So-net無料ブログ作成
性社会史研究(遊廓・赤線・街娼) ブログトップ
前の10件 | -

「2019江東区男女共同参画フォーラム」のご案内 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

5月20日(月)

来月の23日(日)の午後、「江東の女性史研究会」の皆さんのお世話いただき、東京都江東区の男女共同参画フォーラムで「洲崎・亀戸の性文化」というお話をします。

まだ1カ月前ですが、すでにかなりの申し込みがあるようで、ご興味がおありの方は、お早めに申し込みください。
-------------------------------
2019江東区男女共同参画フォーラム

 洲崎・亀戸の性文化

【講師】三橋順子(明治大学非常勤講師)
【日時】6月23日(日)13時30分~15時30分
【会場】江東区男女共同参画推進センター(「パルシティ江東」内)
【定員】32名(申し込み先着順)
【申し込み】電話、窓口、ホームページで受付。
詳しくは下記をご覧ください。
http://genki365.net/gnkk22/pub/sheet.php?id=69389

IMG_7744 - コピー.JPG
nice!(0)  コメント(0) 

3月31日(日)現代風俗研究会・東京の会「風俗探訪」(第1回)浅草から新吉原へ [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

3月31日(日) 曇りのち晴れ  東京  16.3度  湿度52%(15時)

6時、起床。
8時10分、家を出る。

今日は「現代風俗研究会・東京の会」の「風俗探訪」の道案内。
昨年9月以降、右足の痛み(座骨神経痛)が改善したのでお引き受けたのだけど、3月半ばに痛みが再発、学会で座り続けたせいか、最終週にさらに悪化。
温泉に浸かっても、良くならない。
かなり辛いことになりそうだが、引き受けてしまったのだから仕方がない。
あとは、気力で頑張るしかない。

10時、浅草・吾妻橋の西詰を出発。
江戸時代のルートで新吉原へ。
IMG_6417.JPG
↑ 午前中、雲が低く、スカイツリーも最上部が雲の中。

桜咲く大川(隅田川)端を今戸まで歩く。
IMG_6416.JPG

IMG_6419.JPG
↑ 今戸橋(跡)。右奥の桜並木が山谷堀(跡)、左の丘が待乳山。

待乳山聖天さんにお詣り。
江戸庶民の信仰を集めた歓喜天(性神)信仰の中心地。
巾着は女性器の、交差する二股大根はの象徴。
IMG_6424 (2).JPGIMG_6423 - コピー.JPG

奉納用の大根。
IMG_6422 - コピー.JPG
この日も若い女性が大根を持って参拝していた。

IMG_6420 - コピー.JPG
↑ 拝殿の蟇股にも。
IMG_6425.JPG
↑ 石段の擁壁にも
56478636_1934442400018012_3455440870558400512_o.jpg
↑ 実は「現代風俗研究会・東京の会」の最初の集会がもたれた場所とのことなので、記念写真。

IMG_6421 - コピー.JPG

山谷堀に沿って大門を目指す。
IMG_6416.JPG
↑ 山谷堀跡(公園)の桜

所々解説しながら、予定通り約2時間で、新吉原大門(跡)に到達。
55869262_1934442790017973_4658633021744742400_o.jpg
↑ 「見返り柳」で説明。

12時、予約しておいた「土手の中江」で、桜肉鍋のランチ。
東京大空襲で、奇跡的に焼けなかった3軒。
IMG_6440 (2).JPG
手前が「土手道(日本堤)」。
IMG_6430.JPG
IMG_6431.JPG

付きだし。
IMG_6432.JPG
馬刺し。さすがによいお肉で、おいしい。

桜肉鍋。
IMG_6436.JPG
基本、牛肉のすき焼きと変わりない。
56415673_1934462553349330_6705318245483675648_o.jpg

