So-net無料ブログ作成
検索選択
性社会史研究(遊廓・赤線・街娼) ブログトップ
前の10件 | -

新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書、大文字楼・大巻花魁 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

5月26日(金)

久しぶりに、大正3年(1914)の新吉原遊廓の「花魁道中」の絵葉書を入手。
新吉原花魁道中(大文字楼・大巻)8 - コピー.jpg
「新吉原花魁道中姿(大文字楼)大巻」と注記されている。 
大文字楼の大巻花魁の絵葉書は、私が所蔵するものだけで、これが8点目。
この年「道中」をした花魁は3楼(稲本楼・角海老楼・大文字楼)合わせて23人を確認しているが、その中で最も多い。
残っている絵葉書が多いということは、それだけ作られたということで、きっと人気があったのだろう。

今回、入手した絵葉書は、大巻花魁の整った卵型の美貌がよくわかる。
それによって、今まで注記がなく「大巻か?」としていた絵葉書が、大巻花魁であることがほぼ確定的になった。
新吉原花魁道中(大文字楼・不詳)4(2)大巻?.jpg
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-05-23-3
背後の樹木などから撮影場所もまったく同じで、おそらく花魁と禿(かむろ)の3人を撮ったのが1枚目で、その後「道中」に従う人々を入れて撮したのが2枚目だろう。

この撮影場所は、おそらく大文字楼の中庭と思われ、ほぼ同じ場所で撮影した絵葉書がある(背後の樹木に注目)。
新吉原花魁道中(大文字楼・柏木)1 - コピー.jpg
↑ 大文字楼・柏木花魁(大巻花魁の撮影場所より向かって右に少し寄っている)
新吉原花魁道中(大文字楼・若柳)6 - コピー.jpg
↑ 大文字楼・若柳花魁(さらに右に寄っている)
新吉原花魁道中(大文字楼・右近)1-1.jpg
↑ 大文字楼・右近花魁(大巻花魁の撮影場所より向かって左に寄っている)
今度は画面左端に半分だけ写っている巨大な石灯籠に注目すると、同じ石灯籠が写っている絵葉書があった。
新吉原花魁道中(大文字楼・紫君)(2) - コピー.jpg
↑ 大文字楼・紫君花魁

ということで、大文字楼の中庭の様子がだいぶわかってきた。
ちなみに、大文字楼は、新吉原江戸一通りにあった大楼で、その跡地は、現在、吉原公園になっている。

(参照)
2015年2月11日「大正復興「新吉原遊廓・花魁道中」絵葉書14枚を落札」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-02-12-2
2015年5月3日「大正3年(1914)新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書から」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.j5p/2015-05-03-3
2015年6月13日「大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-06-13-3
2015年10月11日「遺伝学者 R. B. Goldschmidtの自叙伝に大正3年新吉原遊廓「花魁道中」の写真
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12-3
2016年1月18日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-01-18-2 
2016年2月8日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書さらに2枚」 
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-02-08
2016年5月23日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書、注記無しの1枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-05-23-3
2016年8月27日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」彩色絵葉書、注記無しの3枚の考証」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-27

4月5日(水)新吉原へ [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

4月5日(水)  曇り  東京  20.7度  51%(15時)

10時、起床。
朝食は、クリームホーンとコーヒー。
IMG_3502.JPG

「春休み」を終えて、今日から新年度の「お仕事」開始。
大学の講義は来週からなので、新吉原に「営業」に行く。
12時20分、家を出る。
IMG_3512.JPG
近所の桜を撮影しながら(別掲)駅に向かう。
昼食は、駅前の回転寿司で「平日ランチサービス」の、ちらし丼。
IMG_3510.JPG
始めて食べたが、う~ん、具が薄い。
まあ、550円だから仕方がない。

