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1月9日(水) 石山寺縁起絵巻を読む(宇治の人々の服装と髪型) [お仕事(石山寺縁起絵巻)]

1月9日(水)  曇りのち晴れ  東京 9.4度  湿度61%(15時)

8時、起床。
朝食は、アップルデニッシュとコーヒー。
シャワーを浴びて髪にあんこを入れて頭頂部で結んでシュシュを巻く。
化粧と身支度。
黒地に紫・群青・水色・茶色の大小の長楕円がたくさんある変な柄のロング・チュニック(長袖)、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、焦茶のショートブーツ、黒のトートバッグ。
ボア襟の黒のカシミアのポンチョを羽織る。

9時40分、家を出る。
途中のコンビニで講義資料のコピー。
10時半、自由が丘の産経学園で講義。

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『石山寺縁起絵巻』(近江・石山寺の由来と歴史を描いた鎌倉時代末期の絵巻物)の解読。
前回に引き続いて巻5第3段の絵解き。
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東国の武士の従者が瀬田橋から瀬田川に落としてしまった大事な院宣が、石山寺の観世音菩薩の教え通り、宇治川(瀬田川の下流)で獲れた大鯉の腹の中から出てきて、無事に従者の手に戻る場面。
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奇瑞に驚き集まった宇治の人々(庶民)の服装・髪型・履物が興味深い。
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まず目に止まるのは、幼児が裸であること。
お母さんに抱かれた子供(右端)も、背景の民家の窓辺にいる赤ちゃんも「すっぽんぽん」でなにも着ていない。おむつもつけていない。
「すっぽんぽん」は、絵巻で見る限り、少なくとも鎌倉時代~南北朝時代(~14世紀)までは、庶民階層の幼児の育て方だったようだ。
ちなみに、この場面、季節は夏の初めくらいと思われる(田圃の稲の生育状況から)。
また、幼児の頭はくりくりの丸坊主である。
幼児の髪を剃ってしまうのは(一部だけ残したりする)けっこう後(近代)まであった習俗で、汗疹や虱を避けるためだったと思われる。
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奇瑞を聞いて集まる川漁師(叉手網を担いでいる)と少年。
二人とも「腰切」という短い着物を着ている。
下半身は下着(褌)だけと思われる。
少年はもろ肌脱ぎで、着物は腰のあたりにたわんでいる。
こうした被覆率の低い(肌の露出度の高い)服装は、庶民の夏の労働着としては一般的だった。
髪型に注目。
少年は幼児期の丸坊主から伸ばしたままの放髪(はなちがみ)。
川漁師は、髷状に結っているが烏帽子は被っていない露頭。
平安時代~鎌倉時代中期(~13世紀)、男性の髪型は「髷を結う+烏帽子を被る」か、「髷を結わない(童髪)+烏帽子を被らない」かのどちらかだった。
ところが、鎌倉時代末(14世紀)になると「髷を結う+烏帽子を被らない」という形が庶民の中に出現する。
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同じように少年の髪型に注目。
左は僧侶の従者と思われる年長の少年(童)。
寺院社会の童は、伸ばした髪を垂らして軽く束ねる形がほとんどだったが、この少年は違う感じ。
どうも後髪を上げている(結っている)ようにも見える。
右の少年は、後鉢巻で髪が乱れるのを止めている。
女性と同じように長く背に垂れる垂髪で美しく装って偉いお坊さんのお相手をしているだけでいい稚児(上童)と違い、中童・下童は労働に従事しなければならない。
そうなると、髪が邪魔にならないよう、何らかの処置(結う、鉢巻き)をした方が便利なのだろう。
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全体画面左側の人々の足元に注目。
僧侶の高下駄、その右側の男、さらに赤い着物の子供を連れた女性の履物、足の指で挟む鼻緒ではない。
右端の男の履物とは表現が異なり、鼻緒より幅広のアーチ型のベルトに足を突っ込んでいる形に見える。
突っかけ、サンダル、現代ならミュールと同じような形の履物だろうか?
鼻緒を用いないこういうサンダルのような形態の履物が中世にあったのだろうか?
う~ん、細かく見ていくと、わからないことがまだまだ多い。

12時、終了。
(続く)

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