So-net無料ブログ作成
検索選択
生活文化・食文化・ファッション文化論 ブログトップ
前の10件 | -

名簿から珍しい名字を拾う(2017年前期) [生活文化・食文化・ファッション文化論]

5月20日(土)

履修名簿が来たので、お楽しみの「珍しい名字」調べ。
「名字由来net」による順位と推定人数。

(7) 入学(にゅうがく)23182位 約180人
 豊前国(大分県北部、福岡県東南部)に分布。
 以前、どこかで見た記憶がある。

(6)温泉(おんせん)26968位 約130人
 兵庫県、北海道に多い。
 温泉に行きたくなる。

(5)我伊野(がいの)36463位 約80人
 新潟県六日町周辺に多い。
 読めるけど、たぶん初めて見る名字。

(4)絹巻(きぬまき)37108位 70人
 但馬国、兵庫県朝来(あさご)市付近に分布。
 難読ではないが、かなり珍しい。
 私のような絹好きには好ましい名字。

(3)柆田(くいだ)38350位 約70人
 備中国、岡山県高梁市・浅口市に集中。
 恥ずかしながら読めなかった。
 教員歴35年で初めて見る名字。

(2)渉里(わたり)42976位 約50人
 千葉県、北海道、群馬県に散在。
 すんなり「わたり」と読めたが、こんなに少ないとは・・・。

(1)中之前(なかのまえ)71658位 約10人
 広島東広島市、三原市に居住。
 簡単に読めるが、とても珍しい名字。
 約10人というと2~3家族で、しかも親戚だろう。

珍しい名字の学生さんは、生活の中でいろいろたいへんなこともあるかもしれないが、これも個性だと思って、名字を大切にしてほしい。
名字は立派な生活文化なのだから。

富士山麓の野生のきのこから基準値越えのセシウム検出 [生活文化・食文化・ファッション文化論]

9月20日(火)

富士山麓で採取された野生のきのこから、280Bq/kgのセシウムが検出されたというニュース

基準(100Bq/kg)を上回る放射性物質が検出されたのは、山梨県は14検体中2検体。静岡県は6検体中4検体。品目は、山梨県鳴沢村のオオカシワギタケ・ショウゲンジ、静岡県富士市のヤマイグチ・ツバアブラシメジ・ショウゲンジ、同富士宮市のショウゲンジ。
s_ice_screenshot_20160918-211422.jpg
注目はセシウムの比率。
セシウム134がほとんど検出されず、セシウム137が圧倒的に卓越している。
これは、半減期が134が約2年、137が約30年と違うため。
134は半減を重ねてほとんど検出できないレベルに下がっている。
それに対して137はまだそれほど減っていない。

つまり、これらのセシウムは2011年3月の福島第一原発事故起源ではないということ。
5年前の放射性物質だったらここまで大きな差にならない。
それよりずっと古い、おそらくは1950~60年代の大気圏核実験でまき散らされた放射物質だろう(計算すればある程度推定できるはず)。

ということは、こうした状況は、福一事故で放射性物質がまき散らされた東北関東地域だけでなく、おそらく全国的な現象なのではないかという強い疑いが出てくる。

同時に、これは福一事故直後から指摘してきたことだけど、きのこには土中のセシウムを吸いあげて濃縮する仕組みがあるということ。

野生きのこをキロ単位で常食する人は気をつけた方がいいと思う。

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-13438.html



10月31日(土)「現代風俗研究会(東京の会)」「新・風俗学教室」第18期「食の風俗」第1回「イタリアンからイタ飯へ ~そのグローバル化とローカル化~」(黒田勇さん) [生活文化・食文化・ファッション文化論]

10月31日(土)

土曜日(10月31日)は、丸の内の成蹊大学サテライトオフィスで開催された「現代風俗研究会(東京の会)」の「新・風俗学教室」に参加。
今回から第18期に入り、「食の風俗」がテーマ。
その第1回の報告は、黒田勇さん(関西大学教授:マス・メディア論)「イタリアンからイタ飯へ ~そのグローバル化とローカル化~」。
黒田さんは『ラジオ体操の誕生』(青弓社)の著者でメディアやスポーツ、身体などに関連する幅広い論考を発表されている方。
また、「食レポ」の世界でも著名な方で、特にイタリア料理への思い入れが深い。
お人柄そのままに、自由闊達なお話ぶりで、いろいろ思い当ることも多く、とても興味深く面白かった。
こういう緩いけど刺激的なお話は、頭に入りやすく勉強になる。
自分の講義も、そうありたいと思う。

