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性社会史研究(性別越境・同性愛) ブログトップ
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「二丁目・ゲイタウン」の形成過程 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月12日(水)

必要があって、「二丁目・ゲイタウン」の形成過程について、本気で調査・分析。
1973年頃の新宿のゲイバーの分布について調査。
その結果、1960年代末~70年代初頭、ゲイバーの二丁目進出の傾向がだいぶ見えてきた。

① 1950年代に、千鳥街・緑苑街(新宿通りの南側、新宿御苑の北側のブロック)にゲイバーが多数(延べ10軒以上)立地していた。
② 同時期の新宿では最大の集中(他は3~4軒が散在)。
③ 現在の「ゲイタウン」エリア(新宿通り北側、御苑大通り東側)には南から入ってくる。
④ 最初に、旧「青線」エリア(花園通り南側と仲通り東側)に入る。
⑤ やや遅れて、旧「赤線」エリア(花園通り北側で仲通り西側)に入ってくる。

あくまでも、傾向として、だけど、イメージとしてこんな感じ。
新宿(1万分1)4 (3).jpg

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NHK総合「あさイチ」で、新橋のゲイバー [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月11日(火)

昼過ぎ、NHK総合「あさイチ」のディレクターから電話取材。

新橋烏森神社参道脇「やなぎ」(お島ママ、1950年開店)が戦後東京のゲイバーの原点であることと、その後の展開(新橋→銀座→新宿、新橋→赤坂→六本木・西麻布の2系統)についてレクチャー。

13日(木)9時頃から放送とのこと。
現在の新橋(烏森口)のゲイバー「ノーボーダー(No Border)」も出てくるらしい。


(参照)
「東京のゲイバーの元祖・新橋「やなぎ」の位置が判明」
https://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2016-06-26-1


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「レンコン」、1970年代後半まで伝承 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月10日(月)

昨日、63歳のニューハーフさんにお話をうかがって、驚いたことは、「レンコン」の実践者・伝承者だったこと。

「レンコン」は、少なくとも昭和戦前期から戦後期まで、女装男娼の間に伝承されてきた性的技巧で、潤滑液をつけ手筒の形にした片手を背中から股間に回し、そこに男性客のペニスを誘導して、女性の膣と錯覚させる高度の「詐交」技術。

ほとんどの場合、男性は相手が女性だと思って射精し、Sexを終える。
女装男娼は、男性と気づかれることなく、かつ脆弱な肛門粘膜を痛めることなく、効率よくセックスワークができる。

今まで、「レンコン」の使用は1960年代前半まで確認できていたが、1970年代後半まで使用されていたことがわかった。
お話をうかがった方は、もしかすると最後の伝承者かもしれない。




なお、「レンコン」について詳しく知りたい方は、下記を参照ください。

三橋順子「レンコン」

 (『性の用語集』 講談社現代新書、2004年12月、 P350~356)

三橋順子「女装男娼のテクニックとセクシュアリティ」

(井上章一編著『性欲の文化史 1』講談社選書メチエ、2008年10月、P127~161)



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1980年代~90年代初頭のニューハーフ世界のお話をうかがう [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月9日(日)

16時、新宿二丁目のゲイブック・カフェ「オカマルト」へ。

1980年代、六本木を中心にショービジネスの世界で活躍されたニューハーフの方(Mさん、1954年生)に、たくさんの資料・写真を見せていただく。

トランスジェンダー関係の歴史資料のうち、ショービジネス関連は蓄積が薄く、しかも実際にその世界を体験された方による「語り」付きの生資料で、とても貴重。

まずは資料保全(複写、電子データ化)、整理(写真の年代、撮影事情のキャプション化)。
次に、Mさんのライフヒストリーをうかがってまとめる。

それを突き合せれば、1980年代の東京六本木のニューハーフ・ショービジネス世界と、そこに生きた1人のニューハーフさんの「生と性」が浮かび上がると思う。

「次の時代に伝えて」と持ち込まれたわけで、その希望に応えるよう尽力するのが研究者の責務。

1980年代~90年代初頭のニューハーフ世界のお話をうかがう。

200万円のドレス(舞台衣装)、一流写真館での撮影、日ごろの洋服はさまざまなブランドもの、有名人との交際、パリのショービジネス界を訪問、膨大な数の男性経験(セックスワークで3000人、プライベートで3000人、合計6000人とのこと)……なんとも華やかで、景気の良い話が続く。

その一方で、写真に映っている同僚・先輩ニューハーフについて、「この人は亡くなった」という話が実に多い。

現在63歳の方だから、(ママクラスは除き)先輩と言っても存命なら60代後半~70代のはず。
それで、半分近くが亡くなっている印象。
明らかに短命だと思う。
「(過剰な)女性ホルモン(投与)とお酒で、肝臓をやられちゃう人が多い」とのこと。