隣の天婦羅の伊勢屋は、1時間半待ちの大行列。
IMG_6439.JPG

13時、再出発。
まず鉄漿どぶ(跡)の遊廓本専門書店の「カストリ書房」に立ち寄る。
IMG_9047.JPG
↑ 2018年2月撮影

ナカ(廓内)にわずかに残る「赤線」建物、吉原神社、弁天池跡などを見学。

ハート型の壁面装飾がある建物(「赤線」時代の「ゆうらく」という店)。
IMG_3542.JPG

IMG_6442.JPG
↑ 吉原弁天池(跡)の桜

京町二丁目のアーケード跡から廓外に出て、近代のルートで浅草に向かう。
千束通りからひさご通りを経て浅草・凌雲閣(十二階)跡(2018年2月の発掘地点)を見る。
IMG_6447 - コピー.JPG
↑ 発掘地点の焼肉屋さんの壁面に凌雲閣の絵が描かれていて、すぐに場所がわかる。
IMG_6445 (2).JPG
↑ 図面
IMG_6444 (2).JPG
↑ 最上階の展望台からは海が見えた。
IMG_6446.JPG
↑ 発掘された煉瓦も再利用。
台東区、良い仕事をしている。

西参道から浅草寺へ。
IMG_6448.JPG
15時、三社神社に到着。
ほぼ予定通り2時間。
55916161_1934473506681568_6027779208850178048_n.jpg
桜を眺めながらの2時間+昼食休憩1時間+2時間で、計4時間の行程。
最後の30分ほど、右足と左腰の痛み(座骨神経痛)が限界だったが、なんとか気合で頑張った。

遠来の方(神戸)をはじめとして14人の参加者の方に喜んでいただけたようで、うれしかった。

自宅最寄り駅から家までの帰路、途中で歩けなくなる。
通常なら17~18分の道を、40分近くかかって、なんとか家にたどり着く。


nice!(0)  コメント(0) 

5日(火)発売の『週刊朝日』は「遊廓」を特集 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

3月4日(月)

5日(火)発売の『週刊朝日』が、巻末カラーグラビア(5頁)で「遊廓」を特集します。

特集の扉頁は、なんと私。

一般週刊誌では22年ぶりのカラーグラビア、そして(たぶん)生涯最期のカラーグラビアです。

お求めいただけたら、うれしいです。



nice!(0)  コメント(0) 

仕事始め [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

1月3日(木)

夜中、仕事始め。

1月6日(日)の「性欲研究会」(京都)で配布予定のレジュメ「メイキング オブ『新宿「性なる街」の歴史地理』」をまとめる。

就寝、3時半。


nice!(0)  コメント(0) 

「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書、5枚セット」 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

11月21日(水)

久しぶりに、大正3年(1914)の新吉原遊廓の「花魁道中」の絵葉書を入手。

大正3年4月に新吉原遊廓で行われた「花魁道中」は、明治44年(1911)4月の「吉原大火」で灰燼に帰した新吉原遊廓が復興を世間に印象づけるために企画された一大イベント。

同年の大正天皇御大典(即位礼)を記念する「東京大正博覧会」(大正3年3月20日開会:東京府主催、主会場:上野公園)に合わせて(便乗して)、明治中期に途切れていた「花魁道中」を復活し、多くの見物人を集めた。

今回入手したのは5枚で、花魁道中が3枚、新吉原の建物が2枚。
撮影・発行は、新吉原の「加藤写真館」。
残念ながらタトウ(袋)はないが、葉書の形態などから、おそらく5枚セットで販売されたものと思われる。
保存状態はとても良好。
しかも、とても安く落札(相場の半分以下)できた。

(1)「稲本楼」若妙花魁の道中一行。
新吉原花魁道中(稲本楼・若妙)6 - コピー.jpg
右から、錫杖2人、楼名の提灯持ち2人、花魁の名前の大提灯持ち、禿(年長)、肩貸し、若妙花魁、禿(年少)、傘持ち、遣り手、番頭新造?、客。

(2)「大文字楼」歌川花魁と禿の後ろ姿。
新吉原花魁道中(大文字楼・歌川後姿)3-2 - コピー.jpg
左右反転のカラー(着色)写真を以前に入手しているが、おそらく、今回のモノクロ写真の方が正しい。
理由は、立ち姿の花魁は、前で大きく結んだ帯を右手で抱くのが一般的で、それにともない、打掛の右裾が少し上がる。
そう考えると、モノクロ画像の方が自然。

