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訃報・追悼 ブログトップ
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8月3日(金)義父の葬儀 [訃報・追悼]

8月3日(金)  晴れ  東京  35.4度  湿度67%(15時)

猛暑の中、義父の葬儀(家族葬)。

ウチ(中原区)は津田山の川崎北部斎苑が近いのだけど、川崎市北部は、火葬需要が多く、ともかく混む。
今回もスケジュールを確認したら「5日になります」とのこと。
30日夕の逝去だから、それだと中5日になる。
義母の時も中5日で、ずいぶん待たされた気がした。

で、「川崎南部斎苑(川崎区夜光=埋立地)はどうでしょうか?」と、家猫さんを通じて質問したら、「それなら3日になります」とのこと。

で、今日(3日)にした。

葬祭場は蒲田(東京都大田区)。
蒲田から川崎の埋め立て地の火葬場に向かうルートは、環状八号線を羽田方面に向かい、大鳥居で産業道路に入り、大師橋を渡った。

家猫さんが大学2年まで義父一家は、長らく羽田の方(萩中)に住んでいたので、頼んだわけでもないのに、霊柩車が義父の所縁の地を通ることになり、とても良かった。

という訳で、無事に送ることができた。

今日の義父の葬儀でわかったこと。

完全無宗教でやっているはずなのに、白の手甲脚絆に頭陀袋&白木の杖の死装束で、手には数珠を持たせ、頭陀袋には「三途の川の渡し賃」の六文銭(のコピー)を入れる。

これって、どう考えても仏教の地獄観に基づく習俗ではないだろうか?

それと、出棺の時、棺を運ぶのは男性だけ。
(ウチは息子だけ)
女性は最初から別の立ち位置に案内される。

これも、伝統的な葬送習俗といえばそうだけど、今の時代(21世紀)でここまではっきり男女の役割(Gender Role)を固定されると、やっぱり「なんだかなぁ」と思ってしまう。


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枕団子 [訃報・追悼]

7月31日(火)
IMG_3028.JPG
義父への感謝の気持ちを込めて「枕団子」を作る。
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義父のこと [訃報・追悼]

7月30日(月)

今夕、94歳で亡くなった義父は、戦争末期の徴兵で、陸軍歩兵第21連隊(主力が南方に派遣された留守部隊)に編入され、島根県浜田市にいた。

1945年8月初、部隊の半分が広島市に移動。
そして、8月6日に投下された原子爆弾で大きな被害を受けた。

幸いにも、義父は浜田に残存した中隊に属していて、8月15日、無事に終戦を迎えることができた。

もし、広島に移動した中隊に属していたら、原爆で命を失っていた可能性が高い。

そうなっていたら、結婚して一人娘(家猫さん)が生まれることはなく、私は生涯のパートナーに出会うことはなかった。

人の生死は、けっこう偶然に左右される。
人の出会いは、いくつもの偶然が重なった結果なのだ。
それを「縁(えにし)」と言う。

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義父、逝去。93歳 [訃報・追悼]

7月30日(月)

7月30日、16時30分頃、義父、逝去。93歳。

昨秋頃から咳がひどくなり、4月に肺癌の診断、その後の精密検査で小脳への転移が判明。

年齢も考えて、治療はしなかった。

夏は越せない、おそらく8月上旬、長く持っても義母の命日の8月20日頃と思っていたが、少し早かった。

でも、この10日ほどは、痛みがひどくて(肋骨に転移していたようだ)かわいそうだったので、苦しむ期間が少しは短く済んだと思えば、よかったのかもしれない。
看取りの期間(約3週間)があり、家族それぞれ覚悟ができていた。

最期は眠った状態で逝ったようで、安らかな顔だった。

長い間、お疲れさまでした。
そして、いろいろ、ありがとうございました

これで、実母、実父、義母、義父の四親を無事に見送ることができた。
しかも全員、入院させることなく、自宅で送れた。
今時、ちょっと珍しいかも。

安堵すると同時に、次は自分の番なのだと思う。


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歌手の西城秀樹さん、逝去(63歳 [訃報・追悼]

5月17日(木)

歌手の西城秀樹さん、逝去(63歳)。
同世代・同年齢(1955年生)なのでショック(合掌)。
「ヤングマン」(YMCA)の元気なイメージと違って、40代後半から何度も脳梗塞を発症するなど、以前から多病だったからなぁ。

