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性社会史研究(遊廓・赤線・街娼) ブログトップ
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私の「赤線」研究の原点 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

7月16日(月・祝)

昔(17年前)の写真を発掘。
010128(洲崎)  (1) - コピー.jpg
2001年1月28日、「性慾研究会・東京合宿」の旧「赤線」洲崎(江東区東陽町)巡見の時、旧「特殊飲食店」(実態は娼館)「大賀」の前で。

思えば、この大雪の翌日の洲崎巡見から、私の「赤線」研究は始まった。
それから17年、ようやく10月に「赤線」の本(朝日選書)を刊行できる予定。

ちなみに、この「大賀」の建物も今はもうない。
「赤線」洲崎(大賀).jpg
↑「赤線」時代の「大賀」(岡崎 柾男『洲崎遊廓物語』青蛙房、1988年)
店の前で女給さんが客待ちしている。
おそらく1950年前後の撮影。
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警視庁防犯部「新しい売春形態とその捜査」 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

6月20日(水)

最近、古書店(股旅堂)の目録で落札・入手した資料(とても高価だった)。
SCN_0057 - コピー.jpg
1958年2月、つまり「売春防止法」完全施行の1カ月前に、警視庁防犯部が作成した「新しい売春形態とその捜査」という「部外秘」の小冊子(16頁)。

東京都内の「赤線」は、「売春防止法」完全施行の1~2カ月前(1月末、もしくは2月末)に営業を止めた。
その時点で「モグリ売春」の捜査・摘発のために編成された特別部隊の幹部(中隊長)に回覧されたもの。

表紙に捺された部外秘の判子、隊長以下の決済印、中隊長たちの「回覧済」の月日記入と印鑑が生々しい。

「はじめに」では、売春防止法の全面実施後も「表面だけを糊塗して売春を継続しようとするものが多く出るのではないかと思われる」として、「最近までに取締面に現れた事犯からみて、予想される売春形態」を本文で次のように列挙している。

① 青線
② 旅館(ホテル)
③ カフェー・キャバレー等
④ 白線置屋(しもたやの売春宿)
⑤ ガイド・クラブ
⑥ 結婚相談所
⑦ パンマ
⑧ やとな
⑨ トルコ風呂。

この内、④は商家ではなく一般住宅(しもた屋)での売春行為。
⑤ガイド・クラブは「ステッキ・ガール」と呼ばれた同伴サービスを装った売春クラブ。
⑥は結婚相手の紹介を装った売春組織。
⑦は「パンパン・マッサージ」の略で、按摩を装った売春。
⑧は料理店、料亭などに派遣されて客を接待する女性で、中には売春をする者もいた。
⑨は「ソープランド」の旧称で、この時点で都内に50数軒あり、偽装転業の代表的な業種だった。

それぞれについて「捜査要領」を指示している。
警察は「売春防止法」完全施行後の状況をかなり正確に予想していたし、おおむねそのようになった。

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営業中(1936年)の「新宿遊廓」の航空写真 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

5月18日(金)

ついに発見!
(いまさら気づいたのだけど)
昭和戦前期の(営業中の)「新宿遊廓」(1922年春開業~1945年5月25日焼失)の全体を写した航空写真(1936年=昭和11年撮影)。
新宿2丁目(1936) (5) - コピー.jpg
中央に黒い部分があるロの字形の大型建物が密集しているエリアが「新宿遊廓」。
これは当時の遊廓建築が中央に中庭を抱き四辺に建物をめぐらす形式だったため、真上から撮影した航空写真だと、こう写る。

「新宿遊廓」の位置。
新宿2丁目(1936) (4) - コピー.jpg
北は靖国通り。
南は新宿通りの1本北の道路。
西は末広通り(当時は東海通り)の建物1軒分東側。
東は仲通りの建物1軒分西側。
大門通りが現在の要通りに相当。
北西の角に、娼妓の性病定期検査をする新宿病院があった(白っぽい建物)。

ちなみに、現在の御苑大通りは、戦後の1949年の開通なので影も形もない。
仲通りが靖国通りに出る直前のY字路は、少なくとも遊廓設置の時からあった。
現在、2丁目「ゲイタウン」の路地の多くが、新宿遊廓の廓内道路だったことも判る。
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「性欲研究会」の報告レジュメを作る [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

5月9日(水)

夜中、日曜日の「性欲研究会」の報告レジュメを作る。
題して「東京・「赤線」亀戸の形成」。
RAAの慰安施設(黒人兵士専用)から「赤線」への移行を、航空写真と火災保険特殊地図から分析。

就寝、5時半。
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1945年5月17日の新宿 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

3月10日(日)

