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3月8日(木)浅草へ 下駄の受け取り [着物]

3月8日(木)  雨  東京  6.6度  湿度100%(15時)

11時、起床。
朝食は、りんごデニッシュとコーヒー。
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13時15分、家を出る。
本降りの冷たい雨。
途中、後ろから空車のタクシーが来たので、武蔵小杉駅まで乗ってしまう。

昼食は、駅構内の「しぶそば」。
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↑ 甘皮筍とたらの芽天そば(480円)

東急東横線(渋谷駅乗換)東京メトロ半蔵門線(表参道駅乗換)同銀座線のルートで浅草へ。

昭和の名残が濃厚にただよう「浅草地下商店街」。
現存するものとしては日本最古の地下商店街。
1955年1月の開業なので、私と同じ歳。
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木曜定休なので開いているお店が少なく、いっそう侘しい。
それにしても天井が低い。
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階段、捻れているように見える。
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花川戸の履物問屋「長谷川」で、鼻緒すげをお願いしてあった下駄を受け取る。

長年愛用していた焼き桐の下駄がついに焼き(風塗装の)桐の下駄になってしまったのがショック。
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やっぱり質感がかなり違う。
昔は、何回か履くうちに(足袋裏がすこし黒くなる分)、艶が出てきたのだけど、焼き風塗装だと、履かないうちからピカピカしている。

時代の流れで仕方がないのかもしれないが、やっぱり寂しい。

もう1足は、白木の右近下駄。
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成人式の振袖 [着物]

1月10日(木)

成人式で女子がこぞって(ほぼ100%)振袖を着るようになったのは、そんなに古いことではない。
たぶん1960年代後半に始まり1970年代に成立した習俗だと思う。
いわゆる「団塊の世代」(1947~49年生)が成人を迎えた1967~69年あたりに始まるのではないだろうか。
つまり、高度経済成長以降の「一億総中流化」の産物。

階層格差が少なくなった時代の習俗が、階層格差がどんどん拡大していく時代に廃れていくのは、ある意味、当然のなのかもしれない。
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「はれのひ」事件 [着物]

1月8日(月・祝)

会社(「はれのひ」が社名)が飛んだな。
なにも成人式の直前に破綻しなくてもよさそうなものだが、すでに破綻状態にあったのに、解約・返金を請求されないようにぎりぎりまで隠していたのだろう。
悪質だ。

被害にあった新成人、かわいそうに。
はっきり言って「振袖に特化した業者」の多くはロクなものじゃない。
振袖の質を見ていればわかる。

ところで、成人年齢が、18歳に引き下げられると、その年の成人式は今までの約3倍の成人が一気に成人式を迎えることになる。

その需要に応じるだけの、振袖があるのだろうか? 着つける人はいるのだろうか?

もう、自治体が大勢の成人を一カ所に集めて「成人式」をする形式は止めるべきなのではないだろうか?

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新成人、振り袖着られず 業者「はれのひ」連絡とれず

成人の日の8日、振り袖販売、レンタルを手がける業者「はれのひ」(横浜市中区など)から振り袖が届かなかったり、連絡がとれなかったりするトラブルが相次いだ。「はれのひ」が貸し出す着物の着付け会場となっていた同市港北区のホテルは新成人ら十数人が戸惑いを隠せない様子で、あちこちに電話をかけていた。神奈川県警にも8日の昼までに十数件の相談や通報が相次いだ。

横浜市中区の「はれのひ」の本社は8日昼過ぎ、鍵がかかった状態でインターホンを押しても反応がない状態だった。併設する写真スタジオにも鍵がかかったまま。

神奈川県警には7日からこの業者に関する相談や通報が十数件あった。8日朝には着付け会場となったホテルから「着付け業者と連絡がつかない」、「購入した振り袖が届かない」などという110番通報があった。ホテルに警察官を派遣し、通報者に事情を聴くなどの対応をした。被害届を出すという話は聞いていないという。県警はさらに相談が増えるとみて、対応を検討している。