さらに、自殺が多い。
全部で30人ほどの人について語っているのに、「自殺しちゃって」という話が何度も出てくる。
亡くなった方の10人に1人(100人で10人)くらいは自殺している印象。

世界保健機関(WHO)の2015年度の統計では、日本の自殺率は人口10万人あたり19.7人(100人あたり約0.02人)。
単純計算で500倍くらい自殺率が高いことになる。

まあ、数字はごくごく概算だが、ニューハーフさんの自殺がとても多い傾向が、ある程度、浮かんでくると思う。

華やかな世界だったからこそ、闇も深いということか。

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新宿二丁目のゲイブック・カフェ「オカマルト」へ [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月9日(日)

一昨日、自著を著者校了にして、昨日、新宿区の講演を終えて、さすがに気が抜けたというか心身の疲労蓄積を感じて、今日は涼しくした部屋で、一日ぐーたらしてようと思ったら、二丁目から呼び出し。

仕方ないから、これから出かける。
世の中、なんて人使いが荒いのだ、私、63歳なんだぞ。

などと、ブツブツ言いながら、16時、新宿二丁目のゲイブック・カフェ「オカマルト」へ。
IMG_3922.JPGIMG_3921.JPG
で、1980年代、六本木で活躍されたニューハーフの方に、とても貴重な資料・写真を見せていただき、いろいろお話をうかがう(詳細別記)。

お蔭様で良い出会いだった。
頑張って行ったかいがあった。
声を掛けてくださった畑野とまとさん、ありがとうございました。

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(書評)長島淳子『江戸の異性装者たち――セクシュアルマイノリティの理解のために』 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

6月26日(火)

『図書新聞』3356号(2018年6月23日)に、長島淳子『江戸の異性装者たち――セクシュアルマイノリティの理解のために』の書評が掲載された。
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原稿を送ったのが2月15日、校正ゲラを戻したのが3月16日。
その後、2カ月半以上、まったく音沙汰がなく、「没」かと思ったら、3カ月もたってやっと掲載になった。

書評、少しシビアに書きすぎたかな(反省)。
でも、異性装の当事者とっては「殺されない」社会であることって、とても大事なことなのだ。

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長島淳子著『江戸の異性装者(クロスドレッサー)たちーセクシュアルマイノリティーの理解のためにー』
(勉誠出版、2017年11月15日 四六判 3200円+税)

