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2018夏「家猫さん慰労」北陸・温泉旅行(1日目の3:麩料理の「茶寮・不室庵) [旅]

8月20日(月)
(続き)
13時、予約してあった尾張町の麩料理「茶寮・不室(ふむろ)庵」へ。
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↑ 「にゃんこ、そっちじゃないよ」
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↑ 「こっちだよ」

「不室屋」は慶応元年(1865)創業の加賀麩の老舗。
麩は、小麦粉に食塩水を加えてよく練って粘りを出した生地を布製の袋に入れて水中で揉み、デンプンが流出させた後に残ったグルテン(タンパク質)を使った食品で、グルテンを蒸したものが生麩。
元来は、室町時代初期に明から渡来した禅僧によって製法が伝えられた精進料理だが、タンパク質が不足しがちな時代にあって、豆腐や納豆などの大豆タンパク食品と並んで、タンパク質を摂取できる食品だった。
生麩はお寺が多い京都、奈良、そして金沢が産地。

私の母方の祖母、母の好物だった。
そして、なぜか、家猫さんの好物。

ということで、「麩久箱膳」をいただく。
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↑ 蓋裏膳
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↑ 耳のあるお皿が気になったが、牛さんだった。
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↑ 麩久箱
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↑ お手毬麩入り卵焼き。まるでテリーヌのよう
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↑ 治部煮
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↑ 汁
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↑ 香の物と生麩のしぐれ煮
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↑ 甘味
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↑ 麩まんじゅう、好き。
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↑ 「おいしかったにゃ、満足にゃん」

まだ少し時間があったので、現在は「尾張町 町民文化館」になっている「旧・金沢貯蓄銀行」を見学。
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明治40年(1907)の建造。後に合併で北陸銀行尾張町支店になった。
外観は、腰壁が切石積み、黒漆喰の土蔵造りだが・・・、
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内部は洋風モダン。
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↑ 頭取室。

タクシーで、金沢駅へ。
(続く)
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2018夏「家猫さん慰労」北陸・温泉旅行(1日目の2:金沢城) [旅]

8月20日(月)

昼食の予約まで2時間弱あるので、バスで金沢城へ。
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32年前の新婚旅行の時は、城址は国立金沢大学で観光客は入れなかった。
その後、1995年に大学が移転し、石川県が国から城址を取得、復元整備を開始した。
そして、2001年、金沢城址公園として公開。

金沢城は、言わずと知れた加賀藩百万石の前田氏のお城。
金沢平野の中央を流れる犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端に築かれた平山城で、元は加賀一向一揆の拠点「尾山御坊」(浄土真宗の寺院だが胃要塞的施設)があった。
それをで織田信長が攻め落とし、跡地に金沢城を築いて部将の佐久間盛政を置いた。
盛政が「賤ヶ岳の戦」(1583年)で柴田勝家に組して、羽柴秀吉に敗れると、秀吉は金沢城を前田利家に与えた。
利家は1592年(文禄元)から改修工事を始め、曲輪や堀の拡張を行い、五層の天守閣や多くの櫓を建て並べた。

前田利家は、織田信長の小姓→母衣衆で「槍の又左衞門」として知られ、右目下に矢を受けながらも敵を討ち取ったという武勇の人。
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その功績で、本能寺の変で信長政権が崩壊したときには、能登一国(23万石)を与えられていた。
羽柴秀吉と柴田勝家が対決した「賤ヶ岳の戦」では、長年、北陸方面軍で「与力」として行動を共にした勝家と、若い頃から交友があり(妻同士も仲良しの)秀吉との間で去就に悩み、いったん勝家方として布陣しながら、合戦の途中で突然撤退し、秀吉軍の勝利を決定づけた。
その功績で、利家は盛政の旧領・加賀国のうち二郡を加増され拠点を金沢城に移した。
結局、大きな合戦で勝利したわけでもないのに、天下人になった秀吉に信頼され、加賀・越中・能登三国百万石の太守となり、豊臣政権末期には五大老の次席(筆頭は徳川家康)に成り上がった人。

金沢城は、その縄張りからして、必ずしも要害堅固な城ではない。
ほぼ天下が定まった豊臣政権期に大改修された城で、壁面に平瓦を並べて貼り、瓦の目地(継ぎ目)に漆喰を蒲鉾形に盛り上げた海鼠(なまこ)壁、屋根には豪雪対策の白い鉛瓦を葺いた外観、櫓1層目や塀の唐破風や入母屋破風の出窓などは優美で、戦国時代の城の実戦的で武骨な雰囲気は薄い。
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↑ 鶴の丸の堀と塀。

石川門から入城。
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↑ 桝形と家猫さん。
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↑ 二の丸の五十間長屋と菱櫓(右端)。
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↑ 鶴の丸、後ろの森は本丸。
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↑ 橋爪門で。
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↑ 本丸下の空堀。さすがにここは堅固。
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↑ 本丸への道。高さの差はあまりない。
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↑ 本丸・三十間長屋(国指定重要文化財)。
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↑ 本丸・戌亥櫓跡から二の丸を望む。 
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↑ 本丸西側・いもり坂の石垣。
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↑ 同上
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↑ 玉泉院庭園(上から)
玉泉院(永姫、1574~1623年)は、織田信長の四女で、加賀藩初代前田利長(利家の嫡子)の正室。
晩年をここで過ごした。
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↑ 同(下から)。まだ一部、復元整備中。

お城を時計回りに3分の1周して、尾張町方面へ。

(続く)

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