横浜市では、成人式が午前と午後の2部制のため、振り袖が届かないために午前の部に出席できなかった参加者を午後の部に出席できるように対応している。 民間信用調査会社の「東京商工リサーチ」によると、はれのひは2008年、振り袖のレンタル・販売店のコンサルティング業者として創業。12年に直営店の運営を始め、横浜市、神奈川県横須賀市、東京都八王子市、福岡市、茨城県つくば市、千葉県柏市に6店舗を展開している。16年9月期の売り上げは4億8千万円。(野城千穂、古田寛也、鈴木孝英)

『朝日新聞』2018年1月8日14時16分
https://www.asahi.com/articles/ASL184PX0L18UTIL00H.html?iref=comtop_8_01
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早稲田大学「きもの学」から講師依頼 [着物]

7月14日(金)

早稲田大学の連続講座「きもの学」から講師依頼。
秋~冬シーズンは、ありがたいことにいろいろ依頼をいただいてスケジュールがタイトになりつつあるが、「着物」となると別枠で、よろこんでお引き受けする。

「きもの学」は「(一般社団法人)全日本きもの振興会」の寄付講座で、私は「銘仙とその時代」という内容で、2009年、2013年に講師をさせていただいた。
どうも4年周期らしく2017年が3回目となる。

さっそく「専属モデル」さんに、スケジュールの確保を依頼。

着物関係の講義って、自分の性別の問題に触れずに済むので気分的に楽なのだ。

とは言え、全体的に保守的で、ジェンダー規範がガチガチの「きもの業界」で私のような性別が怪しい人は、けっこういろいろ大変。
でも、ありがたいことに、こうやって性別とか関係なく「実力」を評価して講義・講演の機会をくださる方もいる。
そして、いつも支えてくれる友人がいる。
だから、頑張れるのだ。

JR南武線で見かけた総絞りの浴衣 [着物]

7月6日(木)

今日の帰り、JR南武線でのこと。
例によって講義で疲れてうとうとしていた私の隣に浴衣姿の女性が座った。
眠かったので、どんな浴衣かよく見なかった。

その内、彼女の袖が私の二の腕に触れた。
ん? 
なんか触感が違う。
改めて見て、びっくり。

藍の濃淡の総絞り(疋田)で朝顔を浮きだした浴衣。
しかも、下ろしたてなので、絞りの凸がはっきりしていて、それで肌に触った感覚が違ったのだ。

これは、すごい。
思わず見惚れてしまった。
私、こんなのもってない・・・。
値段のことを言うのは品がないが、私の浴衣(けっして安物ではない)の少なくとも倍はすると思う。

でも、着ているのは、スタイルは良いが、ごく普通の若い女性。
ずっとスマホに夢中。

はたして、彼女、自分が着ている浴衣の価値がわかっているのだろうか?


なぜ、白人女性が和服を着ることが人種差別なのか? [着物]

2月16日(木)

まったく意味がわからない。
白人の女性モデルが着物を着て撮影することがなぜ人種差別になるのだろう?
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日本人のほとんどは、着方が変だとは思っても、そこに悪意は感じない。
文化誤解はあっても、ひとつの文化的表現だと受け取るだろう。
まして人種差別とは思わない。
差別対象の日本人が怒っていないのに差別問題化される不思議。

で、思い出した。
2年前(2015年7月)にボストン美術館で行われた「和服の試着イベント」が「人種差別」と批判されて中止になったことがあった。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-07-10-2

抗議は、その時と同じ「文化の盗用」という論理で、抗議しているのも同じような連中だと思う。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/02/16/vogue_n_14788604.html

日本人でなければ和装をしてはいけないなんて、すごい偏狭な考え方だ。
私の知人にも、白人女性で着物を着る方がいるが、それを日本人は喜びこそすれ「文化の盗用」なんてほとんど思わない。

植民地帝国主義下における文化侵略(服飾文化も含む)という歴史事実を念頭に置けば「文化の盗用」という論理もわからなくもない。
しかし、私は「盗用」に抗議する権利があるのは「盗まれた」人たちだと思う。
少なくとも、「盗まれた」人たちが抗議の主体になるべきだ。
つまり、仮に和装(着物)が「盗まれた」としたら、抗議するのは日本人だということだ。
中国人や韓国人などの「アジア人」ではない。
なのに、日本人の意向を無視して「アジア人」による抗議が行われていることに、とても違和感がある。

