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性社会史研究(性別越境・同性愛) ブログトップ
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『朝日新聞』3月13日夕刊「浮世絵が映す異性装の文化」にコメント [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

3月13日(火)

今日(3月13日)『朝日新聞』夕刊・文化欄の「太田記念美術館」の企画展「江戸の女装と男装」の紹介記事「浮世絵が映す異性装の文化」(丸山ひかり記者)に私のコメントが掲載されました。
朝日新聞20180303夕 - コピー.jpg

「女装と日本人」などの著書がある明治大学の三橋順子・非常勤講師(性文化史)は、「これほど異性装を描いた作品があるのは日本ぐらい。その特異性を意識すべきだ」と話す。
 異性装への人々の視線は明治以降、同性愛や異性装をタブー視するヨーロッパの精神医学の考え方が広まってから、厳しくなったとみる。「異性装や同性愛はこれまで、歴史学や美術の分野でまともに取り上げられてこなかった。こうした展覧会が催されることに、時代の流れを感じる」
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ちなみに、私のレビューは、下記をご覧ください。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2018-03-04-1
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3月3日(土)太田記念美術館「江戸の女装と男装」 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

3月3日(土)  晴れのち曇り  東京  16.2度  湿度37%(15時)

原宿の「太田記念美術館」の企画展「江戸の女装と男装」を見に行く。
IMG_0081.JPGIMG_0083.JPG
『朝日新聞』美術担当の記者さんが同行。
企画担当で招待券を送ってくださった学芸員の渡邊晃さんにご挨拶しようと思ったが、残念ながらご不在。

混んでいるというほどでもないが、お客さんは多い。
まだ2日目と言うこともあるが、異性装(女装・男装)が大好きな日本人の文化特性(拙著『女装と日本人』参照)を考えると、企画展の成功は疑いなしだと思う。

小声でコメントしながら、作品を見ていく。

太田記念美術館が「江戸の女装と男装」というテーマを風の便りで聞いた時、「女装はたくさん作品があるけど、男装は少ないよなぁ、バランスがとれるかなぁ」と思った。
ところが、そうではなかった。
1階の展示室は、すべて男装の作品。
ポスターにもなっているように、新吉原遊廓の8月の行事「にわか(俄・仁和賀)」における女芸者の男装をテーマにした作品が最初に並び、次に江戸の大祭、神田祭と山王祭の「手古舞」の芸者の男装が描かれた作品が続く。
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↑ 落合芳幾「獅子王二和賀全盛遊」(1869年)

月岡芳年「風俗三十二相 にあいさう弘化年間廓の芸者風俗」(1888).jpg
↑ 月岡芳年「風俗三十二相 にあいさう弘化年間廓の芸者風俗」(1888年)

歌川広重「東海道五十三図会 四十四 四日市 諏訪明神祭礼」(1849~51).jpg
↑ 歌川広重「東海道五十三図会 四十四 四日市 諏訪明神祭礼」(1849~51年)

たしかに女性が男装する機会としては、この2つが考えられるが、「吉原仁和賀」はともかく、祭礼における「手古舞」の絵がこんなにあるとは知らなかった。
ただ、展示されている作品が江戸(幕末)より明治期のものが目立つのはなぜなのだろう。
この種のテーマが明治になって好まれるようになったということだろうか?

それにしても、女性が男装した「手古舞」に男性が女装した歌舞伎の女形が扮した姿を描いた作品など、「ジェンダーを捻る」ことが大好きな日本人の特性がよくあらわれている。

2階の展示室は、女装の作品が中心。
熊襲タケル兄弟の館に入り込む女装の小碓皇子(ヤマトタケル)、弁慶が女の見誤った五条の橋の牛若丸、そして女田楽の美少女スター旦開野(あさけの)の姿で仇の一族を斬りまくる『南総里見八犬伝』の女装のヒーロー犬坂毛野、『平家物語』の女武者巴・板額など「物語」の女装・男装の作品。
月岡芳年「月百姿 賊巣の月 小碓皇子」(1885~92).jpg
↑ 月岡芳年「月百姿 賊巣の月 小碓皇子」(1885~92)

