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服藤早苗・新實五穂編『歴史のなかの異性装』、近日刊行 [お仕事(執筆・成果)]

5月13日(土)

勉誠出版の『歴史のなかの異性装』、今月中に出版になります。

再校ゲラを持っていったとき(4月25日)「歴史学研究会の大会(5月27日)にはなんとしても間に合わせたい」と担当編集者さんが言っていましたが、なんとか間に合いそうです。

錚々たる先生方が真面目な学術論文を執筆されている中、私は編集者さんが読むのに困るようなエロなことを書きました。

例によって「色物」ということで(自分の立ち位置はよく理解しているつもり)、ご勘弁、願います。

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アジア遊学 210
服藤早苗・新實五穂編
『歴史のなかの異性装』(勉誠出版、近日刊行、定価 3024円)

【概要】
多様な異性装の世界
衣服は身分や男女差を可視化できる故に、国家や社会による規制の対象とされることが多かった。異性装はいかなる社会的・文化的背景のもとで行われてきたのか。
日本とアジアを中心に、ヨーロッパ、アフリカなど諸国の異性装の事例を歴史・服飾・美術・ジェンダーなどの側面から照射し、女神の帰依・男巫の儀礼から同性愛・トランスジェンダーまで、多様な女装・男装の実体や異性装禁止命令の変遷を明らかにする。

【目次】

序論 歴史の中の異性装(服藤早苗)

Ⅰ 日本
平安朝の異性装―東豎子を中心に(服藤早苗)
中世芸能の異性装(辻浩和) 
(コラム)軍記絵のなかの異性装(山本陽子)
宮廷物語における異性装(木村朗子) 
日本近世における異性装の特徴とジェンダー(長島淳子)
女装秘密結社「富貴クラブ」の実像(三橋順子) 
女性装を通じた考察(安冨歩) 

Ⅱ アジア
唐代宮女「男装」再考(矢田尚子) 
異性装のヒロイン―花木蘭と祝英台(中山文) 
韓国の男巫の異性装とその歴史的背景(浮葉正親) 
衣と性の規範に抗う「異装」―インド、グジャラート州におけるヒジュラとしての生き方について(國弘暁子) 
タイ近代服飾史にみるジェンダー(加納寛) 
ブギス族におけるトランスジェンダー―ビッスとチャラバイ(伊藤眞) 

Ⅲ ヨーロッパ・アフリカ
初期ビザンツの男装女性聖人―揺れるジェンダー規範(足立広明) 
ヨーロッパ中世史における異性装(赤阪俊一) 
英国近世における異性装―女性によるダブレット着用の諸相(松尾量子) 
十九世紀フランスのモードと性差(新實五穂) 
異性装の過去と現在―アフリカの事例(富永智津子) 

あとがき (新實五穂)



ハフィントンポストの記事に追記 [お仕事(執筆・成果)]

5月9日(火)

ハフィントンポストの記事(の最後の方)で「トランスジェンダーは、比率で言うと1対3くらいでMtFよりFtMが多いのです」と言ったら、読者から「間違い(反対)ではないか」という問い合わせが来たとのこと。

トランスジェンダー界隈にとっては当たり前の現実が、世の中に伝わっていないことを実感。

ということで、
「海外ではMtFがFtMより多いのが一般的だが、日本では少なくとも00年代後半から受診者レベルでFtMがMtFより多くなっている。日本精神神経学会の調査(2017年3月)でも戸籍を変更した人はFtMがMtFより約3倍多いと推計している。」
という形で註を加えました。

http://www.huffingtonpost.jp/2017/04/25/junko-mitsuhashi_n_16222104.html?ncid=engmodushpmg00000004

【追記(11日0時)】
「FtMが多い理由」について、いくつかお尋ねがあったので私見を記しておきます。

なぜ、世界の中で日本だけがFtMの比率が顕著に高いのか、理由はまだわかりません。
ただ、遺伝子的にそういう傾向があるとは考えられず、やはり女性→男性という何らかの「社会圧」があると考えられます。

しかし、まったくのシスジェンダー&ヘテロセクシュアルの女性がいきなりFtM化するとは考えにくく、FtMの増加分の資源はレズビアンだと思います。
私はレズビアンの社会的隠蔽とコミュニティの未成熟が、一部のレズビアンのFtM化につながっていると考えています。