それと、トランスジェンダーの立場からすると、服装表現は基本的に自由であるべき、という思いが強い。
誰が何を着ようが基本的には自由であるべきだ。
そこに社会的(TPO)な制約はあるのだが、それは最低限にすべきだと思う。

【追記(25日)】この論説を読むと、アメリカの状況はよくわかる。
堂本かおる「白人モデルのゲイシャ写真が炎上した本当の理由〜「文化の盗用」と「ホワイト・ウォッシュ」」
http://mess-y.com/archives/42253
でも、やはり白人を含む外国人にも着物を着てもらいたい気持ちに変わりはないし、服装表現は基本的に自由であるべきだと思う。

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カーリー・クロスが謝罪、撮影で日本人女性の格好

モデルのカーリー・クロス(24)が、ファッション誌「ヴォーグ」の撮影で日本人の女性の格好をしたことを批判されて謝罪した。

カーリーは黒髪のウィッグに和を意識した衣装を着て、実際に日本のさまざまな場所で撮影を行った様子。写真家のマイケル・ヤンソンが手掛けていて、相撲力士と写る写真もあった。

しかし、これらの写真に人々はカーリーが“イエローフェイス”で撮影したと批判し、「人種差別」「ヴォーグ、本気なの?」とコメントしている。

批判を受けてカーリーはツイッターに、「文化的に敏感ではない撮影に参加してしまって、本当に申し訳ありません。私の目標はいつも、これからも女性を力づけて、インスパイアしていくことです。これからの撮影やプロジェクトではそのミッションを反映したものであることを約束します。心から、カーリー」と謝罪した。【ハリウッドニュース編集部】

『日刊スポーツ』2017年2月16日10時43分]
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1779780.hml

「着物」の変化(メモ) [着物]

8月10日(水)

ちょっと必要があって、「着物」の変化についてメモ。

【身分制の変化】
旧幕体制の瓦解・「ご一新」により、明治初期(1870年代)に変化。
ただし、庶民層の「着物」だけを考えるのなら、江戸時代からの変化は少ない。

【製造面での変化】
染色における化学染料の導入、織成における力織機の導入による、工業製品化。
だいたい明治20年代後半(1890年代)に変化が始まる。
幅をとると、明治後期(1900年代)~大正時代前期(1910年代)に変化。

【販売面での変化】
大都市に新たな商業施設としてデパートが出現したことによる変化。
中産階層に絹織物が普及する。
時期的には、大正末期~昭和初期(1920年代)。

【着付け面での変化】
着物が日常衣料としてのポジションを喪失するにともない、「着付け教室」によって戦前の、自分で働かなくてよい上流階級の「奥様」「お嬢様」の非活動的な着付けがマニュアル化・規範化。
時期的には、昭和40年代後半以降、1970年代。




浴衣の裾が短すぎる [着物]

7月30日(土)

東京は、隅田川花火大会の日なので、浴衣姿の女性が多い。
ちょっと気になるのは、着付けで裾が短すぎる娘さんが多いこと。

小学生のお嬢ちゃんならともかく、ハイティーンの娘盛りなら、もう少し長めのほうがエレガントだと思う。

ただ、足元を見ると、和装の下駄ではなく、洋装のヒール・サンダルの娘のほうが多い。
となると、浴衣もロング丈の前合わせワンピースの感覚に近いのだろうか。
あの裾の長さも、彼女たちなりには合っているのかも。


無茶ぶり「細雪ごっこ」 [着物]

5月18日(水)

本郷「弥生美術館」の「谷崎潤一郎文学の着物を見る」を見に行くにあたって、なぜか「どうせなら『細雪ごっこ』をしましょう」という話になった。
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↑ 1983年、東映制作の映画『細雪』の四姉妹
右から、長女(岸恵子)、次女(佐久間良子)、三女(吉永小百合)、四女(古手川祐子)