東急東横線(渋谷駅乗換)東京メトロ半蔵門線(表参道駅乗換)同・銀座線で浅草駅へ。
少し時間に余裕があったので、隅田公園でお花見&撮影(別掲)。

言問橋西詰でタクシーを拾い「吉原の大門のところまで」と行き先を告げると、運転手が「いつも、どのルートで行ってますか?」と尋ねてきた。
なんに見えたのだろう?
IMG_3537.JPG
で、新吉原大門(跡)すぐ近くの「カストリ書房」へ。
IMG_3539.JPG
3月1日に10冊納入した編著『性欲の研究 東京のエロ地理編』が、わずか1カ月で全部売れたとのことで、新たに仕入れた(今度は平凡社から)20冊に「サインしてほしい」という依頼。
「私がサインなんかしたら売れなくなる」という意識が抜けないのだが、今後のお付き合いもあるので・・・。
店主の渡辺豪さん(カストリ出版代表取締役)に手伝っていただき、サインと「順」の落款を捺す。
15分ほどで、作業終了。

30分ほど、本を見ながら店主とお話。
『性欲の研究 東京のエロ地理編』、文字が多い本としては、よく売れるとのこと。
やっぱり表紙のせいかなぁ。

その間に、3人(熟年男性2、女性1)来店。
『朝日新聞』で大きく報じられてから、来店客は増えたが、売り上げはさほど伸びないとのこと。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-15-1
冷やかしの客が多いらしい。
熟年男性はどちらも「懐かしい、懐かしい」と言うばかりで何も買っていかなかった。
15時45分、辞去。

「角町通り」と「京二通り」の間の路地に、かろうじて残っている「赤線」時代の建物を撮影。
IMG_3544.JPG
位置も正確に把握。
このハート型の壁面装飾がある建物、「赤線」時代は「ゆうらく」という店であったことを確認。
IMG_3542.JPG
↑ ハートにひびが入ってきた。
築70年だから、無理もないのだが・・・。

「赤線」時代との比較のため「京二通り」の現況を撮影。
IMG_3551.JPG
「京二通り」北東側(大門寄り)にある「旅館 日光荘」と「旅館 常盤(ときわ)」は、建物は建て変わっているが、「赤線」時代の屋号をそのまま使っている。
IMG_3549.JPG
↑ 「旅館 日光荘」
IMG_3550.JPG
↑ 「旅館 常盤(ときわ)」
「赤線」新吉原・京二通.jpg
↑ 「赤線」新吉原・京二通

「京二通り」まで来たので、浅草まで歩くことにする。
IMG_3552.JPG
「ひさご通り」を抜けて、西に折れ「国際通り」に出て「浅草ビューホテル」の前を通過して、西浅草の天嶽院へ。
先に逝った友人の墓参(別掲)。
ちょっと寄り道(別掲)。

生ビール一杯で酔っぱらってしまい、帰路の銀座線、浅草駅を出るか出ないかで意識を失う。
気づいたら外苑前駅(乗り換え予定の表参道駅の1つ前)、危ない、危ない。

(続く)

3月1日(水)新吉原「カストリ書房」へ [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

3月1日(水)  曇りのち雨  東京 11.0度  湿度51%(15時)

7時、起床。
朝食は、新丸子駅前「ブーランジュリー・メチエ」のアマンドショコラとコーヒー。
IMG_2371.JPG
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結んでシュシュを巻く。
化粧と身支度。
紺地に白い雲のような模様のロング・チュニック(長袖)、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショート・ブーツ、ワインレッドのバッグ。
ボア襟の黒のカシミアのポンチョ。

今日は3つのミッションがある。
9時、家を出る。
東急東横線で学芸大学駅に移動。

まず、1つ目のミッション。
10時半「仕事部屋」があるマンションの雑排水管清掃の立ち合い。
ノートラブルで終了。
ついでに、少し片づけとゴミ出し。

ベッドに横になり1時間ほど仮眠。
12時過ぎ、再外出。
昼食は、学芸大学駅東口商店街のアジアン・ダイニング「シータ」へ。
久しぶり(11カ月ぶり)に来たらタイ料理のメニューが増えていたので、ガパオランチ(850円)を注文。
IMG_2373.JPG
う~ん、イマイチ。

