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性社会史研究(遊廓・赤線・街娼) ブログトップ
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1945年5月17日の新宿 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

3月10日(日)

1945年(昭和20)5月17日、アメリカ軍が撮影した新宿の空中写真。
19450517(米軍) (2).jpg
黒っぽく見える地域は焼け残っていて、白っぽく見える地域はすでに焼けている。
四谷方面は、4月13日の空襲で焼けていて、新宿2丁目と1丁目の境界の道路、新宿通りで焼け止まったことがわかる。
右上の(現在の)歌舞伎町方面も焼けているように見える。
靖国通りの北側は、番衆町(現:新宿5丁目)は焼け残っているが、東京医大あたりから四谷寄りの富久町は焼けている。

「新宿遊廓」(新宿2丁目:下図で赤で囲った部分)はまだ焼けていない。
遊廓の西側と南側に白っぽい所が見えるのは、延焼防止目的の戦時強制疎開か。
19450517(米軍)2.jpg

しかし、焼け残っているエリアも、8日後の5月25日の空襲(東京山の手大空襲)で灰燼に帰す。

それにしても、これだけ精密な空中写真を、やすやすと敵機に撮影されている(B29により高高度偵察飛行)のだから、敗戦はもう必然だった。
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新小岩へ [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

3月2日(金)
(続き)
思い立って、錦糸町駅から総武線を逆方向に乗り、新小岩駅へ。
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新小岩駅の南にあった「赤線」跡を訪ねる。
6-16 「赤線」新小岩・丸健(内外タイムス19531127).jpg
在りし日の「赤線」新小岩。「丸健(まるけん)」の通称で親しまれた。(『内外タイムス』1953年11月27日号)
当時の建物はもう1軒も残っていないのはわかっていたが、駅からの距離を実感したいため。

「ルミエール」という商店街をまっすぐ歩く。
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道はわかりやすい。
長いアーケード抜けて・・・ここらへんかな。
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足が痛い現在の私(でも、人並みのスピード)で徒歩10分弱という感じ。

駅前の「BECK'Sコーヒー」で休憩。
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それにしても、錦糸町も新小岩も喫茶店が少ない街だな。

帰路、総武ー横須賀線でまっすぐ武蔵小杉駅へ、と思っていたが、横須賀線(京浜東北線、東海道線も)が沿線火災で不通で東京駅止りになっていた。
次善のルートとして東京駅まで行って山手線で目黒駅に出て東急目黒線でと思ったが、東京駅のホームが詰まっていて、乗った電車が馬喰駅で動かなくなってしまう。
頭の中に路線図を浮かべて、JR総武線馬喰駅から都営地下鉄新宿線馬喰横山駅に移動、神保町で都営三田線に乗換て東急目黒線に入るというルートを選択。

19時、やっと帰宅。

夕食は、常夜鍋(豚肉とほうれん草のしゃぶしゃぶ)。
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少し、原稿の手直し。
お風呂に入って温まる。

就寝、2時。


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新吉原「カストリ書房」へ [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

2月20日(火) 
(続き)
JR総武線(浅草橋駅乗換)都営地下鉄浅草線で浅草へ移動。
打ち合わせが早く終わったので、1時間ほど余裕。

ずっと行きたくて行けなかった花川戸の履物問屋さんへ。
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下駄を2つあつらえ。
15年来愛用の焼桐の右近の台、これが最後らしい。
15年来愛用の焼桐の右近の台、これが最後らしい。

需要がないので、当然、後継者がいなくなる。
哀しいけど仕方がない。

長年、お世話になっているこの問屋さんも、以前は職人さんがいて、その場で鼻緒をすげてくれた。
客の足を見ただけで、鼻緒の調整をピタリと合わせる名人芸だった。
そのおじいさんもいなくなり・・・、今は2週間待ち。

