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歴史を叙述すること [性社会史研究(一般)]

7月14日(日)

昨日、講座「LGBTと歴史 ー歴史研究の重要性」の後で、石田仁さん、谷口洋幸さんたちと、おしゃべりしていて、改めて思ったこと。

当たり前のことなのだが、歴史は因果関係で成り立っている。
歴史を叙述するということは、事物の因果関係を可能な限り合理的に説明する営為と言っていい。

だから、出来事の先後関係にはすごく敏感だし、そこに因果関係を求める際には、それを取り巻くさまざまな状況を勘案して慎重を期す。
早い話、自分の論に合わせて都合が良いような因果関係を作ってはいけない。
それは歴史の捏造だ。

そこらへん、専門の教育を受ていない人は、やはり甘いと思う。

さらに言えば、学問というものは、「言葉」を慎重に扱う。
たとえば「法」という言葉をどうとらえるか、なにを意味するか。
19世紀以前のヨーロッパで「法」と言った場合、世俗法か、宗教(キリスト教会)法か、がまず重要になる。
現代的な感覚で世俗法だけを「法」だと考えて、宗教法の影響力を軽く考えたら、まったくおかしなことになる。
安易に使える言葉ではないのだ。

「人権」も同様で、フランス革命の「人間と市民の権利の宣言(人権宣言)」が、現在の人権思想の淵源であるのは間違いないが、現実にフランス社会の人権状況がそれによって飛躍的に改善されたわけではない。
また当然のことだが、同じ欧州でも、フランスとイギリス、あるいはドイツの歩みは違う。
広い視野とある種のバランス感覚がないと、やはりおかしな話になってしまう。

そこらへんも、専門的な教育の中で基礎を養い、その後の研究活動の中で磨いていくしかない。

つまり、専門研究者は、やはりそれだけのものがあるということだ(まあ、そうでない研究者もいることはいるが)。
無駄に10年近く専門教育を受けてきたわけではないし、何本も論文を書いてきたわけではない。

石田さんも、谷口さんも、赤枝さんも、そこらへん、実にちゃんとしている。
だから、安心して話を聞いていられる。


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