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21年前(1995年12月13日)、伏見憲明さんとのツーショット [古い写真帳から]

2月3日(金)

明日(4日17~19時)の伏見憲明さんとのトークライブ(新宿二丁目「A Day In The Life」)に備えて昔の写真を発掘。
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1995年12月13日、対談(『imago』1996年2月号掲載「ジェンダーをデザインする」)を終えた後、新宿歌舞伎町で。
21年前、二人とも若い!

伏見さんとの対談「ジェンダーをデザインする」が掲載された『imago』(青土社)1996年2月号「(特集)ボディ・デザイン」。
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翌年、座談会でご一緒する石井達郎先生、今も化粧文化研究会でお世話になっている北山晴一先生、亡くなられた村澤博人先生など、すごいメンバーだった。

掲載が、新年発売号だったので、お正月っぽい黒地に金の竹模様の訪問着を着ていった。
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私単独の写真の背景に、今はもうない「コマ劇」のネオンが写っている。
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懐かしいなぁ。

2000年6月11日「明治村」(FLT10) [古い写真帳から]

11月13日(日)

古い写真帳から。

2000年6月11日、女装仲間と「明治村」(愛知県犬山市)に旅行した時のスナップ。
16年前だから、45歳。
1990年代後半に私が企画していた女装者の親睦旅行「Fake Lady Tour」の最後の回(FLT10)。

「Fake Lady Tour」は、女装者が自主的に旅行を企画することで、一般的な料金で旅を楽しむと同時に、世の中の人たちに「こういう人がいるんだよ」ということを知ってもらう広報活動としての意図をもっていた。

宿泊先の旅館・ホテルには、予約の段階で「新宿のニューハーフのお店の慰安旅行」と伝えていたが、一度として拒否されたことはなかった。

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↑ 入り口で
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↑ 蒸気機関車12号(1874年イギリスから輸入)の前で
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↑ お風呂屋さん(半田東湯、1910年頃)の前で
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↑ 旧・帝国ホテル(ライト館、1923年)で

9年前のツーショット、上川あやさんと [古い写真帳から]

1月30日(土)

Facebook経由で、ある方から、昔(9年前)の写真をいただいた。
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2007年11月20日、横浜国立大学で開催された「差異と共生」シンポジウム「性的マイノリティは構築されたのか -フーコーを超えて-」の懇親会での撮影

上川あやさん(世田谷区議会議員)との、ちょっと珍しい、ツーショット

私の髪、まだじゅうぶんに伸びていない・・・。
「LGBT」なんて言葉、まだ日本ではほとんど誰も使っていない頃。


大阪堂山のレズビアンバー「百合かご」で(1993年11月5日) [古い写真帳から]

7月20日(日・月)
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1993年11月5日、大阪・堂山のレズビアンバー「百合かご」で、しょうこママ(中央)・北野洋子さん(左、後に『贋作淑女』のママ)とスリーショット

たぶん、この時が順子の大阪初遠征だったと思う。

この写真を撮った時からもう22年、しょうこママが若くして逝ってしまってから、もう10年になるのか・・・。
ママにいただいた簪、今でも持ってます。


丹後半島・伊根の「舟屋」を背景に(2006年11月20日) [古い写真帳から]

6月25日(木)
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2006年11月20日、「舟屋」で有名な丹後半島伊根(京都府与謝郡伊根町)の港で撮影。
着物は、雨模様の日に愛用しているピンクの会津木綿。
ウィッグから自毛にして間もない頃で、まだ髪の毛が伸びきっていない。

ジャストタイミングでカモメが飛んでくれた。
よく見ると、各家の屋根に、カモメが1羽ずつ止まっている。

舟屋は1階が船のガレージ、2階が居間になっている独特な建物で、波静かな伊根湾の海辺ぎりぎりに建ち並んでいる。
「伊根の舟屋」は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
保存地区なので、大きな変化はないが、それでも住民の方の生活があるので、少しずつ「舟屋」は減っているようだ。

映画「フーテンの寅」シリーズ第29作「寅次郎あじさいの恋」(松竹)のマドンナ役のいしだあゆみの故郷が丹後の伊根という設定だった。

京都から宮津もしくは天橋立経由で3時間くらいかかる不便な場所で、ともかく人口密度が低い(人が少ない)エリアで、私たちが訪れた時も、高齢者ばかりという印象だった。
それでもこの頃は、丹後半島を一周する観光バスがあったが、数年前に廃止されたらしい。

この景色をどうしても見たくて、少し無理なスケジュールで行き、滞在は3時間ほどだったが、行っておいて良かった。

歌舞伎町ホステス時代の名刺(1999~2000年頃) [古い写真帳から]

6月24日(水)

資料を探して本の山を崩していたら、こんなものがポロっと出てきた。
不要になったので、栞代わりに使っていたらしい。
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名刺に、お店のサイトURLも、メールアドレスも記されてないのは、インターネットの普及がまだまだだった時代(1999年)を示している。