東急東横線(渋谷駅乗換)東京メトロ半蔵門線(表参道駅乗換)同銀座線を乗り継いで終点の浅草駅へ。
「松屋デパート」の前からタクシーに乗る。
14時過ぎ、新吉原大門(跡)に到着。
IMG_2375.JPG
「伏見通り」を入ってすぐの「カストリ書房」へ。
IMG_2378.JPGIMG_2379.JPG
店主の渡辺豪さん(カストリ出版代表取締役)にご挨拶して、『性欲の研究 東京のエロ地理編』10冊(とても重い)を搬入。
思いがけず、全冊にサインを求められる。
「そんなことしたら、売れなくなる」と言ったのに・・・。
ああ、恥ずかしい。
C51Pj9_U4AEMlTB.jpgC51Pj93VAAALcNf.jpg

「カストリ書房」は、2016年9月3日にオープンした遊廓・赤線など性風俗書に特化した書店。
店内には「濃い」本が並ぶ。
IMG_2380.JPGIMG_2381.JPG
新刊本、地方の好事家の自費出版本、カストリ出版の復刻本だけでなく、店主が集めた古書も売られている。
IMG_2382.JPGIMG_2382 (2).JPG
↑ 早速、『性欲の研究 東京のエロ地理編』も並べてもらう。

書籍を見せていただきながら、渡辺さんといろいろお話。
関心が共通しているので話が尽きず、1時間半も話し込んでしまう。
その間、3人のお客さんが来店。
正直、いくら所縁の場所とはいえ、どこの駅からも遠いこの場所に書店を開いて、果たしてお客が来るのだろうか?と思っていたが、まずまずのようだ。

渡辺さんがお若いのに驚く。
こういう趣味の方だから、私と同年輩か、もう少し上かと思っていたので。
私より2世代も下で、こういう方が頑張ってくださるのは、とても心強い。
16時前、辞去。

「伏見通り」に残る旧・赤線建物をチェック。
IMG_2383(2).jpg
↑ 手前「モリヤ」、奥「プリンセス」
2003年頃には5軒ほどあったが、もう2軒しか残っていない。
IMG_2384(2).jpg
↑ 戸袋の装飾が特徴的な「」
IMG_2385(2).jpg
↑ アールヌーボー様式の壁面の「プリンセス」

江戸二通りでタクシーを拾って、浅草へ。
(続く)

「新宿遊廓」の廓内道路 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

1月4日(水)

すごく久しぶりに夜の新宿二丁目に。
待ち合わせ時間まで少しあったので、フィールドワーク。
「仲通り」交差点(南から)。
IMG_1756(2).jpg
交差点の向こう左側(北西側)が戦前の「新宿遊廓」(1922~1945年)で、現在の「ゲイタウン」の中核部。

「新千鳥街」の南側の路地。
IMG_1757 (2).JPG
この路地は「新宿遊廓」の廓内道路の遺跡
「新千鳥街」の場所には、「玲岡楼」という妓楼があった。

九州男」がある路地。
IMG_1758 (2).JPG
この道路も「新宿遊廓」の廓内道路の遺跡。
「九州男」のある場所には、「三好家」という妓楼があった。

右の道路は「仲通り」からY字形に分岐して「靖国通り」に出る道。
IMG_1759 (2).JPG
この道路が「新宿遊廓」の北東の境界線だった。
街灯がついているビルのあたりに、遊廓の守り神の「三社稲荷神社」があった。
左側、真っ直ぐ延びる道は「新宿遊廓」の東西のメイン・ストリートに相当する。

「ビッグス新宿ビル」の裏側(東側)の道。
IMG_1760 (2).JPG
これも「新宿遊廓」の廓内道路の遺跡。
2~4枚目の3本の東西道路と接続する。

ということで、現在の「ゲイタウン」には戦前の「新宿遊廓」時代の地割が良く残っている。

1969年「赤線」廃止10年後の新宿二丁目 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

9月20日(火)

