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新元号は「令和」(れいわ) [世相]

4月1日(月)

5月1日から使われる新元号は「令和(れいわ)」

「令」が頭にくる元号は、日本でも中国でもない。
さらに言うと、2字目としても使われていない字。
異例というべきか、新味があると言うべきか。

典拠は、なんと『万葉集』巻5(815番歌)の序。
「初春月、気淑風
(初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後の香を薫す)

長~い慣例(伝統)である漢籍からの引用を嫌い、国書(日本の古典)から採用した完全な安倍色。
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梅花謌卅二首并序

天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以濾情。詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。

梅花の歌三十二首、并せて序
天平二年正月十三日に、帥の老(大伴旅人)の宅に萃(あつ)まりて、宴会を申く。時、初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す。加以(しかのみにあらず)、曙の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて盖(きぬがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥は穀(うすもの)に封(こ)められて林に迷ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故鴈歸る。是に於いて、天を盖(きぬがさ)とし地を坐とし、膝を促け觴(さかずき)を飛ばす。言を一室の裏(うち)に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然と自ら放(ほしきさま)にし、快然と自ら足る。若し翰苑(かんえん)に非ずは、何を以ちて情を壚(の)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしえ)と今とそれ何そ異ならむ。宜しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。

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奈良時代、『万葉集』の序(漢文)を書くくらいの人なら、当然、漢籍の知識は豊富なわけで、当時の作文の作法からしても、典拠がある。

後漢の学者・科学者、張衡(78-139)の「歸田賦」(『文選』収録)に、
「於是仲春令月、時和氣清、原隰鬱茂、百草滋榮」
とあるのが、『万葉集』巻5(815番歌)の序「初春令月、気淑風和」の典拠。

漢字を使っている限り、漢籍(中国文化)からは逃れられない。
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『万葉集』→和歌→国風、という連想をしている人がけっこういるみたいだけど、『万葉集』の中の序は漢文。
で、その頃の日本文人が書く詩文には漢詩文からの引用・翻案が多い。

「令和」の出典の『万葉集』巻5「梅花謌卅二首并序」は、天平2年(730)、大宰帥(長官)大伴旅人以下、大宰府や筑前国府の官人たちの酒宴の場で作られた。
当時の文人なら漢詩文を下敷きに、このくらいの漢文はほとんどその場で作れたはず。
その際に参照したのが張衡(後漢)の「帰田賦」ということ。
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新元号の2字目、「平成」との連続性を意識して「平」かと予想していたが、
結局「和」で、「昭和」が意識された形に。
まあ、安倍首相の(昭和戦前期への)志向性からしたらそうかな。
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マスコミが「令和(れいわ)ちゃん」を探し始める。
たぶん、日本中のどこかにいるのではないだろうか。
と思ったら、早稲田大学政治経済学部教授に川岸令和(のりかず)氏がいらっしゃるとのこと。
岐阜県飛騨市在住の2歳の女児は「令和(れな)ちゃん」。
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元号案は6案。
出典は漢籍3、国書3。
採用されなかったのは、「英弘(えいこう)」「広至(こうじ)」「万和(ばんな)」「万保(ばんほ)」など。
(もう1つは「久化(きゅうか)」)

『朝日新聞』スクープ。


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コメント 1

木村隆俊

令和って中国の東魏、北魏や斉の役人だった人の字(あざな)3人とも人生を全うしていない。これはこれは!!
乞伏慧(きつぶく けい),江謐(こう ひつ),趙邕(ちょう よう)
3人とも刑死はしていない。

by 木村隆俊 (2019-04-01 14:22) 

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