詳しくは、拙稿「日本におけるレズビアンの隠蔽とその影響」(小林富久子ほか編『ジェンダー研究/教育の深化のためにー早稲田からの発信―』 彩流社 2016年3月 P135~155)をご参照ください。


「ハフィントンポスト(日本版)」にロングインタビュー掲載 [お仕事(執筆・成果)]

5月4日(木・祝)

インターネット・マガジン「ハフィントンポスト(日本版)」に私のロングインタビュー「LGBTブームの課題とは? 三橋順子さんが指摘する光と影『人権より先に経済的側面が注目された』」が掲載されました。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/04/25/junko-mitsuhashi_n_16222104.html?ncid=engmodushpmg00000004
とりとめのない長話を要領よくまとめてくださったライターの宇田川しいさん、写真を撮ってくださった波多野公美さんに感謝です。
2017-04-25-1493094701-7915533-02-thumb.jpg2017-05-04-1493857481-2934520-04-thumb.jpg

【論文】「和装のモダンガールはいなかったのか? ―モダン・ファッションとしての銘仙―」 [お仕事(執筆・成果)]

2月13日(月)

『デザイン史学』第14号(デザイン史学研究会、2016年7月)に掲載された論文「和装のモダンガールはいなかったのか? ―モダン・ファッションとしての銘仙―」をカラー画像入りでアップしました。
IMG_2252.JPG
IMG_2253.JPGIMG_2254.JPG

それほど長くありませんので、よろしかったら、ご覧になってください。
http://zoku-tasogare-2.blog.so-net.ne.jp/2017-02-13

ちなみに、報告レジュメはこちら(↓)。
画像がたくさん入っています。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-07-12

「現代ビジネス」に「ホリエモンと『カリスマ女装男子』に見る日本人の性の伝統と変遷 ー歴史の中の男色文化ー 」 [お仕事(執筆・成果)]

2月9日(金)

講談社のインターネット・マガジン「現代ビジネス」にコラム「ホリエモンと『カリスマ女装男子』に見る日本人の性の伝統と変遷 ー歴史の中の男色文化ー 」を書きました。
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読んでいただけたら、うれしいです。

中江 桂子 編著『昭和文化のダイナミクス ー表現の可能性とは何かー』( [お仕事(執筆・成果)]

11月17日(水)

中江 桂子 編著『昭和文化のダイナミクス ー表現の可能性とは何かー』(ミネルヴァ書房)が刊行されました。
2014年に成蹊大学で行われた武蔵野市寄付講座「昭和のサブカルチャー研究」に基づく論集です。

私は第9章「トランスジェンダー・カルチャーの昭和史」を執筆しました。

少々、お値段が張りますが、ご購読いただけたら幸いです。

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中江 桂子 編著『昭和文化のダイナミクス ー表現の可能性とは何かー』
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刊行:ミネルヴァ書房(2016年11月)
A5版・304頁、3,000円+税
ISBN:9784623078417

激動の昭和の中で、闊達に自由な表現を求め、新しい世界を拓いた挑戦者。
彼らの活動の根源を探ることを通して、「表現」の意味と可能性を現代に問う。

【目次】
プロローグ いま、表現を考えることについて(中江桂子)
 
第Ⅰ部 表現――その魅力の源泉をたぐりよせるために
 第1章 昭和前期の漫画メディアと漫画家たち(夏目房之介)
 第2章 少年探偵団の生き物の愛しかた(浜田雄介)
    ――ボーイスカウトとサーカス
 第3章 映画と彫刻は兄弟(萩原朔美)
    ――映像表現とテクノロジーについて

第Ⅱ部 メディアを介在させない、という戦略
 第4章 紙芝居が「俗悪」だった頃(鈴木常勝)
 第5章 フォークを歌う、ライブで歌う(中川五郎)

第Ⅲ部 抑圧されたものをこそ愛すること
 第6章 ゲテモノから女王へ(市川孝一)
    ――美空ひばりとその時代
 第7章 村上春樹とジャズ(宮脇俊文)
    ――新しい文体が模索するもの
 第8章 自然・生態系のファンタジスタ(千葉伸夫)
    ――宮崎駿のインパクト