1969年「赤線」廃止10年後の新宿二丁目のルポルタージュに、こんな記述を発見。

「新宿駅前の角筈発の都電は三光町をすぎたところで右へカーブする。カーブした都電の左側が新宿二丁目、元の赤線地帯である。電車道から眺めると、表戸を閉じた暗い家があったり、家を取りこわした跡が空地になっていたりで、その間に、トルコ風呂や小料理屋のネオンが、あっちにぽつん、こっちにぽつんとまたたいている。人の出盛る時間なのに人通りもない。私は小料理屋と空地の間からかつての赤線地帯へはいってみた。大きなゴルフ練習場ができている。電車道から眺めたときと同じように、戸を閉めた暗い家々の間に、飲み屋、旅館、トルコ風呂、ヌードスタジオなどがポツン、ポツンとある。同じ新宿でも、区役所通りと花園神社の間に拡がる元青線地帯は軒並みにネオンが輝いているのにくらべて、なんというさびれようだろう。」
(池田みち子「赤線の灯が消えて10年」『週刊サンケイ1968年3月4日号』)

「電車道」は現在の「御苑大通り」のこと。
「大きなゴルフ練習場」は後に「ビッグス新宿ビル」になる。
「区役所通りと花園神社の間に拡がる元青線地帯」は言うまでもなく、現在の「ゴールデン街・花園街」地区。

「赤線」廃止(1958年)後、10年にして寂れ果て家賃が下落した新宿二丁目・旧赤線エリアに、1970年代になってどっとゲイバーが進出して「ゲイタウン」が形成されていくという私の見立て(*)は、間違っていないようだ。

* 三橋順子「東京・新宿の『青線』について―戦後における『盛り場』の再編と関連して」
(井上章一・三橋順子編『性欲の研究 東京のエロ地理編』平凡社 2015年3月)

昭和33年3月31日「赤線最後の日」の虚構 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

9月8日(木)
少し年配の男性なら「赤線最後の日 昭和33年3月31日」(白鳥信一監督、1974年、日活)という映画をご存知かもしれない。
映画「赤線最後の日」(1974).jpg
明日から「売春防止法」が完全施行される1958年(昭和33)3月31日、最後の夜の新宿2丁目「赤線」(黙認買売春地区)を舞台に、最後まで「赤線」にとどまった3人の女の姿を描いた作品。

通い詰める学生をやさしく抱きしめる女(ひとみ)に宮下順子、次から次に客を上げて無感動に身体を開く女(ヨーコ)に芹明香、結婚を前にした童貞男に女を教える女(康子)に中島葵。そして、食事を抜いてまでひとみに通い詰める学生に風間杜夫という配役。

「赤線」廃止16年後の作品、しかも「ロマンポルノ」という低予算映画にもかかわらず、洋風のホールをもつ「赤線」の特徴的なカフェー建築や、性行為の後、女たちが使用する「洗滌器」など、かなり丁寧に再現されている。

法律が施行される4月1日0時の直前に、客と従業婦が唄う「蛍の光」が「赤線」地区に流れるシーンは、消えゆく「赤線」の挽歌として多くの男たちの心に残った。

しかし、野暮を承知で言えば、これは歴史的事実ではない。なぜなら新宿二丁目「赤線」は、警察の指導と組合の申し合わせで、完全施行の2カ月前の1月31日で営業を終えているからだ。

新宿、品川(1月31日)、武蔵新田(2月25日)、立川錦町、同羽衣町(2月26日)、新吉原、洲崎、千住、鳩の街、玉の井、亀戸、立石、亀有、新小岩、東京パレス、八王子(2月28日)といった具合に、東京の「赤線」はすべて1カ月前の2月28日までに廃業している。
以後の営業はすべてモグリで摘発の対象になっている。

つまり、東京の「赤線最後の日」は3月31日ではなく2月28日なのだ。

このことは、夕刊紙『内外タイムス』が3月2日号(1日発行)の紙面に「赤線の灯ついに消ゆ」と大見出しを打っていることからわかる。
『内外タイムス』19580302.JPG

『内外タイムス』の記者は、東京の「赤線」最後の日である2月28日の夜、新吉原、洲崎、鳩の街、玉の井を取材しているが、「11時すぎにはどこも客足がばったり途絶え、最後の歓楽の夢覚めた遊客を迎えにくるタクシーのライトと、ここだけは消し残った交番の赤い灯がわびしく光っていた」と記すのみで「蛍の光」の話は出てこない。

