So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン
訃報・追悼 ブログトップ
前の10件 | -

歌手の西城秀樹さん、逝去(63歳 [訃報・追悼]

5月17日(木)

歌手の西城秀樹さん、逝去(63歳)。
同世代・同年齢(1955年生)なのでショック(合掌)。
「ヤングマン」(YMCA)の元気なイメージと違って、40代後半から何度も脳梗塞を発症するなど、以前から多病だったからなぁ。

急性心不全という死因だが、心筋梗塞の可能性が強いと思う。
血栓・梗塞が起きやすい状態だったのだろう。
それが先天的(遺伝的)な体質なのか、生活習慣に由来する後天的なものなのか、わからないが・・・。

西城秀樹の逝去で「新御三家」の一角が崩れたけど、元祖「御三家」は健在。
やっぱり、私の世代は、上の世代のように長生きできないのだろうな。

「御三家」
橋 幸夫 1943年5月3日生(75歳)
舟木一夫 1944年12月12日 生(73歳)
西郷輝彦 1947年2月5日 生(71歳)

「新御三家」
西城秀樹 1955年4月13日(63歳)逝去
野口五郎 1956年2月23日(62歳)
郷ひろみ 1955年10月18日(62歳)

「たのきんトリオ」
田原俊彦 1961年2月28日生(57歳)
近藤真彦 1964年7月19日生(53歳)
野村義男 1964年10月26日生(53歳)
nice!(0)  コメント(0) 

俳人の金子兜太さん、逝去 [訃報・追悼]

2月21日(水)

俳人で文化功労者の金子兜太さん、逝去。

高校の大先輩。
亡母の知人。
その縁もあって一度だけ俳句の添削指導をしていただいたことがある。
98歳は大往生だと思う(合掌)
------------------------------------------------
金子兜太さん死去=現代俳句の旗手、文化功労者―98歳

俳人で文化功労者の金子兜太(かねこ・とうた)さんが20日午後11時47分、急性呼吸促迫症候群のため、埼玉県熊谷市の病院で死去した。98歳だった。

先鋭かつ骨太な作風で戦後の現代俳句をリードし、豪放な発言と人柄でも人気を呼んだ俳人で文化功労者の金子兜太(かねこ・とうた)さんが20日午後11時47分、急性呼吸促迫症候群のため、埼玉県熊谷市の病院で死去した。

98歳だった。葬儀は近親者で営む。喪主は長男真土(まつち)さん。

埼玉県小川町生まれ。同皆野町に育った。父の影響で作句を始め、学生時代から俳誌「寒雷」などに投句、加藤楸邨に師事した。

1943年東京帝国大を繰り上げ卒業し日本銀行入行後、海軍に任官。トラック諸島(現チューク諸島)で餓死者などが相次ぐ中、終戦を迎えた。46年帰国。日銀に復職する一方、作句活動に力を入れ、時々の社会問題を積極的に詠み込む「社会性俳句」の旗手として、56年現代俳句協会賞を受賞した。

季語や五七五の形式にとらわれず、先鋭な隠喩表現を重視する「造型俳句論」を提唱。「彎(わん)曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン」に代表される「前衛俳句」の第一人者として活躍し、62年に俳誌「海程」を創刊。85年には自ら主宰となり、写生重視、花鳥諷詠を旨とする伝統派に鋭く対抗した。

やがて小林一茶らの研究を通じ、作風も自らの産土(うぶすな)秩父の風土や、さまざまな命との交感の思いを濃厚に打ち出すようになり、「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」「おおかみに螢が一つ付いていた」などの作で話題を呼んだ。83年から現代俳句協会会長、2000年から名誉会長を務め、俳句の大衆化にも貢献した。

豪放で野趣に富んだ人柄の魅力から90歳を過ぎても作句、対談などで幅広く活躍。15~17年には中日新聞などの紙上で作家のいとうせいこうさんらと「平和の俳句」選者も務めた。

句集に「少年」「金子兜太句集」「遊牧集」「両神」「日常」、著書に「今日の俳句」「荒凡夫(あらぼんぷ) 一茶」など。05年より日本芸術院会員、08年文化功労者。

17年には主宰誌「海程」を自身が99歳となる今年9月で終刊する意向を表明していた。


「時事通信」2018年2月21日(水) 1:34配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180221-00000012-jij-soci


nice!(0)  コメント(0) 

矢矧章子さんの訃報 [訃報・追悼]

7月14日(金)

GID学会やgid.jp(東京)の集会で何度かお話した矢矧章子さんが3月18日、全身性骨癌のため亡くなられたとのこと(享年85歳)。

矢矧さんは性同一性障害の当事者で、79歳のときに家を出て、長年連れ添ったパートナーさん(女性)と離婚し、タイで性別適合手術(SRS)を受け、戸籍も女性に変更された。