第Ⅳ部 内なる外部を覚醒させよ
 第9章 トランスジェンダー・カルチャーの昭和史(三橋順子)
  1 トランスジェンダーとはなにか
  2 歴史の中に女装者たちの足跡をたどる――前史として
  3 昭和のトランスジェンダー・カルチャーをたどる
  4 日本のトランスジェンダー・カルチャーの特質――日本人は女装が好き?
 第10章 挑発を仕掛ける(榎本了壱)
    ――『天井棧敷』と『ビックリハウス』
 第11章 舞踏(山田せつ子)
    ――未知の世界が開いたもの

エピローグ 表現者たちと現代社会(中江桂子)
あとがき(中江桂子)

実は、メジャー・デビュー20周年だったりする [お仕事(執筆・成果)]

10月10日(月・祝)

先日、講義をしていてふと気づいたのだが、私が(一応)メジャーな雑誌にデビューしたのが『imago』(青土社)1996年2月号(伏見憲明氏との対談「ジェンダーをデザインする」)なので、今年(2016)は20周年ということになる。

日頃、「周年記念」というものをほとんど意識しない人なので、すっかり忘れていた。

愚鈍の才は20年経っても変わるはずもなく、近年はさらに老耄も加わり、うだつが上がらぬことは相変わらず。
著書わずか1冊、編著数冊、長い論考22篇、中~短い論考57篇。
20年間で為しえたものを省みると、自らの非才と怠惰を恥じ入るばかりだ。

LGBT全盛の世に、老残のトランスジェンダーの出る幕などあるはずもなく、ひたすら人生の幕引きを待つ日々である。

さあ、今日も原稿を書こう!


『すばる』8月号「特集LGBTー海の向こうから」のレビュー [お仕事(執筆・成果)]

7月24日(日)

サムソン高橋さんによる『すばる』8月号「特集LGBTー海の向こうから」のすばらしいレビュー。
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http://life.letibee.com/samson-takahashi-20160721/

LGBT界隈では、ほとんどスルー状態だったので、ほんと、うれしかった。
サムソン高橋さん、ありがとうございました。

ところで、私も載せてただいた、インタビュー記事「わたしの光になった表現」(聞き手:外山雄太さん)だが、私がインタビューを受けたのは、明治大学の講義を終えた後で、しかも体質的に苦手な高湿度の日で、かなり疲れていた。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-05-31-1
そのせいか、掲載後に読み返してみると、他の方たちに比べて、良く言えば淡々、悪く言えば、盛り上がりに欠ける平板な感じで、もっとドラマティックに語るべきだったかなぁと、反省していた。

ところが、意外にも反応してくださった方がいた。
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「樋口めぐむblog・本日もこむら返り」
2016年7月 7日 (木)「考え直したこと。」
(前略)最も痺れたのは、三橋順子さんの、あるお話でした。
詳しい内容は本誌を読んで確認してほしいけれども、「先人から魂を受け継ぐ」と感じるエピソードが語られていて、なんか、とても痺れました。(後略)
http://higuchimegumu.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-7984.html
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それと、Face BookつながりのHさんからも、「どうしようもなく感情が掻き乱され」てと、わざわざ「メッセージ」をいただいた。

自分が語ったことに、反応をいただけるのは、何かが伝わったということで、ほんとうにありがたいことだと思う。

樋口さん、Hさんありがとうございます。
とても、うれしかったです。

論文「日本におけるレズビアンの隠蔽とその影響」 [お仕事(執筆・成果)]

4月9日(土)

長らくお待たせしました「早稲田大学ジェンダー研究所」の創立15周年記念論集が3月末に刊行されました。

小林 富久子・村田 晶子・弓削 尚子編
『ジェンダー研究/教育の深化のために― 早稲田からの発信』
早稲田からの発信.jpg
彩流社、2016年3月、474頁、定価4300円+税
ISBN-13: 978-4779121968

これからの「ジェンダー研究/教育」に向けて、文学、表象・メディア、歴史、法・社会などの専門領域の「ジェンダー研究の展開」と、教育実践をもとにした「ジェンダー教育のあり方」の二本立てで、計24編の論考を収録しています。

私は、論文「日本におけるレズビアンの隠蔽とその影響」を執筆しました。
日本における女性同士の性愛の歴史をトピック的にたどり、その隠蔽の在り様を明らかにした上で、その現代における影響、具体的には「なぜ日本では女性から男性への性別移行者(Female to Male=FtM)が(国際比較で)突出的に多いのか?」を考えてみました。

