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『月刊 東京人』2018年7月号の巻頭エッセー「東京点画」に [お仕事(執筆・成果)]

6月11日(月)

現在発売中の『月刊 東京人』(都市出版社)2018年7月号の巻頭エッセー「東京点画」に、三橋順子「たった五十年前なのに。」が掲載されました。
月刊東京人201807 - コピー.jpg

今号の「東京点画」、トップは女優・作家の岸恵子さん、続いて立教大学学長の郭洋春(かくやんちゅん)さん、酒場ライターのパリッコさん、そして私。
東京人201807-2.jpg

ちなみに、今号の特集「今こそ読みたい 太宰治」とは、まったく関係ない内容です(太宰、好きじゃないし)。

よろしかったら、ご覧になってくださりませ。

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   たった50年前なのに・・・

 昔の新宿のことを調べています。大正末~昭和戦前期の「新宿遊廓」、戦後の「二丁目・赤線」、闇市から派生した飲み屋街、そして「二丁目・ゲイタウン」の形成など。

 調査の手法は歴史学と地理学。できるだけ当時の文献(新聞・雑誌・書籍)を集めて分析し、地図を調べて現地を歩くという地味ですが着実でオーソドックスなやり方を積み上げてきました。それでも、わからないことはわかりません。文献や地図で追えない場合、当時を知る方の証言がとても有用です。

 たとえば、1950~60年代に新宿にあった小さな飲み屋街「緑苑街」の場所は文献や地図ではわからず、その路地を通学路にしていた都立新宿高校OBの方の証言で推定できました。
でも、この種のテーマは、その時に生まれていても子供では駄目で、大人になっている必要があります。

 戦前の「新宿遊廓」を実際に知る方はもうほとんどいません。私の父が「昭和19年(1944)に学校の先輩に新宿遊廓に連れて行かれたが、もう灯火管制で暗くて、怖くて逃げてきた」と語ってくれましたが、その父も一昨年、94歳で逝きました。

 戦後の「二丁目・赤線」ですら今年が「線後」(1958年の赤線廃止後)60年なので、働いていた女性にしろ、客の男性にしろ、知っている方は80歳以上です。しかも、当然のことながら「語り部」はどんどん減っていきます。

 もっとテーマを絞ると、「語り部」を探すのはさらに困難になります。たとえば「二丁目・ゲイタウン」が形成された1960年代末~70年代初頭に「現場」にいた(つまり、ゲイの)方となると、ほとんど見つかりません。この春、新宿ゲイ業界の最古老(81歳)の方を紹介していただき、お話しをうかがうことができたのですが、「新宿に来たのは73年なのよ、それ以前のことはわからないわ」というちょっと残念な結果でした。

 たった50年足らず前のことなのに、わからないのです。その度に「ああ、もっと早く話を聞いておくべきだった」と後悔するわけですが、いくら後悔しても逝ってしまった方にはもうお話は聞けません。

 こうした「語り」資料の不足は、なにも60年代以前のことだけではありません。私は大学の講義の中で、バブル経済全盛~崩壊期(1980年代後半~90年代前半)のディスコ文化の話をしています。ところが、講義の材料となる「語り」資料が、意外に乏しいのです。「80年代、90年代なんて歴史じゃないだろう」とおっしゃる方も多いと思いますが、90年代末~00年代初生まれの学生にとっては、生まれる前のことで十分に歴史なのです。

 バブル期の雰囲気を知っていて語ってくださる方はまだまだ多いでしょう。しかし、バブル全盛期の六本木のディスコ・クイーンとなると、そもそも多くはないし、語ってくれる方を見つけるのは簡単ではありません。そういう方を見つけたら、今のうちにちゃんと話を聞いて、記録しておくことが大事なのです。「そのうちに」と思っていたら、気づいたときには聞けなくなっているかもしれないのです。

 「語り」と記録はお早めに!(自戒を込めて)なのです。


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コメント 1

可愛い真樹猫ちゃん

おや、この表紙画像は写真家林忠彦(故人)が某酒場で
撮影した太宰とかいう小説家の写真ですにゃ。

「たった五十年前なのに。」は五百年前の間違いでは・・・
弾正殿(松永久秀)やら六角の御館様(佐々木義賢)やら

by 可愛い真樹猫ちゃん (2018-06-15 23:54) 

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