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電気ショック療法による同性愛の「矯正治療」 [現代の性(同性愛・L/G/B/T)]

5月7日(火)

ちょっと長い抜粋になるけど、大事なことなので。

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2010年、私は朝日新聞の記者とともに岐阜市柳ケ瀬にあった「シーラカンス」という酒場を訪れ、店主の圭子ママにお話をうかがった(「ニッポン人脈記:男と女の間には(2)」朝日新聞夕刊2010年9月7日、渡辺周記者)。

圭子さんは昭和15年(1940)北海道札幌市の生まれ、1960年代「性転換ダンサー、ゴールデン圭子」として全国各地の舞台に立った方だ。高校2年、16歳の時(1956年頃)、体操部の先輩(男子)との性行為を親に見つかり、某大学病院に連れていかれ「同性愛」と診断される。そして、ある私立病院に強制入院になり「同性愛治療」のために、毎夜、電気ショック療法が施された。「バチッ」という電撃とともに意識を失い、翌朝、目が覚めると記憶の一部が欠落しているという日々が2カ月間も続いた。「このままでは本当に頭が壊れてしまう」と思った圭子さんは、医師に「看護婦さんが好きになりました」と嘘をつき、「病状改善」ということで一時帰宅を許されると、すぐさま家出する。それが長い放浪生活の始まりだった。ちなみに、家出の後、匿ってもらった札幌のゲイバー「ベラミ」で釧路から家出してきた2つ下の少年と同僚になる。それが後のカルーセル麻紀さんだった。

「あの精神病院だけは、今でも許せない!」
ずっと穏やかに、時に笑いをまじえながら語っていた圭子さんの目に、その時だけは怒りの炎が燃えていたのが印象的だった。圭子さんは、残念ながら先年亡くなったが、この怒りの言葉を、私は圭子さんの後輩として、現代の精神科の先生たちに伝えなければならない。

電気ショック療法は、当時の精神科医療では、当たり前の治療だった。しかし、「同性愛治療」にまったく効果がなかっただけでなく、16歳の少年の心を傷つけ、比較的恵まれた家庭に育った少年の人生を大きく変えてしまった。その心の傷は半世紀の時が経っても癒えない深いものだった。

なにも、個々の精神科医に「謝れ」と言っているわけではない。しかし、同性愛者や性別越境者に対する精神医学の加害の歴史は、やはりしっかり認識していただきたい。それが、同じようなことが二度と繰り返されないために必要なことだから。

三橋順子「性別越境・同性間性愛文化の普遍性」
(『精神科治療学』31巻8号 特集「LGBTを正しく理解する-精神科臨床において適切に対応するためにー」星和書店、2016年)

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