以後、3月中の記事はすべて「赤線」廃止後という設定で書かれている。

3月31日の夜まで新宿の「赤線」が営業していたというのは、まったくのフィクションである。
にもかかわらず、こうした映像化がされたのは「赤線」廃止16年後という時の流れのなせる業だろう。
そして、今度はこの映画が本になって「蛍の光」の話のような都市伝説が生まれていった。


「性慾研究会」の報告レジュメ完成 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

9月1日(木)

一昨日から取り掛かっている来週土曜日(10日)の「性慾研究会」の報告レジュメ「(資料紹介)新吉原遊廓を描いた風俗画絵葉書」が完成。
絵をたくさん入れてA4版12枚(4500字)。
(3)きぬぎぬ(9).jpg
いろいろ考証して、描かれた時期を明治39年(1906)以後、明治44年(1911)以前と推定。

それにしても、明治末期の妓楼の洗面所に、シャワーがあったって、すごいと思いません?
(3)きぬぎぬ (6).jpg

休む間もなく、レジュメ作り [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

8月30日(火)

第2章を書き上げた後、休む間もなく、再来週土曜日(10日)の「性慾研究会」の報告レジュメ作りに取り掛かる。
「(資料紹介) 新吉原遊廓を描いた風俗画絵葉書」
(1)はりみせ(1).jpg

ほんとうは、そんなことより、自著の執筆に専念していたいのだが、報告希望者が少ない(今のところ1人)ので、私がでっち上げの報告で穴埋めするしかない。

どこか、遊びに生きたいよ~ぉ。

新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」彩色絵葉書、注記無しの3枚の考証 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

8月27日(土)

訳あって昨年から集めている大正3年(1914)の新吉原遊廓の「花魁道中」の絵葉書、少し前に彩色絵葉書を3枚入手した。
彩色が丁寧で鮮やかで、技術的にも状態的にも、なかなか良いレベル(その割には安く落札できた)。
ただし、彩色(色の再現)が信頼できるかというと、それはまた別問題。
とはいえ、この3枚は、あまり不自然な感じはしない。

残念なのは、まったく注記がなく、写っている花魁が何楼の誰だか、このままではわからないこと。
そこで、簡単に考証して、花魁の所属と名前を明らかにしてみたい。

(1枚目)→ 稲本楼・小紫花魁と判明
新吉原花魁道中(稲本楼・小紫)3C(2).jpg
この斜め後姿の写真、記憶がある。
新吉原花魁道中(稲本楼・小紫)2C(2).jpg
森田一朗編『(明治フラッシュバック2)遊廓』(筑摩書房 1998年)に掲載されているNo40の写真。
ん?左右反転。。
どちらかが裏焼きであると思われるが、同じ写真である。
ただ、この画像も注記がなく、誰だかわからない。
禿(かむろ)は稲本楼(が雇った)の子なのだが・・・。

で、さらに探すと、「Old Photo Library」のコレクションにこの画像があった。
新吉原花魁道中(稲本楼・小紫)2.jpg
モノクロだが、私が入手した写真と同じ構図だ。
そして、ありがたいことに「新吉原 稲本楼 小紫」と注記があり、花魁の名前が判明した。

ちなみに、どちらが裏焼き?の件だが、多数決で・・・というのはあんまりなので、少し理屈をつけよう。
一般に右足が効き足の人が多いので、立ち姿では軸になる右足が少し引いて、遊び足の左足を軽く踏み出すポースになることが多い。
そういう傾向を踏まえると、最初の画像が、それに合致する。
ということで、私の所蔵の方が正画像で、『遊廓』所収の方が裏焼きの可能性が高いと思う。

(2枚目)→ 大文字楼・歌川花魁と判明
新吉原花魁道中(大文字楼・歌川後姿)3C(2).jpg
これも後姿、しかも真後ろ。
この禿の装いは、大文字楼のはずだが・・・。
これも「Old Photo Library」のコレクションに、類似のモノクロ画像があった。
新吉原花魁道中(大文字楼・歌川後姿)2.jpg
またもや左右反転だが、同じ画像だと思う。
注記は「新吉原 大文字楼 歌川」で、花魁の名前がわかった。