以下、私の知識も入れた適当なメモ。

(1)伊太利亜料理、事始め
1912年、東京京橋区鈴木町(現:中央区京橋2丁目)の鳥料理「高砂本店」が伊太利亜料理を始めた。
1930年代、声楽家がイタリア料理を紹介したが広まらなかった。

質疑で「イタリア料理は新潟が早い」というコメント。

(2)イタリア料理の輸入期
1960年代 カンツォーネの流行。
テノール歌手五十嵐喜芳(きよし)のイタリア料理紹介。
1968年 「ベルベデーレ」(銀座「ソニービル」7階)の開店。
   → 客の3分の1は外国人
(3)マカロニからスパゲッティへ
戦後、学校給食に出てきたマカロニ →「ララ物資」に含まれていた。
家庭料理で、マカロニがスパゲッティにとって代わられる時期?
→ 東京オリンピック(1964年)の影響だと1960年代後半?
→ 大阪万博(1970年)の影響だとすると1970年代初頭?
私の記憶では、小学校時代(1967年以前)はマカロニ。
スパゲッティは高校時代(1971年以降)から。
当時のスパゲッティは、ナポリタンかミートソースの2択。
→ ナポリタンの方が早い(洋食の付け合わせ)
埼玉県にイタリアンレストランが多い。
 → 小麦麺食文化(うどん)の伝統との関係?

(4)「フレンチ」から「イタリアン」へ ー「バブル期」の下剋上ー
1980年代、麻布「キャンティ」、神戸「ドンナロイヤ」、大阪本町「コロッセオ」などが開店。
でも、「バブル全盛期」(1980年代後半)のデート(ディナー)の主流は、圧倒的に「フレンチ」。
1989~1990年、イタリアン・デザートのティラミスが大流行。
バブル崩壊期(1990年代前半)に高価な「フレンチ」が後退して、比較的安価な「イタリアン」が台頭。
→「イタ飯」の登場、「パスタ」という言葉の普及

それまで、フランスに修業に行っていたシェフがイタリアに行くようになる。
イタリア人シェフも数多く来日して開店。

(5)ビザの普及
アメリカのイタリア料理としてのピザ。
元祖としての六本木「ニコラス」(1954年)と「シシリア」(1954年)。
→ 六本木・麻布界隈にイタリア料理の店ができたのは、占領軍(アメリカ軍)のイタリア系部隊が駐屯していたから。

アメリカの宅配ピザの展開。
 「シェーキーズ」(1973 年。赤坂に1号店)
「ピザハット」(1970年代)
「ドミノピザ」(1985年、恵比寿に1号店、最初から宅配)

(6)グローバル化とローカル化
生バジルが手に入らない時代の日本で「バジリコ・スパゲッティ」を食べる。
  → パセリと青しそを刻んで混ぜる(六本木「キャンティ」 
→ それが定着する。
刻み海苔が乗った、たらこスパゲティ → 和風スパゲッティの典型
  → バンコク「甚右衛門」でタイ人のカップルが食べていた。
  → ジャパニーズ・イタリアンの東南アジア展開

以下、「豆知識」
① ナポリタンの起源はアマトリチャーナか
アマトリチャーナは、ローマ郊外のアマトリーチェ村が起源のローマ料理。
トマトソース、玉ねぎ、グアンチャーレ(豚頬肉の塩漬け)、ペコリーノ・ロマーノ(羊乳のチーズ)で作る。
組み合わせが、ナポリタンと似ている(他に同類がない)。
日本のナポリタンは、GHQに接収されていた横浜の「ニューグランドホテル」のシェフが考案。

② カルボナーラ(炭焼き職人風)は、意外に新しい。
戦前のイタリアにはない。
戦後に連合軍が大量の卵を持ち込み(イタリアも敗戦国で食糧事情が悪かった)、現地の「カシオ・エ・ペペ」(チーズと黒胡椒のみ)に卵を追加したのが起源。
「炭焼き職人風」という名称は、黒胡椒を炭の粉に見立てたもの。

③ 食後にカプチーノは飲まない
ミルクが入っているものは、基本、食べ物で飲み物ではない。
午前中に飲むもの。
食事の後に飲むのはエスプレッソ。

④ エスプレッソの起源
1930年代にトリエステのコーヒー焙煎会社「イリィ」が考案し、販売開始。
特許を公開したので急速に普及。

名簿から珍しい名字を拾う [生活文化・食文化・ファッション文化論]