続いて、瀬川菊之丞(二世・三世)や岩井半四郎(五世)など江戸の庶民を熱狂させた名女形たちの絵姿。
ここでも「三人吉三廓初買」のお嬢吉三や「青砥稿花紅彩画(あおとぞうし はなの にしきえ)」の弁天小僧菊之介など、ジェンダーが転換した人物を女形が演じた姿を描くという「ジェンダーの捻り」が重なる。
月岡芳年「月百姿 水木辰の助」(1891).jpg
↑ 月岡芳年「月百姿 水木辰の助」(1891年)
水木辰之助(1673~1745年)は元禄期に活躍した人で、芳澤あやめと並ぶ初期女形の双璧。

東洲斎写楽「三代目瀬川菊之丞の田辺文蔵女房おしづ」(1794).jpg
↑ 東洲斎写楽「三代目瀬川菊之丞の田辺文蔵女房おしづ」(1794年)

歌川豊国「豊国漫画図絵 弁天小僧菊之介」(1860).jpg
↑ 歌川豊国「豊国漫画図絵 弁天小僧菊之介」(1860年).

面白かったのが最後の「やつし絵」「見立て絵」におけるジェンダーの入れ替え。
歌舞伎の登場人物でいちばん男らしいはずの助六、中国の仙人や隠者(寒山拾得)、さらには「三国志」の諸葛孔明や劉備玄徳まで女にしてしまう。
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↑ 勝川春好「三代目瀬川菊之丞の女助六」(1785年)

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↑ 鈴木春信「やつし費長房」(1765年)
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↑ 勝川春扇「やつし玄徳雪中訪孔明」(1806~20年)

中国人が見たら驚き呆れる(さらには怒る)日本特有の「ジェンダー転換」の感覚。
そうした感覚は過去の物ではなく、現代の日本で「西遊記」の三蔵法師(当然、男性)の役を女優が演じるのが定型化していることにも通じている。

ともかく、知名度がある美術館が「女装と男装」という形で異性装を真正面から取り上げた企画展を行うことは初めてのことで、ようやく時代がここまで来たのかと感慨深い。

日本の江戸時代の絵画は、異性装の人を描いた作品がとても多い。
異性装の人が描かれることは欧米ではほとんど皆無、アジアでも極めて少なく、日本の作品量は、世界的に見て圧倒的だ。
しかし、そうした特性を日本の美術界は、意図的に無視することを続け、論じることを避けてきた。
そうした姿勢が、ようやく改まりつつあるのは、たいへん良いことだと思う。
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新宿二丁目「洋チャンち」へ [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

2月27日(火)
(続き)
21時、長谷川博史さんに案内していただき、二丁目「ゲイタウン」の「新千鳥街」の外側にある「洋チャンち」へ。
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5~6人も入れば満席のような小さなお店だが、壁面には来店した著名人の写真やサインがびっしり。

店主の「洋ちゃん」は1937年(昭和12)年生まれで、御年81歳。
1950年代後半から60年代、美貌のゲイボーイとして知られたケニーさんにかわいがられた方。

戦後混乱期の浅草からスタートして、銀座、新宿ゴールデン街・花園街、二丁目「新千鳥街」の中と遷って、今の「新千鳥街」の外側のお店に至る。

新宿花園街の奥に店を出したのが1965年(昭和40)、二丁目に移転したのは1973年(昭和48)とのことで、草創まもない70年代初頭の新宿「ゲイタウン」を知る数少ない方。

その頃の二丁目は「静かで人がいない街」「(新宿という)龍の尻尾の、また先っぽのような(外れてしまった)街」だったとのこと。

ここには書き切れないが、いろいろ貴重なお話をうかがう。

自著の手直し作業で、最後まで位置が確定できずにいた1960年代に新宿にあった小さな飲み屋街「緑苑街」について、「洋ちゃん」のお話の中で出てきた「緑苑街のボンソワール」の一言で一気に問題が解決したのは、私にとっては大収穫。

23時20分、辞去。

私たちが見えなくなるまで、洋ちゃん、ずっと手を振っていてくださった。
必ず遠からず、またうかがいます。

長谷川さん、とてもありがたい縁を結んでいただき、ほんとうにありがとうございました。

0時20分、帰宅。
お風呂に入って温まる。
疲れていたが、興奮していて寝られず、さっそく原稿の手直し。

就寝、4時半。
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「闇の男」を「ストリート・ボーイ」と読ませる記事ー昭和11年(1936)の男色恐喝事件ー [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