価格が高いので、図書館などでご覧いただければ幸いに思います。

今、学生が求めるファッション論は何か? [お仕事(執筆・成果)]

3月4日(金)

ファッションを社会学的に論じようという論集に、依頼されて「装いとセクシュアリティ」という論考を、昨年夏、執筆した。

今日、編集者&編者からメールが来て、全体の3分の1に相当する第1章「全裸はエロか? ―隠すこと・露わすこと―」は削除(没)とのこと。

理由は、裸を論じるのは「ファッションの社会学」をテーマとする本書の趣旨に合わない、大学の教科書として難解すぎる(ふさわしくない)。

裸体と着衣について論じることがファッション論から外れるってどういう理屈だ?
むしろ、それこそファッション論の基礎ではないか。

実際、同じ内容で関東学院大学の「セクシュアリティ論」を講義したところ、学生の反応はとても良かった。
編集者&編者が教科書採用先として想定している大学って、関東学院大よりレベルが低いのか?

教科書にふさわしいお上品なセクシュアリティ論がお望みだったら、私なんかに執筆依頼するなよ!

拙稿、従来のファッション論の枠組から少し外れるのは承知で、今時の大学生に興味をもってもらえるような身近な問題を設定しながら書いた。
なぜなら、大学の講義で学生とちゃんと向き合っていれば、現代の学生たちがどういうテーマを期待しているか、伝わってくる。
それは他人事ではなく、自分のこと、身近なこととして考えることができるテーマだと思う。
しかし、どうもそこらへんの感覚が、編者の「偉い」先生たちには乏しいようだ。

編者&編集者のイメージは、学生が興味を持つような斬新でおもしろい教科書ではなく、もっとオーソドックスで「学問的」で無難なものを求めていたようだ。
その点、少なからずがっかりした。

編者&編集者の意向に応じて大幅改稿するか、それとも執筆辞退するか、少し考えようと思う。

【考えてみた】
自分が間違っているとは思わないけど、「見ているもの」が違う編集者や編者の「先生」とやり合うのは疲れる。
もうそんな気力もないし、自分に残されている時間を考えると、時間の無駄だと思ってしまう。

と言って、意に沿わない改稿作業は、心身への負荷が大きい。
この年齢になると、ストレスを減らすことは、少しでも健康を保つ上で重要だ。

何万円かの印税収入はフイになるが、それより健康の方が大事だろう。

身を削る思いで書いた原稿が日の目を見ないのは残念だが、原稿を取り下げて、執筆を辞退した方が良さそうだ。

【さらに考えてみた】
今回の件で、大学という場で「エロ」を学問化することの困難を痛感。
私としては「セクシュアリティ論」を語る上で「エロチズム」を分析することは当然だと思うのだが、そういう内容に強い抵抗感をもち「大学はそんな不真面目なことを語る場ではない」と考える教員は数多い。

また、大学で「エロ」を含む教科書を採用すると「セクシュアル・ハラスメントで訴えられ、私立大学では経営に直結するスキャンダルになる可能性がある」との指摘を私立大学の先生からいただいた。
だから大学では「性」を学問化して論じることを隠蔽・回避し、その結果、性被害に遭ったり望まない妊娠をしてしまう女子学生や、無知ゆえに性暴力の加害者になる男子学生が出てくるわけで、なるほど、すばらしい教育システムだと思う。

もちろん困難な状況の中でご尽力されている先生がいることはよく分かっている。
現実を直視していれば、学生の「性」に向き合わざる得ないのは、当然のことだから。
ただ、講義の内容がセクシュアル・ハラスメント告発された場合、非常勤講師は「腹を切れば」済むことだが、常勤の先生方はそれだけでは済まないので、いろいろ大変なことはわかっているつもり。
ちなみに、私もシラバスで「講義の中でセクシュアリティ(性愛行為)に直接関わる用語・事象が語られること、あるいはセクシュアリティや身体変工を描写した画像(絵画)を教材とすること」を明示している。

しかし、だからといって、大学の講義から「エロ」を排除することが正しい方策だとは、私には思えない。
正直、やってられない気持ちになる。


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