10月24日(土)

出欠の突き合わせが終えたので・・・。
珍しい名字を拾って調べてみた。

大学講師を長くやっていると、かなりの数の名字に出会う。
なので、たぶん一般の人よりかなり名字を「読める」と思うが、それでも、毎年「ちょっと自信ないな」「なるほどそう読むのか・・・」と思う名字に出会う。
あるいは、「読めるけども、珍しいな」と思う名字にも。

(1)苧園(おぞの)
52,408位 およそ30人 熊本県に集中
今回、いちばん読みに自信がなかった「たぶん『おぞの』だよね」という感じ。初めて見た。

(2)上曽(うわそ)
45,239位 およそ50人 茨城県に集中
かなり珍しいと思う。でも、どこかで出会っている気もする。

(3)正親町(おおぎまち)
43,421位 およそ50人 東京神奈川
「勘解由小路(かでのこうじ)」「万里小路(までのこうじ)」「花山院(かさのいん)」などと並ぶ、お公家さん系の難読の名字。
起源は律令官司制で皇族の名簿を管理する「正親司(おおきみのつかさ)」、さらにそこから平安京左京の街路名「正親町小路(おおぎまちこうじ)」に由来。
その昔、平安時代政治制度史を研究していた私は間違えない。
京都起源の名字だが、お公家さんたちは「ご一新」でほとんど東京に移住してしまったので、現在は京都府にはほとんどいない。

(4)弓狩(ゆかり,ゆがり,ゆみがり,ゆみかり)
29,912位 およそ110人 岡山県に集中
有りそうで少ないと思う。
うちの学生さんは「ゆがり」と読む。

(5)梨子木(なしき,なしのき)
29,761位 およそ110人  岩手など 全国に小数分散
「子」を発音しないのがポイント
うちの学生さんは「なしき」と読む。

(6)柳泉(やないずみ,やなぎいずみ)
27,482位 およそ130人 神奈川県に集中
これも、ありそうで少ない。
うちの学生さんは「やないずみ」と読む。
これもそうだが、神奈川県の大学なので、神奈川に多い名字がいくつかある。

(7)矢定(やさだ)
26,596位 およそ140人 岡山県に集中
読みは間違えようがないが、意外に少なかった。

(8)金野尾(かねのお)
25,479位 およそ150人 佐賀県に集中
「金野」は珍しくないが「尾」がつくと珍しくなる。

(9)鷺野谷(さぎのや)
23,582位 およそ170人 茨城県・福島県に多い
今回、目にした中で、いちばん「すてきだな」と思った名字。

(10)小川名(おがわな)
19,151位 およそ250人 神奈川県に集中
地名だったら「おがわみょう」だろうが・・・。
これも神奈川県に比較的多い。

(11)棟久(むねひさ)
17,552位 およそ290人 山口県に集中
もしかして少ない?と思ったら、やっぱり少なかった。

(12)阿諏訪(あすわ)
17,018位 およそ300人 神奈川県に多い
「諏訪」は信州の名族だが、なぜ「阿」が前につくのだろう?
これも神奈川県に比較的多い。

(13)鹿股(かのまた,しかまた,かまた)
12,498位 およそ510人 宮城県・福島県に多い
「猪股」は多い(960位 およそ19,200人) が、「鹿股」はずっと少ない。
ちなみに「熊股」という名字はたぶん無い。
うちの学生さんは「かのまた」と読む。

調査は「名字由来ネット」による。


現代日本人の礼装はアンバランスか? [生活文化・食文化・ファッション文化論]

7月18日(土)

先週の土曜日、京都女子大学で開催された「デザイン史学研究会」のシンポジウムで、ドイツの大学教授が、日本の叙勲の際の写真を見せながら「男性が洋装、女性が和装というのはアンバランスで奇妙だ」という指摘をした。
TR2011110300018.jpg
↑ 2011年11月4日の文化勲章親授式。

たしかに文化勲章などを天皇陛下にいただくために宮中に参内ということになれば、男性受章者の場合、モーニングコートの礼装ということなる。
もし、国賓を迎える宮中晩餐会に招かれたら、ブラックタイにタキシードだ。
勲章を持っている人だと、ホワイトタイ&燕尾服となる。

