひとし)さん。

「幻の声」でオール読物新人賞を受賞しデビュー。同作が皮切りとなった「髪結い伊三次捕物余話」シリーズがヒットするなど、江戸庶民の暮らしを情感豊かに描く時代小説で読者を獲得した。「深川恋物語」で吉川英治文学新人賞。「余寒の雪」で中山義秀文学賞。他の作品に「泣きの銀次」シリーズや「古手屋喜十為事覚え」「雷桜」「彼岸花」「通りゃんせ」などがある。(共同)

『毎日新聞』 2015年11月07日 19時56分
http://mainichi.jp/select/news/20151108k0000m060060000c.html

女優、川島なお美さん逝く。54歳 [訃報・追悼]

9月24日(木)
女優の川島なお美さんが胆管がんで逝去された。54歳。

とりたてて好きな女優さんというわけではなかったけど、一度だけ直にお会いしたことがある。
1998年に秋田で開催された「日本文化デザイン会議」の楽屋。
お弁当を背中合わせで食べていたのが川島さんだった。
食べ終えて席を立つときに、会釈しただけだったが。

たしかにスタイルは良かったが、正直、それほどの女優オーラは感じなかった。
同じ日に若尾文子さんを間近に見て、圧倒されたせいもあるのだが(比べたらかわいそうだ)。

最後にメディアに出たとき(9月7日)、明らかに死相が出ていた。
(私、「相」が見えちゃう方なので)。
もう長くないのはすぐわかったが、思った以上に早かった。
年下の女性が先に逝ってしまうのは、いつも悲しい(合掌)。

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俳優の川島なお美さん死去 胆管がん、54歳

俳優でタレントの川島なお美(かわしま・なおみ、本名鎧塚なお美〈よろいづか・なおみ〉)さんが24日午後7時55分、胆管がんのため東京都内の病院で死去した。54歳だった。葬儀の日取りは未定。

「息を引き取るまで 川島なお美のまま」 夫の鎧塚さん

名古屋市出身。青山学院大学在学中に歌手デビューし、ラジオ番組でDJも務めた。女子大生ブームのさきがけとなったとされる。バラエティー番組「お笑いマンガ道場」ではレギュラーとして人気を集めた。97年には渡辺淳一さん原作のドラマ「失楽園」で、不倫の末に心中する女性を演じた。近年はミュージカルでの活躍が多く、今月17日に体調不良で降板を発表するまで、長野県で韓国オリジナルミュージカル「パルレ~洗濯~」に出演していた。ワイン好きでも知られ、日本ソムリエ協会の名誉ソムリエに就任している。09年にパティシエの鎧塚俊彦さんと結婚した。

14年に肝内胆管がんで手術を受けていた。
『朝日新聞』2015年9月24日23時51分
http://www.asahi.com/articles/ASH9S7TT5H9SUCVL03M.html?iref=comtop_6_01

和歌山電鉄貴志川線・全駅駅長「タマ」(16歳)逝く [訃報・追悼]

6月24日(水)
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当猫には人間の役に立とうとか、まして廃線危機の小地方私鉄を立て直そうとか、そんな意識はまったくなかったと思う(たぶん)。

ただ、駅が居心地がよく、餌をくれたり撫でてくれる人にちょっと愛嬌を振りまいていただけなのではないだろうか(たぶん)。

それでいて、大勢の人間がやろうとしてできなかった、路線長わずか14.3kmの地方私鉄の財政改善を、ほとんど一匹の魅力で成し遂げてしまった(もちろん、演出も巧みだったが)。

まさに「偉猫」である。駅前に銅像を立てて永く顕彰すべきだろう。
今後は、二代目駅長「ニタマ」の活躍に期待する。

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三毛猫「たま駅長」死ぬ 和歌山電鉄、28日に社葬

和歌山電鉄は24日、三毛猫駅長「たま」が22日夜に急性心不全で死んだと発表した。5月19日から鼻炎で治療していた。人間にたとえると80歳ぐらいの16歳だった。

たま駅長は1999年4月29日生まれ。旧南海電鉄貴志川線貴志駅(和歌山県紀の川市)にすみついたトラ猫が産んだメスで、貴志駅隣の小屋で飼われていた。

2006年に和歌山電鉄に移管される際、線路や駅舎の用地を南海電鉄から買い取った地元自治体から小屋の撤去を求められ、飼い主が「猫が駅に住めるようにしてほしい」と和歌山電鉄の小嶋光信社長に直訴。「ふてぶてしいようで、どこか愛敬のある風貌(ふうぼう)」が見初められ07年1月、貴志駅の駅長に就任。一気に全国区となり、たま駅長をモデルにした駅舎や電車ができるなど、ローカル線を元気づけてきた。14年1月に「ウルトラ駅長」となり、全駅の駅長になった。

その功績をたたえ、和歌山電鉄は28日午後0時半から、貴志駅コンコースで小嶋社長が葬儀委員長となり社葬を営む。

『朝日新聞』2015年6月24日20時10分
http://www.asahi.com/articles/ASH6S6256H6SPXLB014.html