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新宿二丁目「サロンひとみ」について [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

8月11日(月)
先日、「1949年、新宿「赤線」の経済」というメモをまとめた際に、新宿「赤線」の様相を示すものとして、下の画像をアップした。
「赤線」新宿4「ひとみ」(1953) (2).jpg
↑ 1953年頃の新宿二丁目「赤線」。
都電通り(現:御苑大通り)に面していた「サロン ひとみ」という店。

この「サロン ひとみ」は1962年の住宅地図に載っている。
新宿2丁目地図(1962) (8).jpg
御苑大通りから仲通り方面に入る道(現:花園通り)の南側角に「サロンひとみ」と「ひとみ寿司」が見える(赤塗の部分)。
「赤線」指定エリアの南西隅だが、御苑大通りに面した角店という立地上の有利があった。
現在の住所では「新宿区新宿2丁目12-8」。
1963年の住宅地図には「サロンひとみ」の部分が「天麩羅ひとみ」に変わり、「天麩羅ひとみ」+「ひとみ寿司」の形になっている。
跡地は「アーバンプレム新宿」という新しいビルになっていて、「a.flat」というアジアン家具のお店などが入っている。
「アーバンプレム新宿」ビル1.jpg
ところが、作家の館淳一さんからFace Bookの方に、以前、新宿二丁目にあった「ひとみ」という居酒屋によく行った、それと関係があるだろうか?というお尋ねをいただいた。
同時に、2006年に閉店した「割烹居酒屋ひとみ」の写真の所在も教えていただいた。
居酒屋「ひとみ」.jpg
http://misebiraki.exblog.jp/4701736/
この写真と、上の「アーバンプレム新宿」ビルの写真を比較すると、まずビルの形がとてもよく似ている。
さらに、画像を拡大して子細に見ると、左側のレンガ色のビルの看板が同じで、同一場所であることがわかった。
つまり、「赤線」時代の「サロンひとみ」→赤線廃止後(1962年頃)「サロンひとみ」+「ひとみ寿司」→(1965年頃)「天麩羅ひとみ」+[ひとみ寿司」→2006年まで営業していた「割烹居酒屋ひとみ」という形で、同一場所で「ひとみ」という屋号を使い続けながら変遷したことが確定できた。
居酒屋「ひとみ」2.jpg
残念ながら、私のシマは御苑大通り西側の三丁目「末広亭ブロック」で、東側の二丁目「ゲイタウン」にはめったに足を運ぶことがなく、ちょっと場違いな居酒屋があったことを覚えているだけで、「居酒屋ひとみ」には入ったことがない。
「赤線」の流れを引く店と知っていたら、飲みに行ったのにと思うと残念だが、その頃には無知だったのだから仕方がない。

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コメント 8

ツバサ

はじめまして!ツバサと申します。
いつも順子さまのブログ更新を楽しみにしております。初めて書き込みをさせていただきます~。
新宿駅、池袋駅周辺の戦後の変遷はとても興味があります。
よく古い映画やドラマで新宿や池袋が出てくると、食い入るように街の様子を見てしまいます。それらの街がテーマになった歌謡曲も大好きです~。

順子さまがお調べになっている新宿の「ひとみ」ですが、確か漫画家の赤塚不二夫先生が中心となって、タモリさんや高平哲郎さん、松金よね子さんらが集まってどんちゃん騒ぎをした…という伝説の「ひとみ寿司」のことではないでしょうか?場所も新宿二丁目とのことです。
赤塚先生がお亡くなりになった時の弔辞で、タモリさんが「ひとみ寿司」のことに触れておりました。
もしそれが赤線時代の「サロン ひとみ」の流れを受け継いでいたとしたら、感慨深いものがありますね…。

by ツバサ (2014-08-19 19:06) 

三橋順子

ツバサさん、いらっしゃいま~せ。
ご指摘ありがとうございます。
1953年の写真に写っている「サロンひとみ」は、赤線廃止後の1962年頃の住宅地図では北側が「サロンひとみ」に南側が「ひとみ寿司」になっています。
さらに1965年・1970年の住宅地図では北側が「天麩羅ひとみ」、南側が「ひとみ寿司」になっています。
ですから、赤塚不二夫先生を中心にタモリ氏たちが集まって騒いでいた「ひとみ寿司」は間違いなく赤線「サロンひとみ」の後継店のひとつです。
タモリ氏が騒いでいたのは1970年代後半だと思いますが、「ひとみ寿司」が(独立して)いつまで存続していたかはまだ調べていません。

by 三橋順子 (2014-08-19 23:38) 

フジモト

突然すみません。昔の新宿二丁目のことを検索していてこのブログにたどり着きました。この記事の地図の中にある「ひとみ」の右側「栄家」の右、「エンゼル」の上、「クリーニング広洋舎」の場所でカフェ・ラバンデリアという店をやっています。ラバンデリアというのはスペイン語で洗濯屋という意味で、以前は赤線時代からのクリーニング屋さんということでこの名前にしました。この地図を見て驚きました!!
by フジモト (2016-03-10 22:14) 

三橋順子

フジモトさん、いらっしゃいま~せ。

コメントをいただいたご縁、研究の励みになり、とてもうれしく思います。
元、クリーニング屋さんだった由来を、現在のお店の名にこめる感覚もすてきです。

「遊廓」や「赤線」の需要があり、隣接地域で営業が成り立つ職種というものがいくつかあります。
たとえば、女たちが髪を結う「美容室」、必ず使う「蒲団屋」、そして、シーツとか寝間着とかいろいろなものを洗う「洗濯屋」などです。
「赤線」エリアに隣接して立地していた「クリーニング広洋舎」もきっと、そうした「赤線」の需要をこなしていたのではないかと推測します。


by 三橋順子 (2016-03-12 14:19) 

フジモト

三橋さま、返信ありがとうございます。たしかに「赤線」の需要をこなしてきたと聞いております。ますますこの地に興味がわいてきました。写真家の渡辺克己さんが撮影された1972年の新宿二丁目のヌードスタジオと称された店の横に少しだけ以前のクリーニング屋さんが写っています。今後もいろいろと調べてみます。ありがとうございました!!!
by フジモト (2016-03-15 20:03) 

レオレオ

懐かしい。
私が産まれる1年前の手書き地図。
記憶を思い起こしながら拝見させて頂きました。
地図上の青線で囲われた中にある「桃山」そこの二階に住んでおりました。
太宗寺や新宿公園はかつての遊び場でした。


by レオレオ (2018-09-03 07:56) 

三橋順子

レオレオさん、いらっしゃいま~せ。
コメントありがとうございます。
その頃は、二丁目にお住まいの方もまだまだ多かったころだと思います。
ご記憶にある「桃山」は、何屋さんでしたか?
by 三橋順子 (2018-09-04 02:28) 

レオレオ

三橋順子様
そうそうのお返事ありがとう御座います。
私が住んでおりましたのは産まれてから18歳まででした。
何回となく店舗も変わりましたが、幼少の最初の記憶では角から「あすなろ」パブ?、真ん中が「レスポアール」バー?、右端が「ひとみ」小料理屋?と言う名前ではなかったかと記憶しております。
角の「長崎亭 ちゃんぽん」となりましたのは恐らく私が小学生の頃。
中央は「紅葉」右端は「まさみ」にそれぞれ変わったかと思います。
当時はこの「さつき通り」にも子供が多く、夏には花火をやったり、蝋石で道端に落書きをしたりして遊びました。
夏場の金魚売りや風鈴売りの声も響いていました。

by レオレオ (2018-09-05 13:29) 

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