和装履物、とくに下駄の将来は暗い。
私が生きているうちは、なんとかもって欲しいと思っていたが、悲観的になる。

まだ時間があるので、大川沿いに花川戸の道を歩く。
以前は、ずらりと履物屋さんが軒を並べていたが、ずいぶん減った。

15時過ぎ、言問通りの交差点でタクシーを拾う。
「吉原の大門までお願いします」
初老の運転手、なぜか動揺。
道を間違え、少し遠回り。
しかも「大門まで」と言ったのに、なか(廓内)に入ってしまい、ソープランド街のど真ん中で停車。
メーター通りの料金を渡して「領収書、お願いします」と言ったら、「すいませんでした」と領収書と50円玉を渡された。

少し戻って江戸一通りに入り、「吉原公園」を通って、廓外へ。
お歯黒溝(おはぐろどぶ)跡の道を歩いて、遊廓専門書店「カストリ書房」へ。
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昨秋の移転&新店舗になってから初めて。
昨年、友人の研究者を案内して訪れるはずだったが、体調が優れずキャンセルしてしまったので。

店主に依頼された『風俗科学』1954年7月号を持参。

「かなりあちこち探したのですが、三橋さんのコレクションしかヒットしなくて・・・」とのこと。
まさか「天下の孤本」ということはないだろうが、残存数が少ないのは確かのようだ。

御礼に、千葉由香著『みちのく仙台常盤町 小田原遊廓随想録』(カストリ書房、2018年1月)をいただく。
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なんだか申し訳ないので、私からの「赤線」亀戸の地図(1954年の火災保険地図)を提供。

新店舗、元は皮革工場だったそうで、以前の店舗より倍以上も広い。
手前の作業場だった土間と靴を脱いで上がる部屋が店舗、土間の右側が事務室、そしてその奥が資料室。
購入する本を選んだ後、資料室を見学。
書籍・雑誌だけでなく、関連の地図もファイルされていて、かなり充実している。
2、3、有益な情報をメモ。

伏見通りにわずか2軒だけ残っている「赤線」建築の現状を確認。
(残っていてよかった)

角町のソープランドに来たお客(おじさん)が降りた直後のタクシーを店の真ん前で拾う。
10数年前、同じパターンで乗ったら、運転手に「今日は早番ですか?」って言われたことあった。
今日は何も言われない。
そりゃあそうだ、いくらなんでもこんな高齢のソープ嬢はいない。

浅草でタクシーを降りて、都営地下鉄浅草線に乗る。
(続く)

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2月20日(火)「赤線」亀戸のフィールドワーク [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

2月20日(火)  晴れ  東京  12.4度  湿度32%(15時)

7時半、起床。
朝食は、グレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。

ずっと自著原稿の手直しで籠もっていたが、今日は久しぶりに一日外出。

9時半、家を出る。
東急目黒線(目黒駅乗換)JR山手線(品川駅乗換)JR横須賀線で錦糸町駅へ。

北口から10分ほど歩き、旧「赤線」亀戸のフィールドワーク。
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↑ 横十間川・天神橋から。
中央に見えるマンションを含め、その右手が「赤線」指定地。
JR錦糸町駅からよりJR亀戸駅からの方が近いように思う。
(当時は都電22系統柳島停留所が最寄り)

2016年のストリート・ビューで下見して、その時点では、旧「赤線」の建物が3軒残っているのを確認したが、残念ながら、そのうちの1軒は解体されてしまっていた。
2軒だけ撮影。
「赤線」亀戸「双葉」 (6) - コピー.JPG
↑ ワインレッドタイルの壁面装飾が美しい(旧「双葉」)。

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↑ 「亀戸カフェー組合」の事務所と(性病)診療所があった場所には大きなマンションが建っていた。

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↑ 「赤線」指定エリアの西口にあたる栗原橋から。

旧・指定地から北に歩いて天祖神社へ。
玉垣の刻銘を撮影。
「城東三業組合」(亀戸の料理屋・待合・芸者置屋の組合)の刻銘はすぐに見つかったが。
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肝心の亀戸「遊園地」(戦前の私娼窟時代の名称)の刻銘が見つからない。
不安がよぎる。
あれ?こんな大きな標識、以前はなかったよね、
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と思い、後ろをのぞき込むと・・・、
あった。
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でも、これでは正面から撮影できないじゃないか。
看板の裏側の狭い空間に腕を差し込んで、なんとか撮影する。