発案者が酔っぱらっていたとしか思えない「無茶ぶり」なのは承知の上なのだが・・・。

残念なことに三女役の方が都合がつかず、当日は三人になってしまい、四姉妹並びは断念。
今度は、会場にも展示されていた『細雪』の姉妹のモデルになった「森田四姉妹(の内の三姉妹)」の写真にチャレンジ。
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↑ 右から、次女松子(谷崎潤一郎夫人)、その娘、四女信子、三女重子の姉妹。

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やっぱり「無茶ぶり」だった・・・。
次女役がデカ過ぎるとか、四女役が妙に色っぽ過ぎるとかを置いたにしても、やはり、着物のセンスが違いすぎる。

関西(大阪)の富裕な商家の着物感覚は、私たちには遠すぎた。
私たちだと、ほぼ時代は同じでも、屋号の尻尾に「楼」の字が付く東京の怪しい店の女ご一行になってしまう。

あつこ女将は、鮮やかなシアンブルーの地に大きくあやめを染めた着物に、中くらいの大きさの鱗の帯、薄物の羽織には燕が飛んでいるという季節感いっぱいのコーディネート。
「さすが~ぁ!」と声に出てしまった。

おゆうちゃんは、ピンクの地に大輪の百合を織り出した夏銘仙。
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私は、山道(銀鼠色)に咲く鈴蘭を織り出した足利銘仙に、錆朱・黒・樺色の横縞の帯を角出しに結ぶ。
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美術館で知らないご婦人に「これ鈴蘭でしょう。私大好きなのよ。いいもの見せてもらったわ」と言ってもらい、うれしかった。

弥生美術館と竹久夢二美術館をゆっくり一巡した後、併設の「カフェみなとや」でお茶。
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あつこ女将とは、2015年11月に神楽坂でお会いして以来1年半ぶり。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-11-24-1
ご一緒できて、とてもうれしかった。
そして、案じていたよりずっとお元気で、何より。

弥生坂を下って根津へ。
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「根津珈琲店」で、軽く食事をしながらまたおしゃべり。
18時、女将さんを東京メトロ千代田線根津駅にお見送り。

おゆうちゃんと2人で弥生坂を上る。
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↑ いつものことながら、頭の先から足まで一直線に芯が通り、踏み出し足と蹴り足がほぼ一直線上にくる実に美しい歩き方(もう暗くなりかけているので、スローシャッターでブレている)。

まるで江戸時代の人のように根津から本郷を通って白山まで歩く(所要30分)。

昨年暮に行った、旧・白山花街の一角にある居酒屋「ありあけ」へ。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2015-12-26
女将さんに着物を誉めてもらったり、大将の昔話を聞いたり、楽しい時間を過ごす。
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↑ 「ありあけ」の女将さんと。

21時半、辞去
ああ、楽しい一日だった。

5月18日(水)弥生美術館「谷崎潤一郎文学の着物を見る」展 [着物]

5月18日(水)  晴れ  27.6度  湿度32%(15時)

本郷の「弥生美術館」へ。
「谷崎潤一郎文学の着物を見る」展を見学。
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昭和17年から執筆された『細雪』に描写された着物と、『痴人の愛』など大正期の作品群に出てくる着物とでは、かなりデザインが異なること。
そして、関西と関東のデザインの好みの違いは、昭和戦前期でもかなり大きいことなど、いろいろ勉強になった。

近代文学を読み解く際に、作品に出てくる着物の描写の理解が不可欠なことは、10年以上前から私が言ってきたことで、某大学の近代文学の講義にゲスト講義で招かれた時に、樋口一葉の作品に出てくる着物の描写の解説を試みたことがあった。

しかし、谷崎潤一郎の小説、とりわけ『細雪』の着物は、地域(関西)と階層(富裕な商家)の2つの点で私の着物理解の範囲を越えていて手に負えなかった(私の着物理解は関東の中産階層のそれ)。

そもそも、文章で描写されている着物を、着物に対する感性が失われつつある現代に目に見える形で実体として再現することは、とても難しいこと。
『細雪』の時代は、幸い当時の着物がアンティークとして残っていたので実現できたが、これが明治時代の作品となるとさらに困難だと思う。

谷崎潤一郎文学の着物という難題に挑まれた大野らふさん(ponia-pon店主)と中村圭子さん(弥生博物館学芸員)は、とても良いお仕事をされたと思う。