1945年(昭和20)5月17日、アメリカ軍が撮影した新宿の空中写真。
19450517(米軍) (2).jpg
黒っぽく見える地域は焼け残っていて、白っぽく見える地域はすでに焼けている。
四谷方面は、4月13日の空襲で焼けていて、新宿2丁目と1丁目の境界の道路、新宿通りで焼け止まったことがわかる。
右上の(現在の)歌舞伎町方面も焼けているように見える。
靖国通りの北側は、番衆町(現:新宿5丁目)は焼け残っているが、東京医大あたりから四谷寄りの富久町は焼けている。

「新宿遊廓」(新宿2丁目:下図で赤で囲った部分)はまだ焼けていない。
遊廓の西側と南側に白っぽい所が見えるのは、延焼防止目的の戦時強制疎開か。
19450517(米軍)2.jpg

しかし、焼け残っているエリアも、8日後の5月25日の空襲(東京山の手大空襲)で灰燼に帰す。

それにしても、これだけ精密な空中写真を、やすやすと敵機に撮影されている(B29により高高度偵察飛行)のだから、敗戦はもう必然だった。
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新小岩へ [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

3月2日(金)
(続き)
思い立って、錦糸町駅から総武線を逆方向に乗り、新小岩駅へ。
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新小岩駅の南にあった「赤線」跡を訪ねる。
6-16 「赤線」新小岩・丸健(内外タイムス19531127).jpg
在りし日の「赤線」新小岩。「丸健(まるけん)」の通称で親しまれた。(『内外タイムス』1953年11月27日号)
当時の建物はもう1軒も残っていないのはわかっていたが、駅からの距離を実感したいため。

「ルミエール」という商店街をまっすぐ歩く。
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道はわかりやすい。
長いアーケード抜けて・・・ここらへんかな。
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足が痛い現在の私(でも、人並みのスピード)で徒歩10分弱という感じ。

駅前の「BECK'Sコーヒー」で休憩。
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それにしても、錦糸町も新小岩も喫茶店が少ない街だな。

帰路、総武ー横須賀線でまっすぐ武蔵小杉駅へ、と思っていたが、横須賀線(京浜東北線、東海道線も)が沿線火災で不通で東京駅止りになっていた。
次善のルートとして東京駅まで行って山手線で目黒駅に出て東急目黒線でと思ったが、東京駅のホームが詰まっていて、乗った電車が馬喰駅で動かなくなってしまう。
頭の中に路線図を浮かべて、JR総武線馬喰駅から都営地下鉄新宿線馬喰横山駅に移動、神保町で都営三田線に乗換て東急目黒線に入るというルートを選択。

19時、やっと帰宅。

夕食は、常夜鍋(豚肉とほうれん草のしゃぶしゃぶ)。
180302-4 (1).JPG
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少し、原稿の手直し。
お風呂に入って温まる。

就寝、2時。


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新吉原「カストリ書房」へ [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

2月20日(火) 
(続き)
JR総武線(浅草橋駅乗換)都営地下鉄浅草線で浅草へ移動。
打ち合わせが早く終わったので、1時間ほど余裕。

ずっと行きたくて行けなかった花川戸の履物問屋さんへ。
IMG_9038.JPG
下駄を2つあつらえ。
15年来愛用の焼桐の右近の台、これが最後らしい。
15年来愛用の焼桐の右近の台、これが最後らしい。

需要がないので、当然、後継者がいなくなる。
哀しいけど仕方がない。

長年、お世話になっているこの問屋さんも、以前は職人さんがいて、その場で鼻緒をすげてくれた。
客の足を見ただけで、鼻緒の調整をピタリと合わせる名人芸だった。
そのおじいさんもいなくなり・・・、今は2週間待ち。

和装履物、とくに下駄の将来は暗い。
私が生きているうちは、なんとかもって欲しいと思っていたが、悲観的になる。

まだ時間があるので、大川沿いに花川戸の道を歩く。
以前は、ずらりと履物屋さんが軒を並べていたが、ずいぶん減った。

15時過ぎ、言問通りの交差点でタクシーを拾う。
「吉原の大門までお願いします」
初老の運転手、なぜか動揺。
道を間違え、少し遠回り。
しかも「大門まで」と言ったのに、なか(廓内)に入ってしまい、ソープランド街のど真ん中で停車。
メーター通りの料金を渡して「領収書、お願いします」と言ったら、「すいませんでした」と領収書と50円玉を渡された。

少し戻って江戸一通りに入り、「吉原公園」を通って、廓外へ。
お歯黒溝(おはぐろどぶ)跡の道を歩いて、遊廓専門書店「カストリ書房」へ。
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昨秋の移転&新店舗になってから初めて。
昨年、友人の研究者を案内して訪れるはずだったが、体調が優れずキャンセルしてしまったので。

店主に依頼された『風俗科学』1954年7月号を持参。

「かなりあちこち探したのですが、三橋さんのコレクションしかヒットしなくて・・・」とのこと。
まさか「天下の孤本」ということはないだろうが、残存数が少ないのは確かのようだ。