この場所に標識が立てられたの、偶然だろうか? それとも人目につかないようにする隠蔽の意図があったのか?
まあ撤去されてしまうよりはマシだけど。
C1-18 亀戸「遊園地」.jpg
↑ 2003年撮影


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「赤線」新宿の今昔 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

9月14日(木)

1950年、「赤線」時代の新宿二丁目。
(『あの日の新宿』武揚堂)
「赤線」新宿二丁目1950年(『あの日の新宿』昭和25年、ぶよう堂) (2).jpg

67年後、2017年9月の同じ場所。
「赤線」新宿二丁目1950年(現況) - コピー.JPG
「新千鳥街」北側、「九州男」がある路地。



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新吉原遊廓「角海老楼」白縫花魁の画像 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

7月4日(火)

大正3年(1914)4月の新吉原遊廓「花魁道中」に参加した「角海老楼」の白縫(しらぬい)花魁の写真。
新吉原花魁道中(角海老楼・白縫)2.jpg新吉原花魁道中(角海老楼・白縫)3.jpg
新吉原花魁道中(角海老楼・白縫)4 - コピー.jpg

白縫花魁は、この翌年の大正4年(1915)「自由廃業」を求めて廃娼運動を展開していた救世軍に駆け込む「白縫事件」を起こす人。
新吉原のトップクラスの花魁の「自由廃業」として、当時、大きなニュースになった。
「白縫事件」は「廃娼運動」の成果として評価されることが一般的だが、資料を詳細に見ていくと、そんな単純な話ではなく、彼女のしたたかな計算も見えてくる。

新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書、大文字楼・大巻花魁 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

5月26日(金)

久しぶりに、大正3年(1914)の新吉原遊廓の「花魁道中」の絵葉書を入手。
新吉原花魁道中(大文字楼・大巻)8 - コピー.jpg
「新吉原花魁道中姿(大文字楼)大巻」と注記されている。 
大文字楼の大巻花魁の絵葉書は、私が所蔵するものだけで、これが8点目。
この年「道中」をした花魁は3楼(稲本楼・角海老楼・大文字楼)合わせて23人を確認しているが、その中で最も多い。
残っている絵葉書が多いということは、それだけ作られたということで、きっと人気があったのだろう。

今回、入手した絵葉書は、大巻花魁の整った卵型の美貌がよくわかる。
それによって、今まで注記がなく「大巻か?」としていた絵葉書が、大巻花魁であることがほぼ確定的になった。
新吉原花魁道中(大文字楼・不詳)4(2)大巻?.jpg
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-05-23-3
背後の樹木などから撮影場所もまったく同じで、おそらく花魁と禿(かむろ)の3人を撮ったのが1枚目で、その後「道中」に従う人々を入れて撮したのが2枚目だろう。

この撮影場所は、おそらく大文字楼の中庭と思われ、ほぼ同じ場所で撮影した絵葉書がある(背後の樹木に注目)。
新吉原花魁道中(大文字楼・柏木)1 - コピー.jpg
↑ 大文字楼・柏木花魁(大巻花魁の撮影場所より向かって右に少し寄っている)
新吉原花魁道中(大文字楼・若柳)6 - コピー.jpg
↑ 大文字楼・若柳花魁(さらに右に寄っている)
新吉原花魁道中(大文字楼・右近)1-1.jpg
↑ 大文字楼・右近花魁(大巻花魁の撮影場所より向かって左に寄っている)
今度は画面左端に半分だけ写っている巨大な石灯籠に注目すると、同じ石灯籠が写っている絵葉書があった。
新吉原花魁道中(大文字楼・紫君)(2) - コピー.jpg
↑ 大文字楼・紫君花魁

ということで、大文字楼の中庭の様子がだいぶわかってきた。
ちなみに、大文字楼は、新吉原江戸一通りにあった大楼で、その跡地は、現在、吉原公園になっている。

(参照)
2015年2月11日「大正復興「新吉原遊廓・花魁道中」絵葉書14枚を落札」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-02-12-2
2015年5月3日「大正3年(1914)新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書から」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.j5p/2015-05-03-3
2015年6月13日「大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-06-13-3
2015年10月11日「遺伝学者 R. B. Goldschmidtの自叙伝に大正3年新吉原遊廓「花魁道中」の写真」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12-3
2016年1月18日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-01-18-2 
2016年2月8日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書さらに2枚」 
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-02-08
2016年5月23日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書、注記無しの1枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-05-23-3
2016年8月27日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」彩色絵葉書、注記無しの3枚の考証」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-27