では、女性受章者もしくは随行の夫人は・・・?
洋装の女性礼装は、ブラックタイ&タキシードに対応するのが袖のあるイブニングドレス、ホワイトタイ&燕尾服に対応するのが袖なし(ロング・グローブ着用)で胸や背中が大きくあいたローブ・デコルテということになる。
ローブデコルテ.jpg
それだけでなく、ドレスの格式に見合うアクセサリー(宝飾品)がたいへん。
ドレスと同じくらい(それ以上)お金がかかる。

それに比べて和装なら・・・。
参内する際の礼装なら色留袖なら問題なし。
それに、和装の場合、宝飾品がいらないのが大きい。

まあ、よほど欧米慣れしていて、かつスタイルに自信がある夫人以外は、和装を選択すると思う。

それを「アンバランスで奇妙」と欧米人に言われると、いささか首を捻ってしまう。

いちばん良いのは、男性が和装で参内することで、それなら夫婦ともに和装でバランス的に問題はなくなる。

男性の第一礼装は、黒羽二重、染め抜き五つ紋付の長着&羽織に仙台平の袴ということになる。
しかし、歌舞伎など伝統芸能の関係者が受章するとき以外は、あまり見られないのが寂しい。
第一礼装(男性).jpg
↑ 第一礼装(ホワイトタイ&燕尾服)のノーベル賞受賞者たち。
川端康成先生は、和装の第一礼装。

えっ、私? 絶~対に参内の機会はないので、心配ありません。
020106-2 (3).jpg
↑ 色留袖、一応持ってます(2002年1月、帝国ホテルで)。
これで参内できるはずなのですが・・・。

韓国焼酎の大苦戦 [生活文化・食文化・ファッション文化論]

7月13日(月)

韓国焼酎の日本で販売量が大幅に減っている。
2014年の日本への焼酎輸出額は6780万ドルで前年比14%の減少(韓国貿易協会)。
過去最大だった2004年と比べると24%も減っているそうだ。
「40~50代の消費はよいが、20~30代の若い層での消費が少なく、輸出が伸び悩んでいる」らしい。

同じく韓国のお酒で一時期ブームになった「マッコリ」(濁り酒)も、2011年がピークで、以後急減して2014年の輸入量はピーク時の81%減だそうだ。
5分の1というのは、単にブームが去ったという以上のものを感じる。

これは、仕方がないと思う。
そもそも日本人の1人当たりの飲酒量が減っている。
とりわけ、若者がお酒を飲まなくなっている。

加えて、20~30代は嫌韓意識が強い。
40代以上の人は、私もそうだが、韓国に対して好悪両方の意識がある人が多い。
しかし、若い人たちは良くない印象しかもっていない人が多い。
積極的な「反韓」でないにしろ、「韓国とは関わりたくない」という意識は、この数年でますます広まっているように思う。
(「非韓三原則」=教えない、助けない、関わらない)

そもそもお酒を飲む機会が減り、お金を使わなくなっているのに、わざわざ「関わりたくない」韓国焼酎を飲もうとする若者は少ないのは当然だ。

1990年代後半~2000年代、ボトル・キープ制のスナックやパブでいちばん安いボトルが緑のボトルに黄色いラベル韓国焼酎の「眞露(JINRO)」だった。
そういう時代の「現場」にいた者として、いささか感慨深いものがある。

(参照)韓国焼酎が最大輸出先の日本で苦戦する理由 2014年の対日輸出は前年比14%も減少
「東洋経済オンライン」2015年7月13日
http://toyokeizai.net/articles/-/76718

7月11・12日(土・日)祇園御霊会・鉾建て [生活文化・食文化・ファッション文化論]

7月11・12日(土・日)
学会報告のため京都へ。
祇園御霊会の鉾建て(鉾の組み立て)をいくつか見ることができた。

まず、烏丸四条西・北側の函谷(かんこ)鉾。
四条通を車線規制して組み立て中。
IMG_1450(2).jpg
↑ 11日12時頃の状態。骨組みができた段階。
IMG_1481(2).jpg
↑ 12日11時頃の状態。幕の装着もほぼ終わり、完成は近い。
IMG_1478(2).jpg
↑ 中国戦国時代,朝、鶏が鳴かねば開かない函谷関を鶏の鳴きまねで開かせて危機を脱した孟嘗君の故事に基づき、幕には鶏が描かれている。
IMG_1482(2).jpg
↑ 前面の「縄がらみ」
IMG_1499.JPG
↑ 函谷鉾の厄除けちまき。