急性心不全という死因だが、心筋梗塞の可能性が強いと思う。
血栓・梗塞が起きやすい状態だったのだろう。
それが先天的(遺伝的)な体質なのか、生活習慣に由来する後天的なものなのか、わからないが・・・。

西城秀樹の逝去で「新御三家」の一角が崩れたけど、元祖「御三家」は健在。
やっぱり、私の世代は、上の世代のように長生きできないのだろうな。

「御三家」
橋 幸夫 1943年5月3日生(75歳)
舟木一夫 1944年12月12日 生(73歳)
西郷輝彦 1947年2月5日 生(71歳)

「新御三家」
西城秀樹 1955年4月13日(63歳)逝去
野口五郎 1956年2月23日(62歳)
郷ひろみ 1955年10月18日(62歳)

「たのきんトリオ」
田原俊彦 1961年2月28日生(57歳)
近藤真彦 1964年7月19日生(53歳)
野村義男 1964年10月26日生(53歳)
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俳人の金子兜太さん、逝去 [訃報・追悼]

2月21日(水)

俳人で文化功労者の金子兜太さん、逝去。

高校の大先輩。
亡母の知人。
その縁もあって一度だけ俳句の添削指導をしていただいたことがある。
98歳は大往生だと思う(合掌)
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金子兜太さん死去=現代俳句の旗手、文化功労者―98歳

俳人で文化功労者の金子兜太(かねこ・とうた)さんが20日午後11時47分、急性呼吸促迫症候群のため、埼玉県熊谷市の病院で死去した。98歳だった。

先鋭かつ骨太な作風で戦後の現代俳句をリードし、豪放な発言と人柄でも人気を呼んだ俳人で文化功労者の金子兜太(かねこ・とうた)さんが20日午後11時47分、急性呼吸促迫症候群のため、埼玉県熊谷市の病院で死去した。

98歳だった。葬儀は近親者で営む。喪主は長男真土(まつち)さん。

埼玉県小川町生まれ。同皆野町に育った。父の影響で作句を始め、学生時代から俳誌「寒雷」などに投句、加藤楸邨に師事した。

1943年東京帝国大を繰り上げ卒業し日本銀行入行後、海軍に任官。トラック諸島(現チューク諸島)で餓死者などが相次ぐ中、終戦を迎えた。46年帰国。日銀に復職する一方、作句活動に力を入れ、時々の社会問題を積極的に詠み込む「社会性俳句」の旗手として、56年現代俳句協会賞を受賞した。

季語や五七五の形式にとらわれず、先鋭な隠喩表現を重視する「造型俳句論」を提唱。「彎(わん)曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン」に代表される「前衛俳句」の第一人者として活躍し、62年に俳誌「海程」を創刊。85年には自ら主宰となり、写生重視、花鳥諷詠を旨とする伝統派に鋭く対抗した。

やがて小林一茶らの研究を通じ、作風も自らの産土(うぶすな)秩父の風土や、さまざまな命との交感の思いを濃厚に打ち出すようになり、「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」「おおかみに螢が一つ付いていた」などの作で話題を呼んだ。83年から現代俳句協会会長、2000年から名誉会長を務め、俳句の大衆化にも貢献した。

豪放で野趣に富んだ人柄の魅力から90歳を過ぎても作句、対談などで幅広く活躍。15~17年には中日新聞などの紙上で作家のいとうせいこうさんらと「平和の俳句」選者も務めた。

句集に「少年」「金子兜太句集」「遊牧集」「両神」「日常」、著書に「今日の俳句」「荒凡夫(あらぼんぷ) 一茶」など。05年より日本芸術院会員、08年文化功労者。

17年には主宰誌「海程」を自身が99歳となる今年9月で終刊する意向を表明していた。


「時事通信」2018年2月21日(水) 1:34配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180221-00000012-jij-soci


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矢矧章子さんの訃報 [訃報・追悼]

7月14日(金)

GID学会やgid.jp(東京)の集会で何度かお話した矢矧章子さんが3月18日、全身性骨癌のため亡くなられたとのこと(享年85歳)。

矢矧さんは性同一性障害の当事者で、79歳のときに家を出て、長年連れ添ったパートナーさん(女性)と離婚し、タイで性別適合手術(SRS)を受け、戸籍も女性に変更された。

私がお会したのは、その頃で、とくにSRSと戸籍の変更を済ませた後のうれしそうな様子が印象に残っている。

3年ほど前に前立腺癌が見つかり、治療に専念されていたのこと。
昨年の東京でのGID学会でお会いできなかったのは、そういう事情だったのか・・・。

癌が全身に転移し病状が悪化されてからは、元の家に戻り、最期は元パートナーさんに看取られて、旅立たれたとのこと。

ご冥福をお祈りいたします(合掌)。


お墓参り [訃報・追悼]