4月5日(水)新吉原へ [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

4月5日(水)  曇り  東京  20.7度  51%(15時)

10時、起床。
朝食は、クリームホーンとコーヒー。
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「春休み」を終えて、今日から新年度の「お仕事」開始。
大学の講義は来週からなので、新吉原に「営業」に行く。
12時20分、家を出る。
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近所の桜を撮影しながら(別掲)駅に向かう。
昼食は、駅前の回転寿司で「平日ランチサービス」の、ちらし丼。
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始めて食べたが、う~ん、具が薄い。
まあ、550円だから仕方がない。

東急東横線(渋谷駅乗換)東京メトロ半蔵門線(表参道駅乗換)同・銀座線で浅草駅へ。
少し時間に余裕があったので、隅田公園でお花見&撮影(別掲)。

言問橋西詰でタクシーを拾い「吉原の大門のところまで」と行き先を告げると、運転手が「いつも、どのルートで行ってますか?」と尋ねてきた。
なんに見えたのだろう?
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で、新吉原大門(跡)すぐ近くの「カストリ書房」へ。
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3月1日に10冊納入した編著『性欲の研究 東京のエロ地理編』が、わずか1カ月で全部売れたとのことで、新たに仕入れた(今度は平凡社から)20冊に「サインしてほしい」という依頼。
「私がサインなんかしたら売れなくなる」という意識が抜けないのだが、今後のお付き合いもあるので・・・。
店主の渡辺豪さん(カストリ出版代表取締役)に手伝っていただき、サインと「順」の落款を捺す。
15分ほどで、作業終了。

30分ほど、本を見ながら店主とお話。
『性欲の研究 東京のエロ地理編』、文字が多い本としては、よく売れるとのこと。
やっぱり表紙のせいかなぁ。

その間に、3人(熟年男性2、女性1)来店。
『朝日新聞』で大きく報じられてから、来店客は増えたが、売り上げはさほど伸びないとのこと。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-15-1
冷やかしの客が多いらしい。
熟年男性はどちらも「懐かしい、懐かしい」と言うばかりで何も買っていかなかった。
15時45分、辞去。

「角町通り」と「京二通り」の間の路地に、かろうじて残っている「赤線」時代の建物を撮影。
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位置も正確に把握。
このハート型の壁面装飾がある建物、「赤線」時代は「ゆうらく」という店であったことを確認。
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↑ ハートにひびが入ってきた。
築70年だから、無理もないのだが・・・。

「赤線」時代との比較のため「京二通り」の現況を撮影。
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「京二通り」北東側(大門寄り)にある「旅館 日光荘」と「旅館 常盤(ときわ)」は、建物は建て変わっているが、「赤線」時代の屋号をそのまま使っている。
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↑ 「旅館 日光荘」
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↑ 「旅館 常盤(ときわ)」
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↑ 「赤線」新吉原・京二通

「京二通り」まで来たので、浅草まで歩くことにする。
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「ひさご通り」を抜けて、西に折れ「国際通り」に出て「浅草ビューホテル」の前を通過して、西浅草の天嶽院へ。
先に逝った友人の墓参(別掲)。
ちょっと寄り道(別掲)。

生ビール一杯で酔っぱらってしまい、帰路の銀座線、浅草駅を出るか出ないかで意識を失う。
気づいたら外苑前駅(乗り換え予定の表参道駅の1つ前)、危ない、危ない。

(続く)

3月1日(水)新吉原「カストリ書房」へ [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

3月1日(水)  曇りのち雨  東京 11.0度  湿度51%(15時)

7時、起床。
朝食は、新丸子駅前「ブーランジュリー・メチエ」のアマンドショコラとコーヒー。
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シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結んでシュシュを巻く。
化粧と身支度。
紺地に白い雲のような模様のロング・チュニック(長袖)、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショート・ブーツ、ワインレッドのバッグ。
ボア襟の黒のカシミアのポンチョ。