御礼に、千葉由香著『みちのく仙台常盤町 小田原遊廓随想録』(カストリ書房、2018年1月)をいただく。
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なんだか申し訳ないので、私からの「赤線」亀戸の地図(1954年の火災保険地図)を提供。

新店舗、元は皮革工場だったそうで、以前の店舗より倍以上も広い。
手前の作業場だった土間と靴を脱いで上がる部屋が店舗、土間の右側が事務室、そしてその奥が資料室。
購入する本を選んだ後、資料室を見学。
書籍・雑誌だけでなく、関連の地図もファイルされていて、かなり充実している。
2、3、有益な情報をメモ。

伏見通りにわずか2軒だけ残っている「赤線」建築の現状を確認。
(残っていてよかった)

角町のソープランドに来たお客(おじさん)が降りた直後のタクシーを店の真ん前で拾う。
10数年前、同じパターンで乗ったら、運転手に「今日は早番ですか?」って言われたことあった。
今日は何も言われない。
そりゃあそうだ、いくらなんでもこんな高齢のソープ嬢はいない。

浅草でタクシーを降りて、都営地下鉄浅草線に乗る。
(続く)

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2月20日(火)「赤線」亀戸のフィールドワーク [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

2月20日(火)  晴れ  東京  12.4度  湿度32%(15時)

7時半、起床。
朝食は、グレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。

ずっと自著原稿の手直しで籠もっていたが、今日は久しぶりに一日外出。

9時半、家を出る。
東急目黒線(目黒駅乗換)JR山手線(品川駅乗換)JR横須賀線で錦糸町駅へ。

北口から10分ほど歩き、旧「赤線」亀戸のフィールドワーク。
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↑ 横十間川・天神橋から。
中央に見えるマンションを含め、その右手が「赤線」指定地。
JR錦糸町駅からよりJR亀戸駅からの方が近いように思う。
(当時は都電22系統柳島停留所が最寄り)

2016年のストリート・ビューで下見して、その時点では、旧「赤線」の建物が3軒残っているのを確認したが、残念ながら、そのうちの1軒は解体されてしまっていた。
2軒だけ撮影。
「赤線」亀戸「双葉」 (6) - コピー.JPG
↑ ワインレッドタイルの壁面装飾が美しい(旧「双葉」)。

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↑ 「亀戸カフェー組合」の事務所と(性病)診療所があった場所には大きなマンションが建っていた。

IMG_9013 - コピー.JPG
↑ 「赤線」指定エリアの西口にあたる栗原橋から。

旧・指定地から北に歩いて天祖神社へ。
玉垣の刻銘を撮影。
「城東三業組合」(亀戸の料理屋・待合・芸者置屋の組合)の刻銘はすぐに見つかったが。
IMG_9014.JPG
肝心の亀戸「遊園地」(戦前の私娼窟時代の名称)の刻銘が見つからない。
不安がよぎる。
あれ?こんな大きな標識、以前はなかったよね、
IMG_9016 - コピー.JPG
と思い、後ろをのぞき込むと・・・、
あった。
IMG_9019 - コピー.JPG
でも、これでは正面から撮影できないじゃないか。
看板の裏側の狭い空間に腕を差し込んで、なんとか撮影する。

この場所に標識が立てられたの、偶然だろうか? それとも人目につかないようにする隠蔽の意図があったのか?
まあ撤去されてしまうよりはマシだけど。
C1-18 亀戸「遊園地」.jpg
↑ 2003年撮影


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「赤線」新宿の今昔 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

9月14日(木)

1950年、「赤線」時代の新宿二丁目。
(『あの日の新宿』武揚堂)
「赤線」新宿二丁目1950年(『あの日の新宿』昭和25年、ぶよう堂) (2).jpg

67年後、2017年9月の同じ場所。
「赤線」新宿二丁目1950年(現況) - コピー.JPG
「新千鳥街」北側、「九州男」がある路地。



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新吉原遊廓「角海老楼」白縫花魁の画像 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

7月4日(火)

大正3年(1914)4月の新吉原遊廓「花魁道中」に参加した「角海老楼」の白縫(しらぬい)花魁の写真。
新吉原花魁道中(角海老楼・白縫)2.jpg新吉原花魁道中(角海老楼・白縫)3.jpg
新吉原花魁道中(角海老楼・白縫)4 - コピー.jpg

白縫花魁は、この翌年の大正4年(1915)「自由廃業」を求めて廃娼運動を展開していた救世軍に駆け込む「白縫事件」を起こす人。
新吉原のトップクラスの花魁の「自由廃業」として、当時、大きなニュースになった。
「白縫事件」は「廃娼運動」の成果として評価されることが一般的だが、資料を詳細に見ていくと、そんな単純な話ではなく、彼女のしたたかな計算も見えてくる。

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