(3)新吉原のメインストリート仲ノ町通り、満開の桜の下を行く花魁道中を見物する大群衆。
新吉原花魁道中(沿道の賑わい) - コピー.jpg
見物人に埋もれて花魁が見えない(傘だけ)。
沿道の建物の2階も、鈴なりの見物人。
2階で見物しているのは女性が圧倒的に多い。
ここで働いている人たちだろうか?
(客寄せ)イベントとして大成功だったことがわかる写真。

(4)新吉原・仲ノ町通り。
新吉原遊廓・仲ノ町(大正初期) - コピー.jpg
復興イベントに備えて飾られた建物群。
右端は大門の門柱。

(5)新吉原・角海老楼
新吉原遊廓・角海老楼(大正初期) - コピー.jpg
花魁道中を出した3つの老舗の1つ。
焼失前はモダンな時計塔がある新吉原のシンボル的な建物だったが、大正復興の建物は三階楼だが装飾性に乏しいシンプルな様式になった。

【関係記事索引】
2015年2月11日「大正復興「新吉原遊廓・花魁道中」絵葉書14枚を落札」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-02-12-2
2015年5月3日「大正3年(1914)新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書から」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-05-03-3
2015年6月13日「大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-06-13-3
2015年10月11日「遺伝学者 R. B. Goldschmidtの自叙伝に大正3年新吉原遊廓「花魁道中」の写真」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12-3
2016年1月18日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書2枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-01-18-2 
2016年2月8日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書さらに2枚」 
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-02-08
2016年5月23日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書、注記無しの1枚」
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-05-23-3
2016年8月27日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」彩色絵葉書、注記無しの3枚の考証」
https://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-27
2017年5月26日「新収集・大正3年、新吉原遊廓「花魁道中」絵葉書、大文字楼・大巻花魁」
https://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-26-1
2017年7月4日「新吉原遊廓「角海老楼」白縫花魁の画像」
https://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2017-07-05-1



nice!(0)  コメント(0) 

私の「赤線」研究の原点 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

7月16日(月・祝)

昔(17年前)の写真を発掘。
010128(洲崎)  (1) - コピー.jpg
2001年1月28日、「性慾研究会・東京合宿」の旧「赤線」洲崎(江東区東陽町)巡見の時、旧「特殊飲食店」(実態は娼館)「大賀」の前で。

思えば、この大雪の翌日の洲崎巡見から、私の「赤線」研究は始まった。
それから17年、ようやく10月に「赤線」の本(朝日選書)を刊行できる予定。

ちなみに、この「大賀」の建物も今はもうない。
「赤線」洲崎(大賀).jpg
↑「赤線」時代の「大賀」(岡崎 柾男『洲崎遊廓物語』青蛙房、1988年)
店の前で女給さんが客待ちしている。
おそらく1950年前後の撮影。
nice!(0)  コメント(0) 

警視庁防犯部「新しい売春形態とその捜査」 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

6月20日(水)

最近、古書店(股旅堂)の目録で落札・入手した資料(とても高価だった)。
SCN_0057 - コピー.jpg
1958年2月、つまり「売春防止法」完全施行の1カ月前に、警視庁防犯部が作成した「新しい売春形態とその捜査」という「部外秘」の小冊子(16頁)。

東京都内の「赤線」は、「売春防止法」完全施行の1~2カ月前(1月末、もしくは2月末)に営業を止めた。
その時点で「モグリ売春」の捜査・摘発のために編成された特別部隊の幹部(中隊長)に回覧されたもの。

表紙に捺された部外秘の判子、隊長以下の決済印、中隊長たちの「回覧済」の月日記入と印鑑が生々しい。

「はじめに」では、売春防止法の全面実施後も「表面だけを糊塗して売春を継続しようとするものが多く出るのではないかと思われる」として、「最近までに取締面に現れた事犯からみて、予想される売春形態」を本文で次のように列挙している。