2月15日(木)

「闇の男」に「ストリート・ボーイ」と仮名を振った興味深い記事を発見。
「闇の女」が街娼(ストリート・ガール)を意味することは知っていたが、「闇の男」を「ストリート・ボーイ」と読ませている記事は初めて。
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『読売新聞』昭和11年(1936)8月14日

不覚なり闇の男(ストリート・ボーイ)
銀座でひく刑事の袖
毒花のトリオ三人組

大都会のかげに咲く妖しの“闇の男・・・”不覚にも刑事の袖をひいて暴露した世紀末的なグロ場面――去る九日の宵 銀座尾張町三越裏を赤坂表町署の安部刑事が密行してゐると明石の単衣に錦紗総絞りの兵児帯、白足袋といふ女とも見まがふ美青年が近づいて“ねーあなた!散歩しませうよ”と嬌態を見せた。刑事はしばし呆然にとられたがやがて職業意識を取り戻し本署に連行調べると、四谷区谷町一八元陸軍省勤務岩野芳春(二九)といひ美貌を資本に変態男をあさつてゐた闇の一人と判つた。彼の自白で小石川区新諏訪町一七佐野富男(二九)を検挙、住所不明木田新次(三〇)―仮名―を捜査してゐるが、この三人は数年前からこの社会に出没、岩野は去る六月二日夜四谷見付の小公園ベンチから京橋区銀座五ノ一一洋品店商和田元男(四六)―仮名―を自宅に連れ込み、これを仲間の木田がさりげなく訪れた風をして現場を見届けさせ一週間後に岩野が和田の家を訪れ百円を無心、和田が拒むと岩野は店先で「都合しなければこの間のことを一切奥さんに報らせる」と大声で恐喝、マンマと百円をせしめた。
この手で三人代わるがわる和田から計二百五十円を恐喝したほか銀座、日本橋、?谷の大商店主ばかり卅余人を恐喝したことを自白した。

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日本が日中戦争に突入する前の年に、帝都東京で発覚した男色者グループによるかなり大規模な恐喝事件。
犯行の手口は「美人局(つつもたせ)」の男色版だが、主犯の岩野がいくら美貌にしても、ずいぶん多くの商店主がひっかかったことに驚く。
ちなみに当時の物価は、もりそば12銭、天丼40銭、銀行員の初任給70円で、現在の貨幣価値に直すにはだいたい3000倍。100円は30万円相当になる。

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報告レジュメを仕上げる [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月25日(木)

夕方から(夕食と仮眠を挟んで)夜中まで頑張って、土曜日(27日)の「性慾研究会(京都)」で報告する「(資料紹介)「浅草陰間宿繁盛記」―昭和初期・浅草の男色売春―」のレジュメを仕上げる。

今回は報告者が少ないようなので、例によって「穴埋め」仕事だが、なんとか間に合った。
未知の資料の分析はやっぱり楽しい。

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SHIPにじいろキャビン開設10周年記念シンポジウム『LGBTコミュニティ、この20年のあゆみ』」(その2) [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

12月31日(日)
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「SHIPにじいろキャビン開設10周年記念シンポジウム『LGBTコミュニティ、この20年のあゆみ』」(9月18日)での私の講演記録です。

「先行するトランスウーマン。メディアにおけるLGBTの扱い方を振り返る」
http://wezz-y.com/archives/51069

テレビにおけるトランスジェンダーの扱いを歴史的に振り返りました。

大勢の方に読んでいただけたら幸いです。


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SHIPにじいろキャビン開設10周年記念シンポジウム『LGBTコミュニティ、この20年のあゆみ』」(その1) [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

12月30日(土)
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「SHIPにじいろキャビン開設10周年記念シンポジウム『LGBTコミュニティ、この20年のあゆみ』」(9月18日)での風間孝さん(中京大学教授)の講演記録。
「『性的指向』が初めて判決文に刻まれた府中青年の家事件を振り返る」
http://wezz-y.com/archives/51068

日本の同性愛者権利運動の原点である「府中青年の家裁判」を顧みる。

私も同席させていただいたが、この裁判闘争の経緯がこうして記録化・公開されることは、とても大切なことだと思う。

大勢の方に読んでいただきたい。

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11月27日(月)パワポ資料の補充作業 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

11月27日(月)