4月5日(水)

浅草を通過したので、思い立って、友人の墓に詣でる。
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↑ 西浅草・天嶽院の桜
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私「サスケ、久しぶり、なかなか来られなくて、ごめんよ」
サ「順子姐さん、わざわざ寄ってくださって、かたじけないす」
私「桜を見てるうちに思い出してね。サスケと最後に花見をしたのはいつだっけね」
サ「俺が逝って15年ですから・・・」
私「もうそんなになるんだ。ああ、思い出した。サスケが逝った年の春、『姐さん、今年の花見は行けなくて申し訳りあやせん』とわざわざ電話をかけてきたんだっけ」
サ「そうでした、ってことは、最後に花見をご一緒したのは16年前・・・」
私「そうだね。16年か・・・、歳をとるはずだ。サスケ、あんたはいいね、いつまでも48歳で。いつのまにか、あんたより1周り以上も年上になっちゃったよ」
サ「いえいえ、姐さん、まだまだおきれいです」
私「ありがと。お世辞でもそんなこと言ってくれるの、もうサスケだけだよ。じゃあ、また来るからね」
サ「ありがとうございやした。姐さんもお達者で」

サスケ (2).jpg
↑ CFL(Cross-dressing Freedom Line 服装の自由戦線)番頭・サスケ氏遺影(2002年11月20日逝去、享年48歳)

早瀬ゆうさんの訃報 [訃報・追悼]

11月17日(木)

愛知県一宮市の早瀬ゆうさんの訃報。
病状(糖尿病)が悪化しているのは察していたが、こんなに早くとは・・・。
私より少し下だから、まだ50代だと思う。
心からご冥福をお祈りします(合掌)。

1990年代後半に私が企画していた女装者の親睦旅行「Fake Lady Tour(FLT)」に何度も参加してくれた。
FLTを終えた後も、プライベートな旅行で何度かご一緒した。
温厚な人柄で、いつも仲間への気配りを忘れない人だった。

最初の出会いは、1997年3月の西伊豆・堂ヶ島温泉旅行(FLT4) だった。
三島駅の地下連絡路で「順子姐さんですよね」と声を掛けてくれたのを、今でも覚えている。
その頃から、もう糖尿病を患っていて、食事の前にはインシュリンの自家注射をしていた。
それでも、病気と上手に付き合っていた感じがあったのだが。

数日前に最後のFLTになった「明治村」旅行(FLT10)のスナップをアップしたが、この旅行をお世話くださったのが早瀬ゆうさんだった。
特に必然性もなく写真のアップを思い立ったのも、何かの知らせだったのかも。

毎年の年賀状に「またいっしょに旅行しましょう」と書いていたのに、とても残念だ。

ゆうちゃん、そのうち行きますから少し待っていてください。
「また、あの世で、いっしょに旅行しましょう」(涙)


新派最後の女形、(二世)英(はなぶさ)太郎、逝く [訃報・追悼]

11月13日(日)

新派最後の女形、(二世)英(はなぶさ)太郎さんが逝去。

(初世)英太郎(1885~1972年)の弟子で、師匠や花柳章太郎(1894~1965年)など新派の特徴であった女形の芸を現代に継承した。
これで、新派の女形芸は断絶。

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英太郎さん死去…新派の重鎮で唯一の女形

新派の重鎮で、劇団唯一の女形として活躍していた俳優の英太郎(はなぶさ・たろう、本名・大久保秋久)さんが11日午後11時、虚血性心不全のため、都内の自宅で死去していたことを13日、松竹が発表した。81歳だった。

1952年に新派の名女形として知られる初代の英太郎に弟子入り。「築地明石町」で初舞台を踏んだ。師匠が死去した後の73年5月、東京・新橋演舞場公演「假名屋小梅」の小梅で2代目を襲名。女優中心の劇団内において、確かな演技で存在感を見せていた。今年9月に新橋演舞場、大阪松竹座で行われ、劇団入りした元歌舞伎俳優の市川月乃助(47)が、2代目喜多村緑郎を襲名した「九月新派特別公演」の「深川年増」でおよしを演じたのが最後の舞台となった。

『スポーツ報知』2016年11月13日21時27分
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161113-OHT1T50152.html





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