① 青線
② 旅館(ホテル)
③ カフェー・キャバレー等
④ 白線置屋(しもたやの売春宿)
⑤ ガイド・クラブ
⑥ 結婚相談所
⑦ パンマ
⑧ やとな
⑨ トルコ風呂。

この内、④は商家ではなく一般住宅(しもた屋)での売春行為。
⑤のガイド・クラブは「ステッキ・ガール」と呼ばれた同伴サービスを装った売春クラブ。
⑥は結婚相手の紹介を装った売春組織。
⑦は「パンパン・マッサージ」の略で、按摩を装った売春。
⑧は料理店、料亭などに派遣されて客を接待する女性で、中には売春をする者もいた。
⑨は「ソープランド」の旧称で、この時点で都内に50数軒あり、偽装転業の代表的な業種だった。

それぞれについて「捜査要領」を指示している。
警察は「売春防止法」完全施行後の状況をかなり正確に予想していたし、おおむねそのようになった。

nice!(1)  コメント(0) 

営業中(1936年)の「新宿遊廓」の航空写真 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

5月18日(金)

ついに発見!
(いまさら気づいたのだけど)
昭和戦前期の(営業中の)「新宿遊廓」(1922年春開業~1945年5月25日焼失)の全体を写した航空写真(1936年=昭和11年撮影)。
新宿2丁目(1936) (5) - コピー.jpg
中央に黒い部分があるロの字形の大型建物が密集しているエリアが「新宿遊廓」。
これは当時の遊廓建築が中央に中庭を抱き四辺に建物をめぐらす形式だったため、真上から撮影した航空写真だと、こう写る。

「新宿遊廓」の位置。
新宿2丁目(1936) (4) - コピー.jpg
北は靖国通り。
南は新宿通りの1本北の道路。
西は末広通り(当時は東海通り)の建物1軒分東側。
東は仲通りの建物1軒分西側。
大門通りが現在の要通りに相当。
北西の角に、娼妓の性病定期検査をする新宿病院があった(白っぽい建物)。

ちなみに、現在の御苑大通りは、戦後の1949年の開通なので影も形もない。
仲通りが靖国通りに出る直前のY字路は、少なくとも遊廓設置の時からあった。
現在、2丁目「ゲイタウン」の路地の多くが、新宿遊廓の廓内道路だったことも判る。
nice!(1)  コメント(0) 

「性欲研究会」の報告レジュメを作る [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

5月9日(水)

夜中、日曜日の「性欲研究会」の報告レジュメを作る。
題して「東京・「赤線」亀戸の形成」。
RAAの慰安施設(黒人兵士専用)から「赤線」への移行を、航空写真と火災保険特殊地図から分析。

就寝、5時半。
nice!(0)  コメント(0) 

1945年5月17日の新宿 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

3月10日(日)

1945年(昭和20)5月17日、アメリカ軍が撮影した新宿の空中写真。
19450517(米軍) (2).jpg
黒っぽく見える地域は焼け残っていて、白っぽく見える地域はすでに焼けている。
四谷方面は、4月13日の空襲で焼けていて、新宿2丁目と1丁目の境界の道路、新宿通りで焼け止まったことがわかる。
右上の(現在の)歌舞伎町方面も焼けているように見える。
靖国通りの北側は、番衆町(現:新宿5丁目)は焼け残っているが、東京医大あたりから四谷寄りの富久町は焼けている。

「新宿遊廓」(新宿2丁目:下図で赤で囲った部分)はまだ焼けていない。
遊廓の西側と南側に白っぽい所が見えるのは、延焼防止目的の戦時強制疎開か。
19450517(米軍)2.jpg

しかし、焼け残っているエリアも、8日後の5月25日の空襲(東京山の手大空襲)で灰燼に帰す。

それにしても、これだけ精密な空中写真を、やすやすと敵機に撮影されている(B29により高高度偵察飛行)のだから、敗戦はもう必然だった。
nice!(0)  コメント(0) 
前の10件 | - 性社会史研究(遊廓・赤線・街娼) ブログトップ