室町四条上ルの菊水鉾の鉾建て。
室町通りの四条~錦小路の間は車両通行止め。
11日は、躯体が組みあがったところで、車輪も鉾もついていなかったが、12日には、車輪がついて、鉾が立った。
IMG_1453(2).jpg
↑ 11日12時頃、組み上がった躯体部。まだ車軸もついていない。
IMG_1452(2).jpg
↑ 11日12時頃、車輪が立てかけられている。
IMG_1454(2).jpg
↑ 11日12時頃、榊を装着中。
IMG_1455(2).jpg
↑ 11日12時頃、最上部(天王台)に菊(造花)をつける。 
IMG_1465(2).jpg
↑ 12日12時頃、車軸が装着され、車輪がついた。
IMG_1469(2).jpg
↑ 12日12時頃、榊も上がった(額には「菊水」)。
幕の装着はまだこれから。
IMG_1464(2).jpg
↑ それにしても、こんな狭い通りで、よくまあ・・・。

室町四条南側の月鉾。
IMG_1472(2).jpg
↑ 12日11時過ぎ、だいぶ組み上がってきた。

ホテルの玄関を出たところ(室町蛸薬師)で、山伏山を組み立てが始まっていた。
IMG_1461.JPG
↑ 12日11時頃。
鉾に比べると、山は背が低い分、だいぶ作業は簡単そう。

烏丸四条東の長刀(なぎなた)鉾。
IMG_1484(2).jpg
↑ 12日11時過ぎの様子。
IMG_1485(2).jpg
↑ 幕の取り付けもほぼ終了。
IMG_1487(2).jpg
↑ 側面の「縄がらみ」。
IMG_1489(2).jpg
↑ 榊の上に大長刀が光る。

昔の電話番号板 [生活文化・食文化・ファッション文化論]

3月6日(金)
P1200007 (4).jpg
埼玉秩父市の昭和初期開業の「機屋(はたや)」さんで見かけた、琺瑯(ほうろう)の電話番号板。

120429-2.jpg
受話器を取ると、
交換手「はい、電話局です」
女「605番をお願いします」
交換手「はい、605番にお繋ぎします(カチッ)」
という、電話交換自動化以前のもの。

たぶん、上に打ち付けられている方(縦書き・漢数字)が古い(たぶん戦前)。
P1200007 (3).jpg
電電公社のマークが入っている方(横書き・算用数字)は1952年(昭和27)以降。
P1200007 (2).jpg
ちなみに、私が子供の頃(昭和30年代、1955~64)、秩父で電話を持っているのは、役所関係を除けば、圧倒的に織物関係の業者(機屋、買い継商、問屋)と医院だった。
ウチは後者で「五二五番」。

「東急プラザ」の「渋谷でふり返る60年代レトロ展」 [生活文化・食文化・ファッション文化論]

10月20日(月)
渋谷「東急プラザ」の「渋谷でふり返る60年代レトロ展」の展示。
P1120755 (3).jpg
う~ん、微妙に違う・・・。
並んで見ていた60年配(私より少し上?)と思われる男性が「う~ん、なにか違うんだなぁ」とつぶやいたので、「そうですね、50年代が混じってますよね」と相槌を打つ。
P1120756 (3).JPG
P1120756 (4).JPGP1120756 (5).JPG
テレビをはじめとする家庭電化製品は、たしかに60年代のものなのだが、部屋全体の設えが古いのだ。
P1120757 (3).JPG
その熟年男性が若い係員に「このちゃぶ台は、60年代じゃないと思うよ」と言っていたとおり、ちゃぶ台や勉強机は60年代というより50年代だろう。

1960年代は、日本の庶民の生活文化が、和風から洋風へ大転換した時期。
家では和服で畳に座って食事をしていた形から、家でも洋服で椅子テーブルに座って食事をする生活スタイルへ転換していく。
しかも、その転換は急速だったので、1960年と1969年ではだいぶ様相が違う。
それに、東京と地方、同じ東京でも山の手と下町、そして社会階層によって、転換時期がかなり違う。
だから、そこらへんの設定をちゃんとしないと、なんだかよくわからない展示になる。
たとえば、「1961年東京下町の工員さんの家庭」とか、「1969年、東京山の手の会社員の家庭」とか、細かく設定しないと、かえって復元が難しくなる。
まあ、博物館の展示じゃないから、そこまで求めるのは酷かな。
(以下、おまけ)
P1120759 (3).jpg
P1120760 (3).jpgP1120761 (3).jpg
(左)「エスエス製薬」のマスコット「ピョンちゃん」(7代目、1979年)←時代合ってない
(右)「日立製作所」のカラーテレビ「キドカラー」のマスコット「ポンパ君」(1968年)