私がお会したのは、その頃で、とくにSRSと戸籍の変更を済ませた後のうれしそうな様子が印象に残っている。

3年ほど前に前立腺癌が見つかり、治療に専念されていたのこと。
昨年の東京でのGID学会でお会いできなかったのは、そういう事情だったのか・・・。

癌が全身に転移し病状が悪化されてからは、元の家に戻り、最期は元パートナーさんに看取られて、旅立たれたとのこと。

ご冥福をお祈りいたします(合掌)。


お墓参り [訃報・追悼]

4月5日(水)

浅草を通過したので、思い立って、友人の墓に詣でる。
IMG_3553.JPG
↑ 西浅草・天嶽院の桜
IMG_3554.JPG
私「サスケ、久しぶり、なかなか来られなくて、ごめんよ」
サ「順子姐さん、わざわざ寄ってくださって、かたじけないす」
私「桜を見てるうちに思い出してね。サスケと最後に花見をしたのはいつだっけね」
サ「俺が逝って15年ですから・・・」
私「もうそんなになるんだ。ああ、思い出した。サスケが逝った年の春、『姐さん、今年の花見は行けなくて申し訳りあやせん』とわざわざ電話をかけてきたんだっけ」
サ「そうでした、ってことは、最後に花見をご一緒したのは16年前・・・」
私「そうだね。16年か・・・、歳をとるはずだ。サスケ、あんたはいいね、いつまでも48歳で。いつのまにか、あんたより1周り以上も年上になっちゃったよ」
サ「いえいえ、姐さん、まだまだおきれいです」
私「ありがと。お世辞でもそんなこと言ってくれるの、もうサスケだけだよ。じゃあ、また来るからね」
サ「ありがとうございやした。姐さんもお達者で」

サスケ (2).jpg
↑ CFL(Cross-dressing Freedom Line 服装の自由戦線)番頭・サスケ氏遺影(2002年11月20日逝去、享年48歳)

早瀬ゆうさんの訃報 [訃報・追悼]

11月17日(木)

愛知県一宮市の早瀬ゆうさんの訃報。
病状(糖尿病)が悪化しているのは察していたが、こんなに早くとは・・・。
私より少し下だから、まだ50代だと思う。
心からご冥福をお祈りします(合掌)。

1990年代後半に私が企画していた女装者の親睦旅行「Fake Lady Tour(FLT)」に何度も参加してくれた。
FLTを終えた後も、プライベートな旅行で何度かご一緒した。
温厚な人柄で、いつも仲間への気配りを忘れない人だった。

最初の出会いは、1997年3月の西伊豆・堂ヶ島温泉旅行(FLT4) だった。
三島駅の地下連絡路で「順子姐さんですよね」と声を掛けてくれたのを、今でも覚えている。
その頃から、もう糖尿病を患っていて、食事の前にはインシュリンの自家注射をしていた。
それでも、病気と上手に付き合っていた感じがあったのだが。

数日前に最後のFLTになった「明治村」旅行(FLT10)のスナップをアップしたが、この旅行をお世話くださったのが早瀬ゆうさんだった。
特に必然性もなく写真のアップを思い立ったのも、何かの知らせだったのかも。

毎年の年賀状に「またいっしょに旅行しましょう」と書いていたのに、とても残念だ。

ゆうちゃん、そのうち行きますから少し待っていてください。
「また、あの世で、いっしょに旅行しましょう」(涙)


新派最後の女形、(二世)英(はなぶさ)太郎、逝く [訃報・追悼]

11月13日(日)

新派最後の女形、(二世)英(はなぶさ)太郎さんが逝去。

(初世)英太郎(1885~1972年)の弟子で、師匠や花柳章太郎(1894~1965年)など新派の特徴であった女形の芸を現代に継承した。
これで、新派の女形芸は断絶。

----------------------------
英太郎さん死去…新派の重鎮で唯一の女形

新派の重鎮で、劇団唯一の女形として活躍していた俳優の英太郎(はなぶさ・たろう、本名・大久保秋久)さんが11日午後11時、虚血性心不全のため、都内の自宅で死去していたことを13日、松竹が発表した。81歳だった。

1952年に新派の名女形として知られる初代の英太郎に弟子入り。「築地明石町」で初舞台を踏んだ。師匠が死去した後の73年5月、東京・新橋演舞場公演「假名屋小梅」の小梅で2代目を襲名。女優中心の劇団内において、確かな演技で存在感を見せていた。今年9月に新橋演舞場、大阪松竹座で行われ、劇団入りした元歌舞伎俳優の市川月乃助(47)が、2代目喜多村緑郎を襲名した「九月新派特別公演」の「深川年増」でおよしを演じたのが最後の舞台となった。

『スポーツ報知』2016年11月13日21時27分
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161113-OHT1T50152.html





三笠宮崇仁親王殿下、ご逝去。100歳 [訃報・追悼]

10月27日(木)