今日は3つのミッションがある。
9時、家を出る。
東急東横線で学芸大学駅に移動。

まず、1つ目のミッション。
10時半「仕事部屋」があるマンションの雑排水管清掃の立ち合い。
ノートラブルで終了。
ついでに、少し片づけとゴミ出し。

ベッドに横になり1時間ほど仮眠。
12時過ぎ、再外出。
昼食は、学芸大学駅東口商店街のアジアン・ダイニング「シータ」へ。
久しぶり(11カ月ぶり)に来たらタイ料理のメニューが増えていたので、ガパオランチ(850円)を注文。
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う~ん、イマイチ。

東急東横線(渋谷駅乗換)東京メトロ半蔵門線(表参道駅乗換)同銀座線を乗り継いで終点の浅草駅へ。
「松屋デパート」の前からタクシーに乗る。
14時過ぎ、新吉原大門(跡)に到着。
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「伏見通り」を入ってすぐの「カストリ書房」へ。
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店主の渡辺豪さん(カストリ出版代表取締役)にご挨拶して、『性欲の研究 東京のエロ地理編』10冊(とても重い)を搬入。
思いがけず、全冊にサインを求められる。
「そんなことしたら、売れなくなる」と言ったのに・・・。
ああ、恥ずかしい。
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「カストリ書房」は、2016年9月3日にオープンした遊廓・赤線など性風俗書に特化した書店。
店内には「濃い」本が並ぶ。
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新刊本、地方の好事家の自費出版本、カストリ出版の復刻本だけでなく、店主が集めた古書も売られている。
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↑ 早速、『性欲の研究 東京のエロ地理編』も並べてもらう。

書籍を見せていただきながら、渡辺さんといろいろお話。
関心が共通しているので話が尽きず、1時間半も話し込んでしまう。
その間、3人のお客さんが来店。
正直、いくら所縁の場所とはいえ、どこの駅からも遠いこの場所に書店を開いて、果たしてお客が来るのだろうか?と思っていたが、まずまずのようだ。

渡辺さんがお若いのに驚く。
こういう趣味の方だから、私と同年輩か、もう少し上かと思っていたので。
私より2世代も下で、こういう方が頑張ってくださるのは、とても心強い。
16時前、辞去。

「伏見通り」に残る旧・赤線建物をチェック。
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↑ 手前「モリヤ」、奥「プリンセス」
2003年頃には5軒ほどあったが、もう2軒しか残っていない。
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↑ 戸袋の装飾が特徴的な「」
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↑ アールヌーボー様式の壁面の「プリンセス」

江戸二通りでタクシーを拾って、浅草へ。
(続く)

「新宿遊廓」の廓内道路 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

1月4日(水)

すごく久しぶりに夜の新宿二丁目に。
待ち合わせ時間まで少しあったので、フィールドワーク。
「仲通り」交差点(南から)。
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交差点の向こう左側(北西側)が戦前の「新宿遊廓」(1922~1945年)で、現在の「ゲイタウン」の中核部。

「新千鳥街」の南側の路地。
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この路地は「新宿遊廓」の廓内道路の遺跡。
「新千鳥街」の場所には、「玲岡楼」という妓楼があった。

「九州男」がある路地。
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この道路も「新宿遊廓」の廓内道路の遺跡。
「九州男」のある場所には、「三好家」という妓楼があった。

右の道路は「仲通り」からY字形に分岐して「靖国通り」に出る道。
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この道路が「新宿遊廓」の北東の境界線だった。
街灯がついているビルのあたりに、遊廓の守り神の「三社稲荷神社」があった。
左側、真っ直ぐ延びる道は「新宿遊廓」の東西のメイン・ストリートに相当する。

「ビッグス新宿ビル」の裏側(東側)の道。
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これも「新宿遊廓」の廓内道路の遺跡。
2~4枚目の3本の東西道路と接続する。

ということで、現在の「ゲイタウン」には戦前の「新宿遊廓」時代の地割が良く残っている。

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