歌舞伎町区役所通り「風林会館」の斜め前のビルにあったニューハーフ・パブ「MISTY」(すでに閉店)では、1999年の2月の開店から2001年の春まで約2年間、お手伝いホステスをしていた。
ホステスとしては、週1~2度の非常勤だったが、一応、広報担当だったので、名刺を作ってもらった。
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↑ 1999年9月26日、「MISTY」のボックス席で撮影
ホステスとしての私の全盛期の頃。

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↑ 1周年の頃(2000年2月26日)カウンターの中で撮影。
左がオーナーのエルさん(後にママ)、右が麻里ママ。

あの頃は、まだ若かったし(44歳)、楽しかったなぁ。


出勤の途上(1997年12月5日) [古い写真帳から]

6月16日(火)

「古い写真帳から」
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1997年12月5日、新宿駅東口で撮影。
18年前、42歳の時。
『AERA』(朝日新聞社)の記者が、新宿の女装者を記事にする企画で「出勤の様子を撮影したい」というので協力した。

ファッションは、腕と背中がシースルーになっいる黒のベルベットのミニワンピース

いくらなんでも師走の街をこんな寒い恰好で歩いているはずはなく、ほんとうはボア襟のカシミアのポンチョ(現在も使っている)を羽織っているのだが、カメラマンの要請で寒いのをこらえて、文字通り、一肌脱いだ。
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どちらも、顔が露出オーバーで白く飛んでいて、プロが撮った写真としては失敗だと思う。
今回、かなり補正してみたが、やはり駄目なものは駄目。
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↑ 7分身の写真だけは、少しは見られるようになった。

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↑ この日、新宿二丁目にオープンした「青い鳥」(槇村かおりママ)という女装スナックで。
私がお手伝いホステスをしていた歌舞伎町区役所通りの「ジュネ」は、メディア取材不許可だったので、こちらの店で撮影させてもらった。
(というか、12月の金曜夜なんて「ジュネ」は無茶混みで取材撮影なんて絶対に無理)

この企画、「ズボンを捨て街へ出よう -女装で広がる『もう一人の私』の世界-」(『AERA』1997年12月22日号)という記事になるのだが、結局、これら写真は使われなかった。

お台場で遊んだ後、新橋で(2006年6月10日) [古い写真帳から]

6月15日(月)

「古い写真帳から」
と言っても、これはそんなに古くない。
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2006年6月10日の撮影
9年前のちょうど今の季節。
黒地に深緑の大矢絣模様の伊勢崎銘仙(単)に、銀鼠に大輪の百合を刺繍した夏帯(れえすの花)といういで立ち。
着物友達と、お台場に遊びに行った帰り、「ゆりかもめ」新橋駅から撮影。
下の道路は「第一京浜」、遠くに見えるのは銀座のネオン。
たそがれ時、私が好きな時間。
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↑ 同じ日の昼間、お台場海浜公園で。
背景に霞んでいるのはベイブリッジ


新宿「ソウルメイト」の北陸旅行(1994年3月) [古い写真帳から]

6月14日(日)

先月末、パソコン新しくしたので、画像ファイルの整理をしながら、電子化していない古い写真の画像取り込みを少しずつしている。
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この写真は、1994年3月20日の撮影。
つまり、21年前、38歳。

場所は、北陸の粟津温泉のスナック「マリーヌ」の前。
新宿二丁目にあった「ソウルメイト」(あきこママ)という週末営業の女装スナック主催のバス旅行に参加したときのもの。

真っ赤なセーターに、濃紺に白の水玉模様のミニスカート、パッチワークキルト風のニットのショールというファッション。

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↑ 翌日は東尋坊に行った。
東尋坊近くの茶店で。
私の写真しては珍しい笑顔。

女装旅行は、前年秋の女装クラブ「エリザベス会館」の伊香保旅行に続いて2回目。
どこか監視されているような気がする女装クラブの旅行と違って、新宿の店の旅行は自由な雰囲気でとても楽しかった。
のちに、自分で女装者の親睦旅行(フェイクレディ・ツアー)を企画・運営するきっかけになった旅行。

古い手帳によると「のとや」という旅館に泊まったようだ。
調べてみたら、今も「旅亭 懐石 のとや」として盛業中のようで、何より。

チャカをバッグに入れていた頃(1998年7月10日) [古い写真帳から]

6月2日(火)
昨日に続き「古い写真帳から」。
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1998年7月10日、東京・本所の男友達の家で撮影

前年の5月「性同一性障害の診断と治療のガイドライン」が策定され業界の各勢力の確執が強まっていた頃。
私も新宿歌舞伎町の店を出たところで、待ち伏せしていたTS(トランスセクシュアル)原理主義者に襲撃された。
幸いチーママが機転をきかせてくれたので、かすり傷程度で済んだが、本気で自己防衛を考えなければならなくなった。

その直後、その筋の男友達が
「姐(あね)さんになにかあったら、あっしらが困りますんで、これでもバッグに入れておいてください」
と持ってきてくれた。

射撃の腕には自信があったが、結局、使う機会はなかった。
まあ、そんな時代もあったということです。




その筋=ミリタリーおたくのモデルガン・マニア

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