 天保9年(1838)、数え年25の若さで流刑先の伊豆八丈島で病死した「たけ」という人がいた。火消職人の娘として生まれた「たけ」は、少女の頃から男の形(なり)をして「竹次郎」と名乗り、男として働く男装者だった。ところが、両親に死なれ身元保証人もない「無宿」ということもあり、ささいな罪を重ねて、最終的には「ゆすり」の罪で遠島に処されてしまう。厳しい刑になった背景には、町奉行所が再三「男の姿にて徘徊いたすまじく」申し渡したにもかかわらず、「たけ」が男装をし続けたことがあった。
 本書は日本近世女性史を専門とする著者が「たけ=竹次郎」のような江戸時代の異性装者の姿を史料から丹念に掘り起こし歴史に位置づけた労作である。史料をあげて分析していく研究書の体裁ではあるが、史料には現代語訳が付され、キーワード的な事項にはコラム的な解説が挿入されていて読みやすく、歴史読み物としても十分に楽しめる。
 ところで、同性間性愛・異性装を背教行為として厳しく禁じたユダヤ-キリスト教と異なり、日本の伝統的な宗教(神道・仏教)には同性間性愛や異性装を禁じた宗教規範がない。だから、平安~江戸時代の仏教界は男色文化の温床だったし、異性装(とりわけ女装)をともなう祭礼は今でも各地に残っている。前近代の日本社会における異性装者の数は同時代の欧米キリスト教社会に比べてはるかに多かっただろう。
 にもかかわらず、日本の歴史学界は、そうした非典型な「性」をもつ人々の存在に目を向け歴史に位置づけることをしてこなかった。そうした意味で、近世史家による本格的な異性装史が刊行されたことは画期的であり、性別越境の研究者として、また1人のトランスウーマンとして、たいへんうれしく思う。
 また、本書の副題が「セクシュアルマイノリティの理解のために」であることにも注目したい。実際、本書の記述では、歴史研究であると同時に現代のセクシュアルマイノリティとの対比がつねに念頭に置かれていて、本書の大きな特色になっている。まあ、江戸時代の異性装者に、性的指向や性自認など西欧近代の性科学概念を適用することには違和感がなくもないが。
 女性史を主テーマとする著者がこうして異性装研究に踏み出したきっかけは、大学教育の場における現代のセクシュアルマイノリティの学生たちとの出会いだったそうだ。教育と研究の連関、相互フードバックという意味で理想的だと思うが、多忙な大学教員の誰もができることではなく、研究者・大学教員という同じ立場にある者として頭が下がる思いだ。
 読み進めていて少し気になるのは史料の偏りである。著者は異性装の事例のほとんどを『藤岡屋日記』から採集している。『藤岡屋日記』は江戸外神田の本屋「藤岡屋」の主人須藤由蔵が市中の出来事や噂話を記録した膨大な「日記」で、その採録時期は文化元年(1804)から慶応4年(1868)までの65年間に及ぶ。したがって、著者が抽出した異性装の記録も文政~天保~弘化~嘉永年間(1818~1853)がほとんどで、260余年に及ぶ長い江戸時代のごく一部でしかない。
 松平定信の寛政の改革(1787年)に始まり、とりわけ天保年間(1830~1843)以降の江戸時代後期は、男女の別・家の継承を重視する儒教規範が強化され、それが「お触」の形で庶民層を制約していった時代だった。竹次郎の処罰理由の「人倫を乱し」の「人倫」はまさにそうした儒教規範の表れだ。
 同じ江戸時代でも、それ以前の時代は、儒教規範の庶民への押しつけはもう少し緩かったかもしれない。少女のように美しく装った少年たちがサービスする陰間茶屋が江戸の各所に55軒もあったという宝暦~明和年間(1751~1771)の状況を踏まえると、史料的な制約から仕方がない部分はあるにしろ、著者が異性装者に厳しくなった時期を主に見ているのではないかという危惧を覚える。
 また、挙げられている事例は、史料の性格上、ほとんどが「竹次郎」のように異性装者が何らかの理由でトラブルになったケースであり、トラブルにならず平穏に暮らしていた異性装者もそれなりにいたのではないかという疑念もわく。
 さて、著者は「諸外国と比較して、江戸時代が男色や同性愛に対して寛容で緩やかな時代であった」とする評価に疑問を呈し、異性装禁止の法令がなかったことについても「(江戸時代は)あまりに身分・階層差が明確であり、また性別を強調する社会においては法制化するまでもなかった」とする。たしかに江戸時代は、厳しい階層・身分制社会であり、その表象としての衣服の制約は強く、現代のような服装表現の自由などという概念はまったく存在しなかった。しかし、同時に江戸時代も曲がりなりにも法治国家であり、異性装禁止の法令が一度も出されなかったことは、やはり重要だと思う。
 「諸外国との比較」で言えば、1726年、フランスはパリのある広場で、同性間性愛(肛門性交)の罪状で1人の男が火刑の刑に処せられた。キリスト教社会では同性間性愛は基本的に死刑であり、こうした例は珍しいことではなく、むしろ常態と言っていい。1726年は日本では享保11年、八代将軍吉宗の時代であり、三都(江戸・京・大阪)の芝居町界隈には女装の少年が色を売る陰間茶屋が賑わっていた。江戸時代を通じて異性装や同性間性愛を主な理由に死罪になった人はおそらく1人もいない。
 当事者にとっては、殺されないことはなにより大事なことなのだ。やはり彼我の違いは限りなく大きいと思うのだが、いかがだろうか。

(三橋順子 みつはしじゅんこ 性社会文化史研究者・明治大学非常勤講師)

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「We are Transgenders.~性別を超え、自分らしく生きる!」(尾川ルル監督、1998年)の資料保全 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

10日(木)
1998年「第7回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭・フィルムコンテスト」でグランプリを受賞し、海外の映画祭でも高い評価を得た「We are Transgenders.~性別を超え、自分らしく生きる!」(尾川ルル監督)の情報がネット上にほとんどないことに、昨夜、気づいた。

で、今朝、ファイルを捜索して手持ちの関連資料を引っ張り出し、記録(資料保全)のためスキャニングしてアップする。

映像は、私が出演者ということで、尾川監督から提供していただき(VHSテープ)所持しているが、上映する場合は監督の許可を得る約束になっている。

① 「月刊TV NEWS」第2号(1998年6月20日、発行:沖香住)掲載、尾川ルル監督のインタビュー。
We are Transgenders (1) - コピー.jpgWe are Transgenders (2).jpg
② 『ざ・おおさか』1998年12月号(コミュニティ企画)の紹介記事。
We are Transgenders (6) - コピー.jpgWe are Transgenders (5) - コピー.jpg
③ 上映会のチラシ。
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埼玉医大「性転換手術」報道、1例目と2例目 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

3月21日(水・祝)