どちらが裏焼きかという問題だが、立ち姿の花魁は、前で大きく結んだ帯を右手で抱くのが一般的(それにともない、打掛の右裾が少し上がる)。
そう考えると、モノクロ画像の方が自然に見える。

(3枚目)→ 大文字楼・大巻花魁と判明
新吉原花魁道中(大文字楼・大巻)7C(2).jpg
スラリと並んだ花魁道中の一行。
大正3年の復興・花魁道中のメンバー構成がよくわかる絵葉書。

これは簡単で、私の所蔵絵葉書の中に、同じ構図のモノクロ画像がある。
新吉原花魁道中(大文字楼・大巻)7(2).jpg
注記は「新吉原 大文字楼 大巻」で、花魁の名前が判明。

ということで、3枚とも、あまり手間取らず、所属の楼名・花魁名がわかった。
収集が、かなり煮詰まってきた気がする。
もう、まったく未知の写真はそれほどないのではないだろうか?

(参照)
2015年2月11日「大正復興「新吉原遊廓・花魁道中」絵葉書14枚を落札」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-02-12-2
2015年5月3日「大正3年(1914)新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書から」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-05-03-3
2015年6月13日「大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-06-13-3
2015年10月11日「遺伝学者 R. B. Goldschmidtの自叙伝に大正3年新吉原遊廓「花魁道中」の写真」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12-3
2016年1月18日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-01-18-2 
2016年2月8日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書さらに2枚」 
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-02-08
2016年5月23日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書、注記無しの1枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-05-23-3

新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書、注記無しの1枚  [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

5月23日(月)

訳あって昨年から集めている大正3年(1914)の新吉原遊廓の「花魁道中」の絵葉書を、少し前にまた1枚入手したので紹介。
新吉原花魁道中(大文字楼・不詳)4(2)大巻?.jpg
残念なことに、楼名・花魁名の記載が無い。
ただ、禿(かむろ)の特徴的な髪飾り、男衆・遣り手さん、花魁の衣装、そして傘についている紋などから、江戸一丁目の「大文字楼」であることがわかる。

問題は、「大文字楼」の誰かということ。
大正3年の「花魁道中」復興イベントに参加した「角海老楼」「稲本楼」「大文字楼」の当時の新吉原の三大楼の内で、「大文字楼」はいちばんたくさんの花魁が「道中」している(在籍していた娼妓全員が参加した可能性がある)。
現在、私が確認しているだけで、歌川、大巻、右近、操、若柳、紫君、花扇、都、柏木?の9人を数える。

その内の誰かである可能性が高いのだが(あるいは未知の人かも)、花魁の白塗りの顔はみな似たように見えてしまい、なかなか判別が難しい。
それでも、顔の輪郭や髪の生え際に注目すると、「この人ではないな」という推測はつく。
で、いろいろ比べた結果、この整った卵型の美形は「大巻」花魁ではないか?と思う。
新吉原花魁道中(大文字楼・不詳)4(3)大巻?.jpg
新吉原花魁道中(大文字楼・大巻)7(3).jpg
(上)花魁名不詳 (下)「大文字楼」大巻花魁

「大文字楼」の大巻花魁(角海老楼にも同名の花魁がいる)は、人気だったらしく、絵葉書の残存数も多いので、たぶんそうだろう。

皆さんのご意見も聞かせてください。

(参照)
2015年2月11日「大正復興「新吉原遊廓・花魁道中」絵葉書14枚を落札」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-02-12-2
2015年5月3日「大正3年(1914)新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書から」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-05-03-3
2015年6月13日「大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-06-13-3
2015年10月11日「遺伝学者 R. B. Goldschmidtの自叙伝に大正3年新吉原遊廓「花魁道中」の写真
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12-3
2016年1月18日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-01-18-2 
2016年2月8日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書さらに2枚」 
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-02-08
前の10件 | - 性社会史研究(遊廓・赤線・街娼) ブログトップ