10時半、起床。

週末の長旅の疲れが残っているので、自宅で過ごす。

資料ファイルを「発掘」して、12月10日「G-front関西」での講演「大阪の女装文化」のパワーポイント資料の補充作業。

1960~70年代の大阪の女装文化、プロのお店もアマチュア女装のお店も、性風俗系月刊誌(『風俗奇譚』)や一般週刊誌の記事で、だいたい起源や展開が追える。

しかし、非女装の男性同性愛の店の展開については、ほとんど情報がないに等しく、東京よりさらに解明が困難。

私の力では無理なので、いさぎよく、あきらめた。
地元研究者の地道な調査に期待。
夏子ママ(女性自身19671016) (2) - コピー.jpg 夏子ママ(女性自身19671016) (3).jpg
↑ 1960年代後半に週刊誌で話題になった「夏子乃店」の夏子ママ。
(『女性自身』1967年10月16日号)


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大阪の女装文化 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

11月24日(金)

12月10日に「大阪の女装文化」について講演をするので、画像資料を整理。
ちょっとだけ、先行紹介。

(1)1947年(昭和22)頃の大阪・阿倍野旭町の女装男娼を描いた絵。
戦前は西成・釜ヶ崎の木賃宿街で活動していた男娼たちが1945年3月13日夜の大阪大空襲で焼け出され、戦災を免れた東800mほどの阿倍野・旭町に拠点を移した。
阿倍野旭町の男娼.jpg
出典:南里弘「男娼を衝くー南大阪のおかま案内ー」(『奇譚クラブ』3号 1948年1月)

(2)1948年(昭和23)頃、大阪の西成区東田町(現:西成区太子)のアパートに19人の男娼が集住して、協力して営業をしていた。
東田町の男娼.jpg
もう70年近く前のこと。
この写真の人、当時20歳でも現在89歳。
ご存命だろうか?

出典:「男娼協同組合」(『奇譚クラブ』1952年3月号)

(3)大阪・北区曾根崎にあったBar「GENET(ジュネ)」の名刺。
1953年に開店した大阪におけるゲイバーの元祖的な店。
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名刺は1960年代初頭のものと推測され、写真はお遊ママだと思われる。
現存するのはこの1点のみ?

(4)1960年代、大阪南区法善寺横丁にあったBar「おひろ」の写真名刺。
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名刺の裏全面が写真になっている。
写っているのは、おひろママだと思われるが、確定できない。

(5)1960年代前半、大阪の高級ゲイバー「なるしす」のパンフレット。
全12頁で、店主のマダム順子以下、在籍者全員の写真が掲載された豪華版。
おそらく上客のお土産用と思われる。
「なるしす」パンフレット - コピー.jpg
「なるしす」マダム順子 (1) - コピー.jpg
↑ 店主:マダム順子の艶姿

(6)1960年代、「ジュネ」「カルーセル」とともに大阪ゲイバー「御三家」と呼ばれた「なるしす」(南区坂町:順子ママ)の皆さん。
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1965年、南区千年町のビルに移転し、新店舗は専用の舞台と照明設備をもち、大阪におけるショーパブの元祖となった。
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大阪の女装文化 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

11月6日(日)

昭和戦前期、女装男娼の最大拠点は大阪「釜ヶ崎」だった(戦後、阿倍野旭町に移動)。
1950年代後半~60年代、女装系のゲイバーは東京より大阪の方が盛んだった。
アマチュアの女装者が集まる場所ができたのも東京より大阪の方が早かった。
高度経済成長期が終わる70年代の前半くらいまでは、大阪の方が女装文化の「先進地帯」だったのは間違いない。

ところが、その後、東京がだんだん追いつき、1980年代になるとはっきり優位になる。
1990年代前半に「ナニワのニューハーフ」が、後半に「新幹線女装族」がブームになるが、それも一時のことで、以後はますます東京が女装文化発信の中心になっていく。

経済都市として栄えた大阪の没落、東京との経済力の逆転が、そのまま「女装史」に投影している。

全体的な見取り図は上記のようになるが、まだまだわからないことが多い。
たとえば、女装系のゲイバーが盛んだった大阪は、東京に比べて非女装のゲイバーの主流化が遅れた可能性が高い。
1960年代末~70年代、東京で「新宿二丁目・ゲイタウン」が成立したのと見合う現象が大阪であったのだろうか?

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