埼玉医大の「性転換手術」報道を振り返ると・・・。

1例目(1998年10月16日:女性から男性)と2例目(1999年6月25日:男性から女性)を比べると、ほぼ同じか、2例目の方が扱いが大きかったりする。

同じ新聞で比較してみる。
スポーツ報知19981017.jpg
↑ 『スポーツ報知』1998年10月17日
スポーツ報知19990626.jpg
↑ 『スポーツ報知』1999年6月26日。
見出しは明らかに2例目の男性→女性の方が大きい

一般的には「最初」より「二度目」は扱いが小さくなるはずだが。

フェミニズム系の研究者だと「社会的劣位にある女性が優位に立つ男性になるより、社会的優位な男性がより劣位の女性になることの方が注目される」みたいなジェンダー・バイアス的な分析をすると思う。

おそらくそれはある。

でも、実はそれだけでなく、当事者もしくはその背後の支援グループのプロデュース能力(メディアへの情報提供)によっても、報道の大きさはかなり違ってくる。

毎日新聞19990625夕.jpg
↑ 『毎日新聞』 1999年6月25日夕刊。
当事者の「手記」を提供したので扱いが大きくなった。
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1950~60年代、同性愛者・異性装者をめぐるアメリカと日本の比較 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

3月17日(土)

昨夜の「いずみちゃんナイト17」での畑野とまとさんのお話で、1969年6月28日のニューヨーク「Stonewall 反乱」以前にも、アメリカでゲイ・トランスジェンダーの人たちの抵抗運動(反乱)があったことを知った。

たとえば、
1959年5月、ロサンジェルスの「Cooper Do-nuts」の「反乱」。
https://en.wikipedia.org/wiki/Cooper_Do-nuts_Riot
1966年8月、サンフランシスコ・テンダーロイン地区の「Compton's Cafeteria」に集まっていたトランスジェンダーの「反乱」。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%8F%8D%E4%B9%B1
1967年の元旦夜、ロサンジェルス市内のバー 「Black Cat Tavern」を私服警官が潜入捜査し、新年を祝うキスをした人たちを逮捕・暴行したことをきっかけに起こった「反乱」など。
https://en.wikipedia.org/wiki/Black_Cat_Tavern

1950~60年代のアメリカでは、同性間性交渉を禁止する法律(通称:ソドミー法)を根拠に、ゲイが集まる場所に対して警察がしばしば抜き打ち的な捜索(「踏み込み」)を行ない、店にいた者全員の個人情報を記録し(IDカードの強制的提出と確認)、身体接触(手を握り合ったり、キスしたり)や異性装をしていた場合は、警察署に拘引した。

ゲイの「反乱」は、ほとんどの場合、こうした「踏み込み」に対する反発がきっかけだった。

ひるがえって、同時代の日本を見ると、1950年代後半に大都市を中心に「ゲイバー」が急増し、第1次の「ゲイ・ブーム」が起こる。

60年代には、銀座ローズやカルーセル麻紀などの「和製ブルーボーイ」がメディアで活躍するようになり、60年代末には新宿二丁目の旧赤線地区に「ゲイバー」が集中するようになり、「ゲイタウン」が形成されていく。

しかし、その過程で「ゲイバー」など同性愛者や異性装者が集まる場所に警察が踏み込みトラブルになったというケースはほとんど聞かない。

ヒロポン(覚醒剤)とか他の不法行為(犯罪)が絡む場合はともかく、日本では、同性愛者や異性装者が集まる場所だということだけで警察が捜索する法的根拠(法律)が存在しないからだ。

別に日本の同性愛者・異性装者の人権意識が低かったから「反乱」が起こらなかったのではなく、そもそも警察の「踏み込み」がないから、それへの反発としての「反乱」は起こらなかったのが実際だったのではないだろうか。

1960年代、同性愛・異性装というだけで警察に尋問され、場合によっては拘引されてしまうアメリカと、いろいろな社会的差別はあったが、警察の「踏み込み」を心配することなく、同性愛者や異性装たちが集まってお酒を飲める場があった日本。

はたしてどちらが「進んでいた」のだろうか?

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Kさんにお話をうかがう [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

3月14日(水)
(続き)
11時半「はりまメンタルクリニック」の待合室で、Kさんにご挨拶。
診察が終わって、一緒に出る。
12時過ぎ、「すずらん通り」の「サンマルクカフェ」へ。
ちょうど昼休み時で混雑していたが、しばらく待って、なんとか着席。
1時間半ほど、お話をうかがう。

内容は、1960~70年代に活発に活動した女装秘密結社『富貴クラブ』の会員だった頃から、現在の状況まで。

ずっとお目にかかって、お話をうかがいたかったが、なかなかタイミングがつかめず、ようやく果たせた。
なにより、お話ししていて楽しかった。

14時過ぎ、Kさんといっしょに駿河台の坂を上り、御茶ノ水駅まで見送る。
(続く)
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