駕籠について [生活文化・食文化・ファッション文化論]

6月29日(日)
ネットをあちこち散策しているうちに、ロシアで保存されていた駕籠の写真に出会った。
駕籠1.jpg
駕籠2.jpg
駕籠は江戸時代における最も多く用いられたな乗り物だったが、明治初年に一気に人力車に取って代わられ、明治5年(1872)頃までにほぼ姿を消してしまったので、実際に使われている状態で撮影された写真は意外に少ない。
その点、上の2枚は、おそらく明治初期に実用の駕籠を写したものと思われ、なかなかよろしい。

私が最初にこの写真に注目したのは、上の写真の駕籠かき人足が褌だけという姿で、大学の「裸体と着衣の文化史」の講義で、前近代の日本の肉体労働者は(とくに夏場は)褌一丁の裸体話の格好の画像資料になると思ったからだ。
その点はよいのだが、何か違和感がある。
客が座っている位置が、私のイメージよりかなり高いのだ。
最初の写真では、客が座っている座の位置は、駕籠かき人足の太腿あたりになっている。
2枚目の写真では、座の位置はさらに高く人足の股間のあたりになっている。
そして座が高い分、担ぎ棒との間隔が短くなり、客席?の空間が狭くなっている。
これでは上体を起こした姿勢で乗ったら、頭が担ぎ棒にぶつかってしまいかなりきつい。
実際、乗っている女性はどちらも上体をかなり寝かせている。

これだけ座が高いと、けっこう怖いのではないだろうか。
もしも駕籠から転がり落ちた時のダメージはけっこう大きいと思う。
打ち所が悪ければ怪我では済まないかもしれない。

もう1枚、見つけた。
駕籠4.jpg
これも実際に使われていた駕籠だと思うが、座の位置は人足の腿のあたりで、乗っている女性の上体もかなり寝ていて、リクライニング・シートといった感じだ。

こうした野外撮影の写真に対して、外国人用のお土産写真には、スタジオで撮影した駕籠の写真がけっこうある。
下の写真も、その1枚で、書割の前でのスタジオ撮影。
駕籠6.jpg
この駕籠の座は人足の膝あたりで、かなり低い。
その分、担ぎ棒との間の空間に余裕があり、乗っている女性はかなり上体を起こしている。
どうも、こちらの写真の方が私の頭の中の駕籠のイメージに近い。

さらに思い出した。
歌川広重の「東海道五十三次(保永堂版)」の「三島・朝霧」。
駕籠5 (2).jpg
駕籠5 (3).jpg
ここに描かれた駕籠の座はかなり低い。
客席の空間も十分で、乗っている男性も上体を起こして乗っている。
人足の脛のあたりだから、地面に近く、これなら転げ落ちても擦り剥くくらいで済んだだろう。

もう1枚、版画に描かれた駕籠を見てみよう。
渓斎英泉「岐阻道中」の「熊谷宿八丁堤ノ景」。
駕籠3.jpg
板扉がついた今まで見てきたよりも1ランク上の駕籠だが、座の高さは人足の膝あたり。

どうやら、いろいろな座の高さの駕籠があったようだ。

駕籠は乗り物なので、乗り心地という観点も重要になる。
振り子をイメージすればわかるが、座の位置が低く担ぎ棒との距離が長くなると、揺れ幅(振幅)が大きくなり、揺れの速度(周期)はゆっくりになる。
それに対して、座が高く担ぎ棒との距離が短いと、揺れ幅は小さくなるが、揺れ方は早くなる。
どちらが酔わないだろう?
私は波長の長いゆっくりした揺れに弱い。
それに腰が悪いので、背中を立てた乗り方より、寝そべり気味の方が楽なように思う。

それと、駕籠かき人足はどちらが担ぎやすいのだろう。
実際にやってみないと、わからないが、想像ではモーメントが小さい(座が高い)方が担ぎやすいように思うが・・・。
「駕籠の構造と力学、そして乗り心地」なんていうテーマ、現在では何の役にも立たないから、たぶん誰も研究してないだろう。



前の10件 | - 生活文化・食文化・ファッション文化論 ブログトップ