三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下、ご逝去。100歳。

大正天皇第4親王。
昭和天皇の弟宮として陸軍に入り、南京の支那派遣軍総司令部に勤務した後、大本営参謀に転じる(最終軍歴は陸軍少佐)。
戦後は古代オリエント史を学ばれ、皇族としての公務の傍ら、東京女子大学などの講師を務めた。
歴史学者の立場から、紀元節(建国記念日)の復活に反対した。

100歳を超えるご長寿だったが、3人のご子息(寛仁親王、桂宮宜仁親王、高円宮憲仁親王)すべてに先立たれた人生、お辛いことも多かったと思う。

ラグビー元日本代表の平尾誠二さんの訃報 [訃報・追悼]

10月20日(木)

ラグビーの日本代表でスタンドオフ(SO)として長く活躍されたの平尾誠二さんの訃報に驚く。
まだ53歳、私よりかなり下だ。

熊谷高校の先輩だった宿沢広朗さん(2006年、56歳で逝去。心筋梗塞)にしろ、平尾さんにしろ、私がファンだったラガーマンは、なぜ早死にしてしまうのだろう。

身体を鍛えたスポーツマンが、必ずしも「健康」ではないということ。
過度に身体を鍛えることは、身体にとって不自然なことなのかもしれない。
哀しいな。

------------------------------
平尾誠二さん死去 53歳、ラグビー日本代表の司令塔

ラグビー日本代表の司令塔として活躍し、代表監督も務めた平尾誠二(ひらお・せいじ)さんが20日、京都市内の病院で死去した。53歳だった。神戸製鋼関係者が明らかにした。

平尾さんは1963年生まれ、京都市出身。京都・伏見工高では山口良治監督のもとで3年時に全国高校ラグビー大会で初優勝を果たした。同志社大に進んでからは、当時史上最年少の19歳4カ月で日本代表に選ばれ、史上初の大学選手権3連覇も達成した。

神戸製鋼ラグビー部では主将も務め、88年度から日本選手権で7連覇し、黄金期を築いた。日本代表ではワールドカップ(W杯)に3回出場し、91年には日本の初勝利にも貢献した。現役時代は主にSO(スタンドオフ)としてゲームを組み立てる役割を担った。99年のW杯では日本代表監督も務めた。

98年に現役引退後は神戸製鋼の総監督なども務め、近年はゼネラルマネジャーとしてチームの強化や編成に携わっていた。

『朝日新聞』2016年10月20日13時30分
http://www.asahi.com/articles/ASJBN452SJBNPTQP00F.html?iref=comtop_8_07

タイ王国のプミポン国王陛下のご逝去、88歳 [訃報・追悼]

10月12日(木)

タイ王国のプミポン国王(ラーマ9世)陛下のご逝去を心からお悔やみ申し上げます(合掌)。

タイは、いちばんたくさん(4回)訪れた国。
タイに一度でも行った人はわかると思うが、国王さまと王妃さまの肖像写真が、ほんとうにあちこちに飾ってある。
それだけタイの人々の敬愛を集めていたわけで、国民の悲歎はとても大きいと思う。

18歳でチャクリー王朝第9代国王として即位、貧しい農業国だったタイを70年の治世の間に、中進国に導いた。
さらに、どれだけ政情が混乱しても、最後は偉大なカリスマである国王陛下の意向で収まっていた国柄。
新国王にそれだけのカリスマ性はなく、今後が不安視される。


日本中世史・脇田晴子先生の訃報 [訃報・追悼]

9月28日(水)

脇田晴子先生にお目にかかったのは1度だけだったと思うが、日本中世における性別越境者と芸能の関係など、たくさんの学恩をいただいた。

ご冥福をお祈りいたします(合掌)。
---------------------------------------
脇田晴子さん死去 女性史研究、文化勲章

中世の都市や女性史、芸能史の研究で文化勲章を受章した歴史学者で、滋賀県立大学名誉教授の脇田晴子(わきた・はるこ)さんが27日、死去した。82歳だった。

1934年、兵庫県西宮市生まれ。京都大大学院博士課程を経て京都橘女子大(現・京都橘大)、大阪外国語大(現・大阪大外国語学部)などで教鞭(きょうべん)をとり、石川県立歴史博物館長も務めた。夫は歴史学者で、大阪大名誉教授の修(おさむ)さん。

商業史研究を通し、それまで暗く停滞した時代と考えられていた中世が、実は経済活動の活発な時代だったことを論証。その中で大きな役割を果たしたのが、夫とともに家業を切り盛りしていた女性たちであったことも明らかにした。芸能者や遊女ら、差別を受けた人々にも光を当てた。

女性歴史研究の先駆者として多くの後進を育て、「女性史学賞」の創設に尽力。芸能史の研究でも多くの実績を残した。石見銀山(島根県)の歴史文献調査団長も務め、世界遺産入りに大きな役割を果たした。05年に文化功労者、10年に文化勲章受章。主な著書に「能楽からみた中世」「日本中世都市論」など。

『朝日新聞』2016年9月28日16時30分
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12582019.html?rm=150


前の10件 | - 訃報・追悼 ブログトップ